第12話
月曜日、初めてのハナちゃんとの休日が終わり、憂鬱な平日の頭。私は努力してなるべく早くに帰れるようにした。
寂しい思いをしていないか大変心配だったが、私はそれとは別の心配わすべきだったのかもしれない。
ハナちゃんが眠るコタツのあるリビングは、少し和風の趣のある。懐かしさを感じる部屋だった。
リビングに入って直ぐ目に入る位置にある襖がビリビリに破かれていた。それはもうビリビ。リに。
猫を飼っている人なら覚えがある光景なのではないだろうか。特に何もかかっていない壁紙が引き裂かれているのを。
猫であればある程度は許容範囲だが、生憎うちは人間なのだ
襖は、もはや仕切りという役割を担えないくらいボロボロになっていた。
「ハナちゃんの手、無事かなあ」
あまりの惨状に、私は怒りや驚きを超えて、心配していた。実際のところ、素手で襖に私が出入できるくらいの大穴を空けるとなると怪我の1つや2つあってもおかしくない。
「ハナちゃーん?」
もはや意味は無いが、サッと襖を開けて上段を確認する。普段はコタツ用の布団を入れているので、今は空っぽのはずなのに何かがあった。
「これは?」
ハナちゃんが猫の時に、机に登りやすいように買った縦10センチ、直径程20センチの小さな円柱の椅子だ。
2リットルのペットボトルより少し軽い位のその椅子が襖の中に転がっている。
「あー」
投げた?
なんというヤンチャっぷり、よほどのことがあったに違いない。そして私は、その余程のことに心当たりがあった。
平日が始まったことによる、豆ご飯の再来である。
仕事が始まって料理をする暇がなくなったからだ。とはいえ気を使ってふりかけをかけてあげたし、いつもよりは味のついた豆だったはず。
ちょっと怒られるかなとは思っていたが、まさかリビングの襖に椅子をぶん投げるとは思わなかった。
「ハナちゃーん?」
襖の残骸は一旦置いといて、恐る恐るコタツを開ける。そこには気持ちよさそうに寝ているハナちゃんの姿があった。
不貞腐れた感じで寝てるかと思ったのに、何事もなかったように眠っている。
そっとコタツを閉じる。
「…………」
猫なら、いい。
まだ私が被害を被るだけならいい。
しかし今後ハナちゃんが外に出て、人間として生きていくとしたら、どうだろう。
ストレスを感じたら物を投げてくる。もしくはどこかに投げつける女の子に成長してしまう。
元猫だから、と説明して納得する人はどれほどいるだろう。
私はひどく悩んだ。頭を抱えてうずくまって、悩んだ。
「叱るか」
心の底から嫌だ。なんせ悪いのは私なのだ。
あまりいいイメージがなくても、コンビニで買っておくできだった。
私も謝る。でもハナちゃんも反省しなければならない。
「心苦しいがこれでいこう」
私はある物を作るために、急いで台所へ向かった。
晩ご飯用に買ってきたスーパーの惣菜を机に置いて。
なるべく音をたてないように料理する。匂いを出さないように台所の扉を閉めておく。
寝起きドッキリとは違うが、絶対にハナちゃんにバレる訳にはいかなかった。
それほど時間のかかることではなかったため、私は出来上がったそれを隠して、眠りについた。
「にゃあーん」
私はハナちゃんのねだり声で起きた。
ハナちゃんの両手が私の肋骨を圧迫している中で、時計を見ると時刻は7時を回っている。
「にゃにゃーん」
あら可愛い。
でもご飯の前に言うことあるんやわ。
「ハナちゃんごめんね、どいてねー」
机の横で眠っていた私はむくりと起き上がり、襖の前に立つ。
未だに言葉の通じないハナちゃんに、どうやって間違いを指摘しようか考えた。でも分からなかった。
ということで、私は怒ることにした。
「んー!」
襖を指さしながら、ハナちゃんを少しびっくりさせるくらいの声を出す。
「んっんー!」
怒っているということだけ伝わればいい。
怒っているという事実が、やってはいけないことをした、と理解させる。
人間ではないからこそ、伝わりやすい。
「うー」
ハナちゃんは不機嫌そうに、納得してなさそうに唸った。
口をへの字に曲げて、眉をしかめて、唸った。
そしてその不満は正しい。
だがやっていいことと悪いことの区別はつけれるようにならないといけない。
だから私は、台所に充満する美味しそうな匂いにヨダレを垂らしている、今のハナちゃんに最も効くであろうことを試した。
「………………」
ハナちゃんは絶句していた。口を半開きにして、目の前の光景に絶望した表情を浮かべていた。
それもそのはず、ハナちゃんに出した晩ご飯は、白米のみ入ったお茶碗だった。ふりかけどころか、豆も、水すらない。
ハナちゃんはちらりと私の方を見る。
今にも泣き出してしまいそうな悲壮な表情をしながら。
私は胸に痛みを感じながらも、それから顔を逸らした。
口をへの字に曲げて、眉をしかめながら、ふんっとハナちゃんから顔を背けた。いかにも怒っている人間風に。
「にゃあーん!にゃーん!」
ハナちゃんはこちらを向いて、私の袖を掴んできた。身体を揺らして必死に嫌だと訴えてきた。
私はその手を払い除けた。私は最低だ。
ねだりが無駄だと気づいたハナちゃんは、湯気がたつ白米を見ながらがくりと肩を落とした。
ハナちゃんの眉は八の字に曲がって、ついには涙を流してしまった。
これを食べたら終わりではなく、これからずっと白米のみ、そう思ったのかもしれない。
ハナちゃんは落胆した表情で、スプーンを手に取り白米を食べようとする。
そんなにショックを受けることなのか、そう思う人は多いかもしれない。でもハナちゃんは色々特殊な状況にいる。
5日間白米と豆のみ食べさせられて、土曜日曜と味の濃いものばかり食べて、月曜日に白米だけが出てきたらそれはもうショックなことだろう。
これは鞭のつもりだった。まさか泣き出してしまうとは思わなかった。
私はポンポンとハナちゃんの頭を撫でる。
一旦白米を下げてハナちゃんの涙を拭く。勿論笑顔を浮かべて、だ。
「ごめんね、ちょっと待っててな」
私は冷蔵庫に隠していた物を取り出す。
少し冷えてしまった白米とそれを並べてオーブンで数10秒間温めた。
温め終わると、それをハナちゃんの前に置いていくつかの調味料を並べる。
見るとハナちゃんはまた涙を流していた。
怒っていない私を見て安心したのか、それとも目の前に出された美味しそうな匂いを放つ、見たことも無い黄色の食べ物に感動したのかもしれない。
ということで今日は卵焼きを用意した。
といっても急遽作ったこと、料理への理解が浅いことを含めて、イマイチな出来のスクランブルエッグだ。用意した調味料は塩胡椒とケチャップである。
まずは胡椒をかけて、ハナちゃんが握りしめているスプーンにそっと置く。ハナちゃんはおそるおそる口に入れた。
ふわふわとしているが、ホットケーキのような甘さはない不思議な味が塩胡椒によって非常に塩辛いおかずへとなっていた。
「はいどうぞ」
次々とハナちゃんの口に卵焼きが吸い込まれていく。そして4口目、全体でいうと3分の1を消費したあたりで一旦ストップして、代わりに白米を置く。
塩辛いスクランブルエッグを食べたハナちゃんの口が白米を求めていると思ったためだ。
白米を食べた瞬間に、ハナちゃんは驚きカルチャーショックを受けた。あんなに躊躇っていた白米をそのままの勢い2口、3口と食べた。
次に私は、ご飯の上に残った卵焼きをかけて、上からケチャップを垂らした。ご飯を炒めていなかったり、スクランブルエッグであったり、不格好もいいところだ。
しかしハナちゃんは気に入ってくれたようで、がつがつと口に放り込んでいく。
半分ほど食べた時点で、ハナちゃんは私が改めて用意した水を一気に飲み干した。
その仕草を見て私は、ハナちゃんお酒とか飲めるのかな、と思った。まだまだといってもあと6年、そう遠い話ではない。
酔ったら元に戻って暴れたりしたら、とかちょっと心配だ。
ましてやそれが通常運転だったら……。
「…………ハナちゃん」
ハナちゃんが食べ終わったことを確認して、私は話しかける。怒りではなく親しみを込めて。
あのスクランブルエッグが、平日の午前中に出すことのできる限界だ。それでも精一杯作ったし、美味しそうに食べてくれた。
「俺料理できないけど、もうちょっと頑張るから、夜だけじゃなくて朝も昼も美味しいご飯食べさせてあげられるように頑張るから、だから……今日はごめん」
言葉が伝わらないことは分かっている。理解して貰えないことも分かっている。それでも私は、きちんと言葉で伝えたかった。
ハナちゃんは何も言わずに私をじっと見ている。
「もう怒ってないよ……ハナちゃん、愛してる」
愛しい愛娘に、気持ちを伝える。
言葉が通じていなくても、まるで縁のなかった。初めて口にするその言葉が恥ずかしくてつい頬を赤らめてしまう。
「なーん」
おかわりは?もうないの?と言っているようにも聞こえるその声が、おかしくって思わず笑ってしまう。照れ隠しとも言えるその笑いに対してハナちゃんは首を傾げていた。
しかしその日を先に、ハナちゃんが物にあたることはなくなった。
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