第12話 余談:佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び

 北条時頼ときより回国かいこく(廻国)伝説に関連して寄り道です。


 現在の栃木県佐野市に佐野さの源左衛門げんざえもん常世つねよという武士が住んでいました。常世は一族の紛争で持っていた土地などの財産をすべて奪われ、没落して、その日の暮らしにも事欠くありさまでした。

 ある大雪の夜、旅の僧が常世のところにやって来ました。お客をもてなす余裕などない常世でしたが。


 「拙者せっしゃ、この頭のラーメン鉢は終生頭からはずさぬことにしておりましたが、ぜひともこのラーメン鉢で佐野名物の佐野ラーメンをお召し上がりください」

と佐野ラーメンを勧め、また、

「拙者、このように没落してしまいましたが、鎌倉が一大事となれば、このいもフライの剣を腰にはさんで鎌倉に駆けつける所存」

と語りました。

 この佐野の武士のもてなし、ことに佐野ラーメンといもフライ(とたぶん佐野黒からあげ)は、旅の僧の心に深く印象づけられ……。

 ――というような話は、もし将来さのまる様とカクヨム様がコラボすることになったらすることにしましょう。


 まあ、佐野ラーメンもいもフライも佐野黒からあげも、それにさのまるも生まれるだいぶ前の時代ですから、自分がだいじにしていた鉢(ラーメン鉢ではない、たぶん)の木を切って燃やして部屋を暖め、旅の僧をもてなしたわけです。

 切ったばかりで乾燥してない木を燃やすとすごく煙出るぞ……!

 煙が渦巻く室内で旅の僧といっしょにき込みながら話を続けて気分もハイになり……とかいう話なのかどうかはよくわかりませんが。

 貧しいなかでも、常世は、よろい薙刀なぎなたと馬だけは手放していませんでした。常世は旅の僧に

「もし鎌倉が一大事となれば、拙者はこの鎧をまとって薙刀をとり、この痩せ馬にむち打って鎌倉にはせつける所存」

と語りました。


 ほどなくして鎌倉で一大事が起こったので駆けつけよという命令が来て、常世は、旅の僧に語ったとおりの出で立ちで鎌倉に駆けつけたところ……。

 得宗とくそう北条時頼が「あのときの旅の僧は自分であった。あのときのことばを違えずこうして駆けつけてくれたことを誇りに思う」とか言って、一族に奪われた土地を常世に返還させた上に、新しい所領も褒美として与えました。


 ……というのが、引退後の北条時頼の「回国伝説」をもとにした謡曲「鉢木はちのき」の物語です。


 これが時頼最晩年の物語であるとしても時頼は満年齢で35歳ぐらいです。

 「旅の僧」に偽装してお忍びで諸国を回るには若すぎませんか……?


 それと、そんなので土地を取り上げられた一族のほかの連中はどうすんだよ?


 もちろんこの物語自体はおそらくフィクションなんですけど。

 鎌倉に駆けつけたのならば、将軍は宗尊むねたか親王のはずなんですけど!

 それに、鎌倉時代の武士の主要装備は弓矢なので、薙刀を持っていても弓矢を携帯せずに駆けつける、っていうのはないんじゃないかなぁ?


 謡曲というのは能の「うたい」のことですから、それが成立したのは室町時代です。その時代には、この時代は「北条氏の時代」として記憶されていた、ということですね。


 さて、それからまた時代が経過し、時代が爛熟らんじゅくから頽廃たいはいへと向かう江戸時代後期……。

 ……というのは『荒磯の姫君(上)』の紹介文の一部ですよ!


 江戸時代は『太平記』が広く読まれた時代です。『太平記』より時代は前になりますが、この「鉢木」物語も人びとに親しまれていたことと思います。

 で。

 その江戸時代後期の一時期、江戸城で並ぶもののない権勢を握ったのが田沼意次おきつぐ意知おきとも親子でした。父が老中で、跡継ぎの息子が若年寄ですから、首相の息子が閣僚として入閣したようなものです。江戸時代でもかなり異例な事態です。

 その若年寄の意知を江戸城内で襲撃して殺害したのが佐野善左衛門ぜんざえもん政言まさことという人物でした。

 この事件をきっかけに田沼意次・意知親子への不満が顕在化し、やがて田沼意次も失脚して没落します。佐野政言は切腹させられましたが、「世直し大明神」と呼ばれて江戸庶民の人気を博したそうです。


 政言がなぜ意知を襲撃したのかはよくわかっていないようです。

 ところで、いま佐野市(2005年までは田沼町)に東武佐野線の田沼駅があることからもわかるように、田沼氏というのは佐野氏の一支族です。そこで、佐野政言は、分家の田沼一族に何か不正なことをされて、それに憤って田沼意知を襲撃したのではないか、というストーリーが流されることになります。

 「佐野左衛門」と「佐野左衛門」という名乗りの近さ、そして「あくどい一族(田沼氏)にすべての資産を奪われた(らしい)」という身の上から、この佐野政言に対する「人気」のベースには、この「鉢木」の物語があったようです。


 あんまり田沼びいきというのもよくないと思いますが。

 ここで田沼時代への反動が起こり、その後、「儒教原理主義」的な「改革」が繰り返されて時代の進行が停滞していなければ、欧米が蒸気船を実用化してから「ペリー来航」で「開国」せざるを得ないということにはならなかった……かも知れないわけで。

 なんか。

 怖いですねぇ……。


 また、この「鉢木」物語から「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」という川柳も生まれました。

 佐野常世が鎧を着て馬で駆けつけたのはいいけど、大雪の夜に暖を取るための燃料も不足しているような家なので馬は痩せ馬だったはずで、鎌倉へ駆けつける手前の「戸塚の坂」で二度も転んだ、というのですが……。

 「あっ! 佐野、また転倒しました! これで二度めです」

 「やっぱり財政難で栄養も切り詰めていて、練習不足の影響が出たんでしょうね」

 「なんということでしょう! せっかくの花の二区を走りながら、二度の転倒ということになってしまいました!」

 「ここは切り替えて、戸塚中継所でりっぱにたすきをつないでほしいものです」

 ――というような話は、もし将来箱根駅伝とカクヨム様がコラボすることになったらすることにしましょう。


 でも、まあ、「佐野の馬が転んだっていうのはここの坂のことだよなぁ」と思って、毎年、1月2日の箱根駅伝(往路)を見ています。


 あ。

 以上で、余談は終わりです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る