第一章 ゾンビとコンビを組む男⑥

 腐朽はゾンビ――。

 伊瀬はそう告げていた。ただ、伊瀬にも八馬女が腐朽になったのに、境界を渡ってこられた理由は分からずに「一先ず、見張っておいて」と言って、事務所にもどってしまった。

 見張って……どうする? 目を覚ましたときから、ずっと会話すら通じず、ぼうっとしたままだ。暴れたところで、ボクに何かできるとも思えない。このまま大人しく部屋にいてくれたら、問題ないけれど……。

「八馬女……、オレたち、もう終わりなのか?」

 解散を告げた……、八馬女の真意を、未だにつかみかねていた。芸人を辞めるつもりなら、もう後戻りはできない。幼馴染がコンビを組む……、それは初めから複雑な事情を抱えるのと同じ。ビジネスライクに付き合う方が、よほどすっきりもするのだけれど……。

「そうだ、コンビ名を変えよう。インパクト重視で、フェチ・フェミ・フェニックスとしたけれど、もっと格好いいもの……、例えば『バラの嘘をバラす、略してバラバラでぇ~す』みたいな? もしくは『グルメ・グループ交際、ぐるぐるでぇ~す』みたいな……」

 そう、ボクはこういうセンスが壊滅的だった。かといって、八馬女もこういうところは無頓着で、拘りもないから、最初のコンビ名をつかいつづけていただけだ。


「そうだ、ネタの練習をしようと思っていたんだ。八馬女は解散って言ったけれど、決まっていた劇場への出演は、ちゃんとこなしてからにしよう。これが最後のネタ打ちかもしれないけど……」

 聞こえているかも分からないけれど、とにかくネタを始める。

「は~い、どうも~。女性を死んでも守るフェチ・フェミ・フェニックスでぇ~す。よろしくお願いしま~す」

 ボクが登場シーンを再現すると、八馬女が微かに手を叩くようにみえた。

 もしかして、意識を失っていても、体が漫才を憶えているのか? だったら新ネタをするより、最後に舞台で演じた、ショート漫才で……。

「今日は皆さん、名前だけでも憶えて帰って下さいね。フェチで、フェミな……」

「あぅ、あぅ……」

 喋った……⁉ 目覚めてからこれまで、言葉を発することも忘れていたようだったけれど、こうして喘ぐように話すだけでも嬉しかった。


 がちゃりとドアが開く。「何をしているのよ?」

「うわッ! チャイムぐらい鳴らして下さい、伊瀬さん」

「アンタが死んでいる可能性も考えれば、チャイムを鳴らす必要、ないでしょ」

「死んで……、って」

「まだ大人しいようね。でも、腐朽になったからには、いつ生きた人を襲い始めるか分からないもの」

 伊瀬はそういうと、頭陀袋を下ろして、改めて八馬女をみる。

「症状がすすんでいない……か」

「さっき、言葉を話し……話そうとしたんですよ」

「それはそうよ。腐朽の中には、ふつうに会話する奴もいるもの」

 糠喜び……? 「でも反応をみせたんですよ」

「反応もするわよ。ただ、それが前の彼とは限らない、ということ。記憶も乗っとられていたら、判断する術もないけどね」

「こ……怖いこといわないで下さい」

「怖くとも、これは事実よ。受け入れるしかない」

 そういうと、伊瀬は検査をはじめた。血、唾液、皮膚から細胞を摂取し、髪の毛も抜いて、毛根のついたものを採取する。

「それで、何か分かるんですか?」

「さぁね……。でも、腐朽のサンプルをとれるなんて、それこそ珍しいことだし、彼がナゼ、境界を超えてきたのか? 来られたのか? そこも含めて解明できればいいんだけど……」


「あの世界を、黄泉と言っていましたけど、ボクたちが出たり、入ったりできたのは何で……?」

「分からない……。私たちは空間の歪みを感知する、こうした装置をつかって黄泉へ渡る。時おり、偶発的に向こうへ落ちる人もいて、それが目撃譚として語られたりもするけれど……」

 だから八馬女も……? さっきみせた反応は、もうない。ぼーっとして、空間のあらぬ一点を見つめて、動く気配すらない。

「治す術はないんですか? これがウィルスによるものなら、あっちの世界でウィルスを採取して、ワクチンを……」

「ゾンビ映画にありそうな話ね。でも、これはウィルスじゃない。遺伝子が改変されているらしい……と、予想されているけれど、それがベクターウィルスによるものなら、改変された遺伝子を、もう一度元にもどすようなベクターウィルスを用い……という七面倒なこともできて、治せる可能性もあるけれど……」

 恐らく、ほとんど不可能といっている。ウィルスが様々な遺伝子改変を行い、今の人間をつくり上げたことは、ほぼ間違いない。女性の子宮は、ウィルス由来というのは有名な話だ。

 でも、可逆的に起こったという実例はない。ウィルス由来の遺伝子を働かなくすることはできるかもしれない。しかし、遺伝子にウィルスの核酸が入った、という事実は変えられない……。


「遺伝子の改変……ということは、八馬女の外見も変わっていく、と?」

「そうかもね。でも、外見はゆっくりとしか変わらない。細胞がすべて入れ替わるのに二、三年とされるけれど、すべての細胞にその改変が行き渡るには、五年はかかるでしょうね。その間の老化の方が、よっぽど大きく体をつくり替えるわよ」

「でも、精神は……」

「大きく変わっているでしょうね。脳細胞の信号伝達方式は、それこそ一昼夜でも大きく変わってしまうもの。必要なものは残すけれど、不要なものは組み直す。その過程で、短期間で大きく思考パターンも変わる。だから、彼がもう元通りと思わない方がいい……」

 それは最後通牒のように思えた。「今から病院に……」

「連れていってどうするの? 冷凍保存でもしてもらう? 私としては、実験体がいつでも使える状況は嬉しいけれど、大騒ぎになるでしょうね」

 そのときふと、気になることがあった。

「伊瀬さんは、何で黄泉とか、腐朽に詳しいんですか」

「私が詳しいんじゃなくて、周りが知らなすぎるだけよ」


「オルフェウス型神話――。死の国巡り、なんて呼ばれているけど、日本神話だと、死んだイザナミの元に、イザナギが向かう、あれは実体験の反映なのよ。つまり太古から、黄泉に行くことは頻繁に起きていた」

「黄泉から戻れることも?」

「日本だと、黄泉返りの言葉がある通り、黄泉に行くのと、もどってくるのは一体。私たちはあっちからみたら、完全な異物だもの。だから、奴らは向こうに来た人間を腐朽にする。二度ともどれないように……ね」

「何で、伊瀬さんは向こうの世界にいたんですか?」

「黄泉を研究するためよ」

 これまで多弁だった伊瀬が、簡潔に説明を終えたことが、少し意外だった。もっと自分の研究を、これでもか……とひけらかすと思ったからだ。

「でも、そうなると八馬女を助けるためには、やはり向こうの世界に行くしかないですよね……」

「ちょっと、話を聞いていた? こちらから関わらない限り、黄泉が影響することはない。感染したお友達には悪いけれど、彼のことは忘れて、アナタはもう黄泉とは関わらない方がいい」

 そう、彼女が告げた通り、八馬女がもう助からず、こうして会話すらできない腐朽になった以上、諦めてこのまま別れる、というのも一つの手だ。彼から解散を告げてきたのだし、何の不都合もない……はずだ。

 でも……。

「ボクは八馬女を助けたい。ケンカ別れのようになって、このまま解散なんて嫌だ。ボクたちはコンビ、こいつは相方なんです。ただの友達じゃない。腐朽という症状を治して、もう一度漫才をするんだ……絶対に」

 ボクは漫才師――。フェチ・フェミ・フェニックスのツッコミ担当。相方がゾンビになり、人間じゃねぇのかよ! と、いつかツッコめる日をめざし、コンビを続けることとなりました。


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