第一章 ゾンビとコンビを組む男⑤

 翌日の午前中、ボクは名刺に書かれている住所にやって来た。

 昭和のころに建てられた、壁面がひび割れて補修した跡も目立つ、かなり古いビルである。四階建てでエレベーターもなく、表玄関にもロープが張られるので、鉄製の非常階段を上がる。その最上階が事務所になっていた。

 呼び鈴はかつて、びっくり箱を模したのか、ボタンが飛びでているので、仕方なくドアをノックする。

「すいません、すいませ~ん!」

 ボクもスマホを取り返さないといけないのと、話を聞きたいこともあって、ここに来ていた。

 しばらくすると「誰~……?」と、眠そうな声が聞こえてきた。

「昨日、会った者です。携帯電話をあずけた……」

「あぁ……」中でもそもそと動く気配がして、ドアが開く。

 昨日の女性だけれど、髪は染色を落とし、ワックスも切れているので、洗った後のポメラニアンのようだ。ただ、グレーの下着姿……といっても、それはオシャレやセクシーではなく、幅広のスポーツブラに、パンツも幅広でしっかりと腰をカバーするタイプのそれだ。

「どうぞ」と呟くと、さっさと部屋の中に消える。ボクも「お邪魔します」と部屋へ入った。

 ワンルームタイプのようで、玄関の衝立から中を覗くと、角がもうぐちゃぐちゃになった革製のソファーと、古さ以外は立派にみえる社長机があって、事務所として利用しているのは確かなようだ。ただ、ソファーには毛布が乱れていて、テーブルにはカップ麺が食べ残しのまま置かれている。生活臭も同じぐらいする。

 女性はどうやらシャワーを浴びているようだ。ボクも居心地が悪く、もじもじしながら、ソファーに座って待つこととなった。


 シャワー室から出てきた女性は、先ほどと同じ下着姿だけれど、乾き切れていないうちに身につけたため、所々に濡れて濃くなった部分もあり、妙に生活感を滲ませていて艶めかしい。

 ボクが目を背けると「あれ? 童貞?」と、不躾な質問をしてくる。

「来客ですよ。服を着て下さい」

「水着より隠しているでしょ? 意識する方がエッチよ」

 女性はどさっとソファーにすわり、片足で胡坐をかく。

「昨日の彼はどうだった?」

「それが……。様子が変なんです。ずーっとぼーっとして……」

「でも、連れて帰って来られたんだ? よかったじゃない」

「……その、あの世界って何なんです?」

「君たちには、色々と説明しないといけないみたいね……」

 女性は立ち上がり、部屋の隅にある冷蔵庫から、自分で煮だしたらしい麦茶をもって戻ってくる。ボクにも「飲む?」と差しだしてくるけれど、容器の汚さと、欠けたコップをみて「遠慮します」

 昨日から置きっ放しだったコップに麦茶を注ぎ、一気に飲み干して「ぷは~ッ!」と、まるで麦でできたお酒のようにしてから、女性は語りだした。

「私は藤原 伊瀬――。このイセ怪現象研究所の所長よ。アナタたちもみた、あそこを私たちは裏世界――。そう呼んでいるわ」

「裏……?」

「私たちはこちらにいるから、向こうが裏。でも、世界の成り立ちからすると、どうでしょうね。表裏のようで、時おりメビウスの輪のように繋がる。私たちが迷いこんだのは、そういうところ」


「異世界……ですか?」

「好きに呼べば? 特定の、決まった呼び名があるわけじゃない。でも、太古そこは〝黄泉〟と呼ばれていた」

「黄泉の世界……という奴ですか?」

「世界……というと、意味がちがうわね。黄泉とは常世の一部であり、国という認識をもっていた。つまり地平がつながるけれど、領域は別――。行き来するのは難しいけれど、決して隔絶されていない。だから火の神を産んで、死んだイザナミを迎えにいけたのよ、イザナギは」

 伊瀬はそういって、ニヤッと笑う。

「その黄泉に、顔の下半分が腐り落ちた女の人が……」

「多分、それは腐朽――。分かり易くいうと、ゾンビ。ただ、ゾンビとはちがう部分もあって、心臓が動いている」

「それって、ゾンビなんですか?」

「心臓が動いていても、かつての性質、記憶をすべて書き換えられていたら、それを何というのかしら? 私たちは〝腐朽〟と呼ぶけれど、ま、一般的な業界ネームってところね。

 そうなる原因も、理屈も解明されていないけれど、確かなことは腐朽からの物理的な攻撃をうけ、負傷をすると、数分で感染をするように腐朽へ変貌してしまう。それはもう別人格――」

「待って下さい。じゃあ、相方は……?」

「咬まれたのよね。菌が回ったのよ。昨日、打ったのは特殊な薬剤、でも治癒する効果はない。あれ、高いんだからね。一本、百万円」

「ひゃ、百万……」

「消費期限がぎりぎりで、処分寸前だったから、これでもディスカウントしたつもりよ。でも、腐朽にならずに済んで……」

 ふと、伊瀬は眉をひそめる。「調子が悪い?」

「はい。今朝目を覚ましてからもぼーっとして、心ここにあらず……というか、目も虚ろで……」

 伊瀬は少し考えこむと、顔を上げて「ねぇ、彼はどこ?」


 しだれ荘、參號室――。

 そこがボクの暮らすアパートだ。二階建てだけど、鉄製の階段、二階の通路も錆がひどく、今では一階しか貸しだされていない。六畳一間で、後付けのユニットバスと大きな収納もあって、売れない芸人にとっては十分な住まいだ。

 部屋に入ると、そこに八馬女はいなかった。でも交通整理のコートは壁にかかったままだ。

「コンビニにでも行ったのかな……?」

 ボクの脇をすり抜け、部屋へと上がった伊瀬は、八馬女の寝ていた布団に鼻を押し付けるように、匂いを嗅ぐ。

「本当に、境界を渡ってきたのよね?」

「ええ。一緒にこっちに来ましたが……」

「ヤバイかもね。手分けして探しましょう。見つけたら連絡して」

 そういうと、伊瀬はボクにスマホを投げて寄越した。そして、そこにはすでに伊瀬の番号もしっかりと登録されていた。


「きゃーーッ!」

 アパートを出ると、女性の悲鳴が聞こえ、近づくと庭にすわりこんでいる八馬女の姿があった。庭にでたら、いきなり男が座りこんでいれば、悲鳴を上げられても当然で、八馬女はそこに大人しくしていた。

「ごめんなさい。ちょっと目を離した隙に、こいつ……」

「アンタの友達? 大丈夫なのかい? 薬でもやっているんじゃないの?」

 時おり顔をみかければ、会釈するぐらいの顔見知りで助かった。ボクも、八馬女を連れていく。

 ふたたびボクの部屋で、伊瀬と合流した。

「エロ本はないの?」

「や、やめて下さい。連れてきましたよ」

 ちなみに昨晩、八馬女を部屋に寝かせた後で、小町は彼女のマンションまで送っていった。今日は仕事に行っているはずだ。

 八馬女は大人しくそこにすわった。でも目は虚ろなまま、首のケガも、血は流れていないものの、逆に瘡蓋にもならずに、治りが遅いように見えた。

 伊瀬は近づくと、やはり彼の首の辺りに鼻を近づけて、そこの匂いを嗅ぐ。

「これは……ヤバイね。彼、もう腐朽になりかけているよ」


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