第9話
ハナちゃんはしばらく2足歩行の練習をした後、疲れてこたつで眠ってしまった。
身体がかなりしっかりした身体であることもあって、2足歩行になるのにそれ程時間はかからないだろう。
そういえばネットで猫について調べている時知ったのだが、猫の味覚では甘味を感じることがないらしく、本当の意味で生まれて初めての甘みだった訳だ。
さぞかし美味しかったことだろうな。
角崎は他人事のようにそう言った。
料理教室に行くか行かないかは一旦置いといて、この先ハナちゃんが甘い物しか食べなくなる、なんてことは避けなければ。
とはいえ、朝ごはんにメイプルシロップのかかったホットケーキを食べるという行為は至って普通の、ありふれたものだ。
何の味付けもされていない白米と豆を3食食べていたこの5日間に比べれば、何ら不思議はない。
朝食に甘いパンを食べ、少し運動した後に最適な食べ物はなんだろう。
次はハナちゃんに甘味以外の美味しさを感じてもらいたい。
お肉、カレー、ラーメン、唐揚げ。
どれも最初にしてはハードルが高いような気がする。
食べやすくて、美味しくて、かつ作りやすい。
「…………」
私はおもむろに携帯電話を取り出し、レシピを調べた。
ということで今回私が作るのは、焼きおにぎり。
まずお米を炊きます。
3合、約60分。
現在の時刻は11時30分、ちょうどお腹が空く時間帯に炊けるだろう。
待ち時間にネットで拾った醤油ベースのたれを作る。
大して難しいものではないので、ささっとお椀に調味料を入れて待機する。
ご飯が炊き上がったらボウルで米とたれをかき混ぜ、おにぎりの形に握る。
フライパンで両面を美味しそうに焦がして、完成。
3つの香ばしい匂いの焼きおにぎりが皿に盛られる。
朝ごはんを食べていないだけに、食べさせろ、と言わんばかりの大きな音で腹の虫がなる。
「1個だけ……食べようかな」
目の前にある好物を、1つ手に取ろうとした瞬間。
「にゃあーん」
また匂いにつられて1匹の可愛らしい美少女が釣れた。
デジャヴというやつだ。
「ハナちゃーん、こっそり食べようとか考えてないから大丈夫だよー」
慣れた手つきでハナちゃんを椅子に座らせる。
前回よりも背筋が伸び、私もそれほど強い力を入れなくてよくなっていた。
焼きおにぎりを箸で2つに割り、熱々の中身を冷まさせる。
「にゃうあうあう」
「あらハナちゃんよだれでお口がたぷたぷでしゅねー」
ハナちゃんの頬を触ろうとすると、焼きおにぎりの匂いがするのかぺろぺろと私の手のひらを舐めてきた。
かわい。
私は1口サイズに調節した焼きおにぎりをスプーンの上に乗せ、ハナちゃんに食べさせる。
「あーん」
「あーーん」
ハナちゃんははふはふと口の中で適度に冷まし、焼きおにぎりを味わう。
とても美味しそうだ。
ホットケーキとは違って、純粋に美味しい物に出会った子供のように、目を輝かせて食べている。
感覚的には鰹節と似ているのだろう。
私がスプーンを差し出す前に取って食べてしまいそうな勢いで、焼きおにぎりが消費されていく。
「……それにしても美味しそうに食べるな」
表面の焦げてカリカリした部分が美味しいんだよなー。
しょうゆを基調としたたれが染み込んだ米が若干の焦げの風味と共に口いっぱいに広がって……。
気づけば私の口からは大量のよだれが流れていた。
「じゅる……ハナちゃんの前でこんなみっともない……」
左手で傍にあるティッシュ箱から2、3枚取ってよだれを拭き取る。
ぐぎゅるるるるる。
もうそろそろ限界だ。
ハナちゃんに食べさせたら急いで自分のも作ろう。
「はい、あーん」
ハナちゃんの口に入っていく焼きおにぎりを見るのが口惜しく、つい目を逸らしてしまう。
スプーンから力を感じなくなり、スプーンがハナちゃんの口から出たことを理解する。
「さて、もう3つ目か」
スプーンで切り分け用とした私の手には、スプーンが握られていなかった。
「え?」
スプーンはハナちゃんが握っていた。
「…………」
ハナちゃんの顔はびっくりするくらいの真顔だった。
何の感情も宿っていない完全な無。
「ハナちゃん?」
ハナちゃんは無表情を保ったまま、握ったスプーンで最後の焼きおにぎりを切り分けた。
あまりに信じられない光景に、私は呆然としていた。
切り分けたおにぎりの1欠片をスプーンですくって、私の前に差し出す。
「なーん」
もしかして、あーんか?
食べさせてくれようとしている?
まじ?
猫としては考えられない行動に私はフリーズしてしまう。
私がちんたらしているのを不思議に思ってか、ハナちゃんは頭をこてんと傾ける。
可愛い。
「ごめんごめん、ちょっと驚いちゃった」
あーん、と焼きおにぎりを食べる。
私は今、ハナちゃんにあーんされている。
そう考えると全く味を感じない。
焼きおにぎりを咀嚼しながら私は考える。
ハナちゃんの人間化が急速に進んでいる。
分からないが、ホットケーキが何かしらのきっかけになったと考えるのが妥当だろう。
「お、おいにい?」
嘘やろまじか。
ハナちゃんが食べさせるときの私の真似をしている。
発音が難しくて「し」が「に」になっているのが凄まじく可愛い。
そんなことを考えてる場合ではない。
急いで返答を。
「お、おいしいおいしい!ありがとうね!」
それを聞くとハナちゃんはニコリと微笑んだ。
「なあいいねー」
「…………」
私は笑顔を浮かべるハナちゃんの頭を撫でた。
ハナちゃんは父親に褒められた少女のように、嬉しそうに微笑んだ。
ふんふんと鼻を鳴らしながら2口目の用意をするハナちゃんは天使のようにような可愛らしさだった。
「なーん」
「あーん、うん!おいしいおいしい」
後から分かった話だが、猫は少しだけ人間が話す言葉を理解することができるらしい。
だからハナちゃんは、「おいしい」や「かわいい」という言葉のタイミングをすぐに理解した。
私はこのことを知った時、早々にハナちゃんを人間として育てると決めてよかったと思った。
私はハナちゃんにあーんしてもらうという状況をこの上なく楽しんだ。
そして、お腹が空いてる私を見て、私に分けるという気遣いを見せてくれたことが何より嬉しかった。
もしかするとさっきハナちゃんが見せた無表情は、少し怒っていたのかもしれない。そう思うとますます嬉しくなった。
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