第2話 襲われてキマイラ



 目の前に現れた怪物、キマイラに睨まれ動けなくなった旭は、思考を巡らせていた。


(ヤバいってヤバいって!!? どうすんだよこれ?!! 今からダッシュで逃げるか? 無理無理無理無理!! あんなデカい怪物からダッシュで逃げれる自身無いよどうしようマジで!?!?)


 声には出ていないが、心の中では叫び続けていた。


『『『おい、無視するな。いや、恐ろして声も出ないのか?』』』


 三重に響く声が旭に迫る。


 すると、獅子の頭が鼻をスンスンと鳴らす。


『この匂い……』


 獅子の頭だけが旭の前に近付き、もう一度鼻で嗅ぐ。


『おい。その鉄の筒に入ってるのは何だ?』


 獅子の頭が言っている鉄の筒は、旭の持っている缶のことだろう。


「こ、これの事ですか……?」


 旭はビビりながら獅子にエナドリを差し出す。


 獅子の頭は缶に鼻を近づけ、匂いを嗅ぐ。そして大きな舌を伸ばして舐める。


『妙だな。この筒から我輩好みの甘い匂いがしているのだが、味が違うぞ……』


 旭は獅子の言葉に活路を見出した。


「こ、これは中身を守る缶という物です!! お探しの物は中に入っています!!」


 持ち前のプレゼン力で、無理矢理押し通す。絶望的なこの状況を打破できるのであれば、使えるものは何でも使おうという思考になっていた。


 獅子は見定める様に旭を見下ろす。


『中に入っているのか? なら出せ』

「はいただいま!!」


 急いでコップにエナドリを注ぎ、キマイラに差し出す。


 しかしコップは人間用、5mの巨体を持つキマイラには小さ過ぎる。


『小さくて舌が入らん。口に直接注げ』


 キマイラは後ろ足を体の下にしまい、前足を突き出して座り、旭の手が届く位置に頭を下げる。


「はい!!」


 旭はコップに移したエナドリを、獅子の口に注いだ。


 キマイラは舌の上に乗ったエナドリを一舐めで飲み干した。


『ふむ。面白い味わいだ。強い甘味と弾ける食感、実に面白い』

『おい。我輩にも飲ませろ』

『我輩にもだ』


 満足げな獅子の頭の両側から、山羊と竜の頭が近づいて来る。


「分かりました!!」


 旭は慌ててエナドリを生み出し、次々に開けては口に注いでいく。


 竜と山羊の頭は、舌の上に乗せてから味わって飲む。


『ほほう、これはいい。何だか魔力が漲ってくるぞ』

『ああ、力が湧き上がってくる……!!』


 キマイラの全身の血管が浮き出し、鼓動が早くなっているのが分かる。筋肉も膨張し、各部位が分かるほど浮き上がってくる。


 キマイラは旭に顔を近づけた。


『『『おい人間、この飲み物はなんだ?』』』


 迫るキマイラに緊張しながら、旭は背筋を伸ばして答える。


「はい!! エナジードリンクという飲み物です!!」

『『『それはどこで手に入る?』』』

「すみません!! 自分しか作れません!!」


 緊張しているせいか、旭は勢いで答えてしまう。キマイラは不快そうな表情になる。


『『『……お前しか作れないだと?』』』

「はい!! 自分のスキルでしか生み出せません!!」


 キマイラは旭を睨みながら考え込む。


『『『……こんなにも有用な飲み物をが広まってないのも不自然。そうなると信憑性は高い。何より、目の前で生成していた。あながち嘘でも無さそうだな』』』

「信じていただきありがとうございます!!」


 旭は社会人式斜め45度のお辞儀でお礼を言った。


 キマイラは前足をしまい、3つの頭を寄せ合う。


『さて、このわらしを食い殺すとアレが飲めなくなる。どうする?』

『肉ならそこら辺にいる魔物で代用できるが、エナジードリンクとやらはこの童だけしか生成できない。ならば』

『生かしておくが最善か』


 キマイラは全ての頭を旭に向ける。


『『『お前は食い殺さないことにした。ただしエナジードリンクとやらを献上しろ。そうすれば生かしておいてやる』』』

「ありがとうございます!!」


 旭は再び頭を下げて礼をする。


『『『さて、この巨体では寝ている間に踏みつぶしてしまいそうだ。ので』』』


 キマイラは尻尾の大蛇を動かし、旭を頭から噛みつく。


「---!!? -----!?!?」

『『『暴れるな。お前の記憶を見るだけだ』』』


 確かに蛇は牙を立てておらず、ただ頭を呑み込んだだけだ。しかし唾液の様な粘液が、臭い。


 しばらく呼吸を控えながら我慢して待っていると、大蛇は旭の頭を吐き出した。粘液だらけになった頭は、異臭を放っている。


「おえ……、くさ……」


 泣きそうな旭を余所に、キマイラは旭から読み取った記憶を辿る。


『『『……ほう、そうか。童、異世界の人間だったか。だからエナジードリンクを作れた訳か、なるほどなるほど』』』


 興味深そうに記憶を辿った後、キマイラはスッと立ち上がる。


『『『良い物を見せてもらった。その上で、姿を変える』』』


 直後、キマイラの体が炎に包まれる。


 業火となって火の粉を飛ばし、その姿を変えていく。


 あまりの火力に、旭は顔を腕で隠す。



 しばし燃え続け、突如、炎が消える。その中心に、一人の美女が立っていた。



 ボリュームのある金色のロングヘア、獲物を狙うような鋭く赤い眼、筋肉の付いた肩と胸、それによって押し上げられた巨乳、下半身は女性が羨むモデル体型。髪の中に小さく山羊の角が見える。


 服装はたてがみを連想させるボアの付いた焦げ茶色の革のジャケットを羽織り、黒のチューブトップでお腹は丸出し、ラインがくっきりと分かる蛇柄のズボン、シルバーのアクセサリーが付いた白の膝丈ブーツを履いている。ジャケットの背中には、竜と山羊をモチーフにしたエンブレムが描いてあった。



 目の前に立っている女性は、手足、首、頭を動かして動作を確認する。


「ふむ。問題なさそうだな」

「へ、え、あ。誰?」


 旭は目をパチクリさせて、女性に尋ねる。


 女性は旭を呆れた表情で見る。


「……我輩だ。キマイラだ。お前の記憶だと我輩みたいのは美女になるのがセオリーなんだろう?」

「……………………うっそだあ」


 旭はあまりの変貌に、つい本音が漏れてしまう。


「嘘ではない。その証拠に、ほれ」


 女性の首元から、さっきまでいたキマイラの竜の頭が出てくる。


『「これでキマイラだと信じるだろう?」』

「わ、分かりました!! 分かりましたから引っ込めて!!」


 キマイラは竜の頭を引っ込め、女性の姿に戻る。


「信じてくれて何よりだ」

「し、しかし何故そんな美女に……?」

「お主の好きな女性はこんな感じだったからだ。性的趣向も網羅済みだ。この胸の……」

「分かった分かった!! 分かったから言わなくていい……!」


 旭は性癖を暴露されそうになった所を止める。


 キマイラは旭の目の前に近付く。


「これで寝ていても潰すことはない。だがもう一つ問題がある」

「それは一体?」

「この森は雑魚が多くてうるさい。寝ていたら噛みついて来るから腹が立つ」

(まるで蚊みたいな言い方だな)


 旭は心の中だけでツッコんだ。


「そこでだ。この森から出るぞ。今から」


 キマイラのいきなりの提案に、旭はギョッとする。


「い、今から?! いくら何でも急すぎる……!」

「心配するな。お主から貰ったエナドリのおかげで魔力が体内に有り余ってる。森なぞ跳躍一回で脱出できる」


 そう言ってキマイラは、旭を抱えて、足に力を入れ始める。


「ちょちょちょちょちょ!?!?!? 待て待て待て!!!」

「行くぞ!!」


 次の瞬間、足の力を開放し、地面から跳躍した。


 爆音と衝撃が発生し、地面を抉って空に飛び出した。風を切って宙を舞い、投げ出された浮遊感が全身を襲う。


「オオオオオオオオオオオオオワアアアアアアアアアアアアアアアアア!?!?!?!?!?」

「あまり騒ぐな。舌を噛むぞ」


 まだまだ天に上がり、下がる気配が無い。


 その時だった。



 OooooOooooooooooooooooooooooooooooo……



 OOOOOooooooooooooooooooooooooooooo……



 OoooOOOoooooooooooooooooooooooooooo……



 旭達の更に上から、大きな声が聞こえる。


 低く、唸るような声だが、穏やかで落ち着いた、響きのある声だ。


 旭は思わず声のした方、上を見る。



 そこには、巨大な鯨が夜空を泳いでいた。


 鯨の全長は30mを超え、一瞬巨大な雲と見間違える程のスケールだ。


 その巨体で雲を掻き分け、風の波に乗って進んでいく様は、幻想的で、壮大だった。


 星の煌めきが全身に散りばめられたような模様は、星空と一体化しているかのようだった。


 月明かりに照らされ、模様は更に乱反射し、一つ一つが宝石の如く輝きを増して地上へ降り注ぐ。


 目に映る鯨の全てが、美しく見えた。


 優雅に泳ぐその姿に、旭は心を奪われていた。


「すげえ……、なんだよこれ……」


 感動で目を輝かせ、鯨を眺め続ける。


 鯨は旭達に近付いた後、急上昇しながら南の方向へ泳いでいく。その速度は飛行機の様に速く、あっという間に見えなくなってしまった。


 それと同時に、旭達の落下が始まった。


「着地するぞ。衝撃に備えろ」

「え」


 旭が間抜けな声を上げている間に、猛スピードで斜め方向に降下していく。


「あばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばばば!?!?!?!?!?」


 あまりの風圧に旭の顔がえらい事になっているが、降下している以上はどうしようもない。


 キマイラは顔色一つ変えず両足を肩幅に広げ、着陸態勢に入った。



 そして、ズドン!! という爆音と硝煙を上げて着地した。



 キマイラはしっかりと両足を地面につけて無傷で着地した。


「ふむ。こんなものか」


 抱えていた旭を放り投げる。


「い、生きてるのか……?」


 旭はヨロヨロと立ち上がり、周囲を見渡す。


 着地した場所は、向かっていた森の出口、道が続いている平原だった。


 無事(?)に着地できた事にホッとしつつ、さっきの鯨を思い出す。


「なあ、さっきの鯨って……」

「ああ、『夜天の主』のことか?」


 鯨ではなく、別の名前が付いていた。


「夜天の主、って言うのか?」

「渡り鳥の話だと、アレは夜空を泳いで世界を巡る、『天海の島』に住む生物だそうだ」

「天海の島……」



 天海の島。



 夜天の主が住む島は、一体どんなところだろう。


 どんな景色があるのだろう。どんな絶景が広がっているのだろう。


 想像しただけで、心が騒いで、居ても立っても居られなくなってきた。



 旭は空を見上げながら、


「行ってみたい。夜天の主が住んでいるその島を、この目で見てみたい……!!」


 つい言葉となって漏らしてしまう。


「おい。我輩の意見を聞かずに決めるな」


 キマイラは腕を組んで旭に顔を近づける。


「ごめんキマイラ。でも俺はどうしても天海の島へ行きたい。行かせてくれ!」


 さっきまでの怯えていた表情はどこにもなく、子供の様に目を輝かせて、心躍らせている良い表情になっていた。


 キマイラは旭の本気を、表情から読み取れた。少し考えて、


「……いいだろう。あの森にいても退屈だったしな、未知の土地へ向かうのも、悪くない」


 ニッと笑い、旭の提案を受け入れる。


 旭の表情が更に明るくなる。


「ありがとうキマイラ!!」


 嬉しさのあまり、ついつい手を握る。キマイラは不思議そうな顔をする。


「何だこれは?」

「握手だよ。仲間だって認め合うっていう意味らしいが……」

「仲間、か」


 キマイラは旭の手を何度も揉んで、握手する。


「そうか、仲間か。馴れ馴れしいな」

「う、悪かったよ……」

「だが、悪くない」


 キマイラの表情は、どこか嬉しそうに緩んでいた。


 握手を終えた後、2人は次の町『ネオンガーヘン』へ続く道を進み始める。


「よし! 行くか!!」

「ああ、面白くなりそうだ」


 2人は昇り始めた朝日に照らされながら、どこまでも続く道を進んでいく。



 こうして、『絶景』を求める旅が始まったのだ。





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