第二章 笑う童と、藁しべ長者➂
事務所にもどると、伊瀬はすぐに下の迷彩色のアーミーパンツを脱ぎ、オレンジ色のツナギに着替えた。ボクに構わず下着姿になるのは、それが恥ずかしくないのと、どうも男と思っていないようだ。ただ、部族が祭りをするときの化粧のように、オレンジ色のワックスを髪にべったりとつけて、後ろに尖らすように固めるのが不思議でもあった。
「何でその……オレンジなんですか?」
「黄泉に行くための準備よ。アナタも……、まぁいいわ。とりあえず、腐朽と遭ったら隠れていなさい」
そういうと、この前も持ち歩いていた頭陀袋をかついで「行くわよ」と、事務所をでた。そのまま、あの立ち入り禁止の虎ロープを跨いで超え、エレベーターホールにもどってきた。
「え、ここから?」
広いエレベーターホールには、空間を覆うほどの歪が広がり、裏世界への入り口が開いていた。
昼間だったはずなのに、さっきまでいたビルの四階、そのエレベーターホールは夕景に染まっていた。
「他の人には近寄りがたくても、私にはあり難い、こうして、裏と表を簡単に行き来できるから……」
伊瀬はそういった後、壁を指さして「押してごらんなさい」
ボクが指で壁を押してみると、そこだけベコッと沈み、放すとすぐにポコッともどった。「何これ? 凹む……?」
「言ったでしょ。色々と常識が異なるって……。向こうの世界のモノは、力をかけると多少は形も変わるけれど、動かせないし、壊せない。裏と表は微妙に重なり合うけれど、干渉はせず」
そういうと、伊瀬はビルの通路の手すりにふわっと飛び上がり、そのままぴょんと飛び降りてしまった。
えッ⁈ 驚いて下を覗くと、伊瀬は無事に地面に降りたっていて「早く飛び降りなさい」と手招きする。
「お、下りられるんですかー?」
「私が下りてみせたでしょ。早くやりなさい」
ここは雇用主と、労働者の関係――。ブラック企業だとしても……、えいッ⁉ と飛び下りた。落ちた。そして、着地した。思ったよりあっさり、多少の衝撃はあったものの、凹む壁のように、硬いはずの地面も衝撃を吸収するように、多少凹んだように感じられた。
「大……丈夫だった?」
「だから平気って言ったでしょ。ほら、行くわよ」
そういって伊瀬は歩きだす。ボクもその後につづきつつ「どこへ?」
「調査よ。でも腐朽に出遭ったら、すぐに逃げること。薬があっても、完全に治癒する効果がない以上、腐朽と関わらないことが大切よ」
何を調査する、という具体的な説明がなく、ボクも不安になるけれど、それ以上に置いて行かれる不安の方が大きく、慌てて歩きだしていた。
その頃――。
「この辺り、ヤバすぎじゃん。兄者」
学生服をきた少年が、裏世界にいた。背中には、自分の背丈と同じぐらいの長さのある、カバーがかかった荷物を担ぎ、重くて動くことも困難そうだけれど、辺りを見回して嬉しそうだ。
兄者と呼ばれた隣に立つ男は、フチなしのメガネをかけており、道着に黒袴という服装で、腰には日本刀の一本差しをする。
「ここまでの瘴気……。何で執柄家の奴らは、ここに来ないんだ? それとも気づいていないのか?」
そこはあの公園であり、学生服をきた弟は「執柄家なんて関係ねぇよ。オレたち、壬生兄弟が荒稼ぎだ!」
そう勢いこんでみせたものの、すぐに兄は目を険しくする。
「荒稼ぎの前に、早速のお出迎えだ」
兄である壬生 忠嶺はすらりと腰の日本刀を抜く。そこには、腐りかけている腐朽が数体、ゆっくり二人へ近づく姿があった。
忠嶺はふーッと息をはきだすと、音もなく、ふわっと腐朽へ近づき、その一体を袈裟斬りにする。傷口からは大量のどす黒い血が噴きだすけれど、それで止まることもなく、忠嶺に襲い掛かろうとして、指が三本しか残っていない腕を忠嶺へと伸ばそうとしてくる。
刀を振り上げるのと同時にその腕を切り離し、大上段に構えた直後、頭から兜割りにしてみせた。
心臓を切り裂いても、脳をかち割っても、腐朽が止まることはない。体を動かすため……だけにそこを動かしているのだ。なので、今こうして体を真っ二つにされるほどの手傷を負っても、腐朽は動こうとする。それはまるで、恨み骨髄の相手を、呪い殺そうとでもするかのように……。
「さすが兄者。一刀両断だ」
数体いた腐朽を、その刀の錆とした忠嶺は、鞘に収めつつ「腐朽を一刀両断にすることはできないよ。心臓、頭、そうやって確実に動きを止めて、動きを制する。これが確実な仕留め方だ」
「壬生流のやり方を貫く、兄貴は立派だよ。オレには真似できん」
弟の壬生 忠未は、残りの腐朽へと目をやった。続々と湧いてくる腐朽を一網打尽にするために、彼は背中のカバーを解く。
それは高速機銃掃射、つまりガトリングガンであり、一斉掃射で腐朽たちを駆逐していく。
「稼ぐ前に、一暴れだッ!」
忠嶺は刀で、忠未は銃で、腐朽たちを圧倒していった。
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