第二章 笑う童と、藁しべ長者➁
「この事務所って、どんな仕事をするんですか?」
事務所にもどっていた。伊瀬も今日はカーキ色のタンクトップに、迷彩色のパンツという、軍隊の女兵士のような恰好をしている。
「怪現象研究所って言っているでしょ。主に、家やビルにとり憑いた霊とか、その霊障の調査ね」
「え? 伊瀬さんって霊感あるんですか?」
「ないわよ、そんなもの」
「……え?」
「そもそも霊感って何?」
「……いや、幽霊をみたり、人のオーラが見えたり……」
「感覚器は人それぞれ。例えば、同じ赤をみているとは限らないってこと。ある人にはどぎつい赤に見えても、ある人には淡い赤に見える。ちょっと赤外線寄りに感覚器がふれていた場合、それをオーラとみるのかもしれない。幽霊なんて、視野狭窄でも起きるわよ」
「それが……、霊感?」
「だから、知らないわ。すべてを否定するつもりはないけれど、私がそれと感じられないものを、平然と『ある』というつもりもない」
確かに、伊瀬は自らを霊能力者だと名乗っているわけではないので、その真贋を尋ねたところで、答えは「分からない」だろう。
でも、さらに伊瀬はつづけた。
「霊障なんて言っているものの大半は、家の構造、磁場の流れ、空気の澱みといった簡単な物理で説明できるもの。別に霊感とか、そんなものをもたずとも解決、解消できるのよ」
「そういうものですか……」
「ほら、このビルの通路。今は立ち入り禁止だけれど、エレベーターに霊がでる、との噂がたって、何人も行方不明になり、使用禁止になった」
「え……?」
「見てみる?」
伊瀬から怪しげな瞳でみつめられ、思わずうなずいてしまう。こうしたものは怖いもの見たさ、という悪い感情であることは理解しているつもりだけれど、好奇心には勝てなかった。
虎ロープも汚れて、古くなっているけれど、それを平気で跨いで、伊瀬はその先へとすすむ。そこにはエレベーターホールがあり、奥にガラスのついた自動ドアが見える、ただその先にエレベーターはなく、暗い闇が広がるばかりだ。どうやら使用することもないので、一階に下ろしているのだろうけれど、四、五名で定員になるプライベート用のサイズだ。
「元々、大家が四階に暮らし、下を貸し店舗にしていたらしいわ。でも、幽霊騒ぎで借り手がいなくなり、大家もでて、それでも呪われるのが怖くて取り壊せない。だから格安で借りられた」
なるほど、お金をもっていなさそうな伊瀬でも、事務所を間借りできた事情がよく分かった。
「ここの霊障は、どういう理由ですか?」
「裏もビルで囲まれ、空気が澱み易かったのよ。その結果、裏世界と近くなり、おぼろげに向こうを覗きみた人がいた。また引きずり込まれ、もどって来られなかった人もいたみたいね」
腐朽に咬まれたり、引っ掻かれたりすると、腐朽にされる。そうなると、こちらの世界にもどってこられない、という。でも、ふと気になることがあった。
「あの注射……中身って何です? それがあれば、腐朽になった人も元にもどせるんじゃ……」
「中身は特別な果物よ。あれは腐朽の侵攻を抑えるだけで、治す力はない。治すのはあくまで自分に備わった治癒力。咬まれたり、傷をつけられたりしてすぐに注射していたら、間に合ったけれど……」
果物……? 『特別』という言葉は気になるけれど、百万円以上と言われたこともあって、かなり意外が気もした。
「そういう知見って、伊瀬さんの研究ですか?」
「ちがうわよ」
伊瀬は少し不機嫌になった様子で、そう呟く。無口になってしまった伊瀬に、仕方なく別の話をふることにした。
「このエレベーター付近が裏世界と重なる理由って、何かあるんですか?」
「表と裏は近づいたり、遠ざかったり……。でも二枚の紙をくっつけたときのようにピタッと合うわけじゃない。それぞれに凹凸があり、空気の澱みの強いところはそうなりやすい。これを瘴気と言ったりもするけれど、すると表と裏の関係が崩れやすくなる……みたいね」
「こっちが夜だったのに、裏世界が夕刻みたいだったのは……?」
「裏世界の時間、光という概念は、まったくここと異なる。視力でみる、というより存在を感じているの。ほら、メガネをさがすとき『メガネ、メガネ……』と辺りを手でさがすでしょ?」
「それ、やすきよ漫才! 実際にそんなことする人はいませんから。そんな目が悪いなら、もうメガネをかけても何も見えませんからね」
「そんなことないわよ。老人ホームのお爺ちゃん、お婆ちゃんたちはいつでも『メガネ、メガネ』って……」
「それもう、メガネを置いた場所どころか、色々と忘れている人の話!」
「冗談はさておき、黄泉では外形的にこちらと同じに見えても、色々と異なる部分もあるから、追って説明をするわ」
それを待っていたように、伊瀬のスマホが鳴る。ちらっと画面を確認すると、やや緊張した面持ちで「裏世界……来るわよ」
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