第8話

ハナちゃんが美少女になった日からはや5日。


ある程度ハナちゃんとの生活も慣れ、以前の穏やかな生活を取り戻し始めていた。


未だに風呂からの着替えは苦戦するが、角崎の協力もあって大きな問題は上手く避けれている。


今日は土曜日、初めての休日。


ハナちゃんが美少女になったのが月曜日だった時は、心底運命を呪ったが、この慌ただしい5日間を乗り越えたご褒美だと考えると、そこそこ割にあってると言えなくもない。


「すーっすーっ」


今私はベッドにいた。

いつものようにセットした目覚まし時計で飛び起き、慌てふためく中、今日が土曜日であることに気づいてから3秒経過した。


正直死ぬほど眠たいが、初めてのハナちゃんとのフリータイムということを考えると眠気など些細なものだ。


「すーっすーっ」


ハナちゃんは相変わらず身体を丸めて、足元で寝ている。


あまり成長に良くないからもっと身体を伸ばして寝て欲しい。


「…………」


「…………」


猫は寝る時、魂が抜けてるのではないかと思ってしまうほど動かない。

そんな訳ないが、え?死んでる?となってしまうのだ。


「ハナちゃーん?」


頭を撫でる。


「んー」


ハナちゃんは目と口をぎゅっと瞑って、頭をグリグリと私の頭に押し付ける。


気持ちいいのか嫌なのか、この反応が猫の時からたまらなく愛おしい。


「ごめんね、ご飯作ってくるから」


朝食の支度をするために、ハナちゃんに枕にされている右足を引き抜こうとする。


「んー」


枕の逃亡を阻止すべく、ハナちゃんは両手で私の右足を掴んだ。

弱々しい力で掴むその小さな手は、鉄のペンチよりもずっと強い拘束力を持っていた。


こんなの剥がせない。


プルルルルル。


私は即座に電話をかけた。


「もしもし角崎、ハナちゃんがめちゃめちゃ可愛いんだ。どうしたらいい」


電話の向こうから笑い声が聞こえた。


「いいことじゃないか。初めてゆっくり過ごせるんだから、可愛がってやるといい」


「う、うん」


「まあ予定は空けといてやるから、何かあったらすぐに連絡しろ。いいな?」


あまり態度には出さないが、角崎はこの5日間でハナちゃんにメロメロである。


姪か、年の離れた妹でも出来た気分なのだろう。

きっと角崎も会いたいに違いない。


「気を使ってくれなくて大丈夫、来たいなら来てもいいよ」


「……………………………………いや…………うーん……………」


な?


角崎がこんなのになるのは珍しい。

それだけハナちゃんが可愛いのだろう。


「…………気が向いたら連絡しよう」


「うんうん、なんなら写真送ってやろうか」


「やめろ捕まる」


流石に冗談だ。


そんなこんなで電話を切り、ハナちゃんを撫でる。


「すーっすーっ」


寝息が大変可愛らしいが、残念ながらそろそろ本当に離れないといけない。


「ごめんね」


ハナちゃんの両手をそっと剥がし、代わりに布団をハナちゃんの頭の下に置く。

ハナちゃんの頭が布団に沈み、顔半分が見えなくなった。


さて今から朝ごはんを作るわけだが、今日は試してみたいことがあった。


猫には毒であると有名なチョコレートは、怖くてまだあげれていない。

しかし甘い食べ物を是非食べてみて欲しいと思い、休日に作ろうと考えた。


台所の冷蔵庫を開け、それを取り出す。


ホットケーキだ。


台所に立ち、前日に用意していたサイト『誰でも簡単に作れるホットケーキ』を開く。


レンジでチンするだけのホットケーキよりも手作りの方がいい。

そう思って材料だけ買ってきたはいいものの、失敗してきた用にレンチン式のも買っていればよかったと後悔している。


「やるしかない」


これも全てはハナちゃんに甘いを感じてもらうため、引いてはその表情を見るためだ。


私は丁寧に準備を進めた。


1時間後、私もお腹が空いてくる頃、非常にいい匂いが辺りに漂い始める。


おかしなことをせず、説明通りに作っていれば、案外何とかなるものだ。


フライパンから皿に落としたホットケーキはとても美味しそうに出来上がっていた。


「にゃあーん」


美味しそうな香りにつられて、ハナちゃんが台所にやってきた。


「ハナちゃん出来たてですよー、ハイ」


私は近づいてくるハナちゃんに向かい、中腰になって手を差し伸べる。


ハナちゃんは未だ四足歩行をしているが、ここ最近の躾の甲斐あって、こちらが手を差し伸べると、手を取って自分から立つようになった。


そっちの方が早くご飯を貰えると気づいたのかか、それとも人間の身体では座って食べる方が明らかに楽だからかもしれない。


なんにせよハナちゃんを回転椅子まで誘導する。


私の支えあってこそだが、数メートルの距離を2足で歩けるようになったのがとても嬉しい。


慎重に椅子に座らせる。


今までほとんど味がないご飯しかあげれていなかったため、美味しく食べて欲しい。


ホットケーキをハナちゃんの1口サイズに切り分けて、メイプルシロップをかける。


ハナちゃん用に買っておいた、先が丸まっている木製フォークで刺す。

ふわっとして食べやすい中心の部分を取った。


パッとハナちゃんを見ると、前かがみになって口の両端からよだれが垂れている。

背もたれから一切動こうとしないハナちゃんが自分から動いた。


「ええ……嬉し」


フォークを持ってハナちゃんにあーんする。


「はいハナちゃん、あーん」


ハナちゃんが大きく口を開けた。


次の瞬間、カンッという高音が耳に響くと共に、フォークの柄の部分から先が消えた。


ハナちゃんの口の中に深く入ったフォークをゆっくりと引き抜くと、ピンッとよだれが1粒はねる。


咀嚼。

ハナちゃんは恐らくは生まれて初めての甘味をじっくり噛み締める。


大きく見開かれた眼は星空のように輝いており、ハナちゃんの体は口元以外ピクリとも動かず、味覚に全神経を注いでいるのが分かる。


この5日間ハナちゃんが食べていたのは、無味無臭の米と豆、ひたすら無表情で食べていたのを覚えている。


毎食ほぼ同じ種類のキャットフードを食べていた元猫だからこそ耐えられた日々の後、このホットケーキを食べたらどうなるだろうか。


私の頭に思い浮かんだのは、後悔の文字だった。


ハナちゃんが美味しいを知ってしまった。

いやそれが目的だったんだが、もう米と豆を食べなくなる可能性が大いにある。


完全に盲点だった。


ハナちゃんは1口目を飲み込み、幸せそうな笑みを浮かべている。


「…………」


こうなったら、とことん美味しいを感じてもらおうじゃないの。


2つ目の欠片をフォークで刺し、ハナちゃんに食べさせる。


1口目が思いのほか痛かったのか、今度はゆっくりとホットケーキを口に入れた。


私はフォークを引き抜いて、即座に冷蔵庫へ向かう。

手にはコップを持っている。


ハナちゃんが2口目を堪能している間にコップに牛乳を注ぐ。


零さないように机に戻ったら、ハナちゃんは3口目を手に取ろうとしていた。


「ノンノンノンノン」


止める。


「んにゃー」


「それなら」


私はハナちゃんの後ろに周り、手を持つ。


フォークをハナちゃんに握らせて、その拳をさらに握る。

ハナちゃんは戸惑っているようだ。


そのままハナちゃんの腕を操作し、3口目を刺して、口に運ばせる。


「こうやって使うんだよ」


「にゃあ」


ハナちゃんはもはやホットケーキを食べることしか頭にないらしく、フォークの先に刺さったそれを口をパクパクさせながら見つめている。


「はい、あーん」


ハナちゃんが口に入れたのを確認してから、握った手を離す。

ハナちゃんはフォークを力強く握っている。


私は牛乳入りのコップを手に取り、ハナちゃんが3口目を食べ終えるのをじっと待つ。


相変わらず美味しそうに食べるハナちゃんは、眼福以外のなんでもない。


ごくん。


飲み込んだ。

そろそろ喉が乾いているんじゃないか?


今度は左手を操作してコップを握らせる。


水を飲むという行為にかなり慣れてきたハナちゃんは、見たこともない白い液体をそっと1口飲む。


美味しい!


そんな声が聞こえてきそうな、まさにカルチャーショックを受けた表情をしたハナちゃんは、牛乳をがぶ飲みする。


そんなに沢山いれていないためすぐに飲み干したが、ハナちゃんはコップを置いて空を仰いだ。


ハナちゃんの目の端から綺麗な涙がごぼれ落ちるのを見た。


そんなにご飯キツかった?

ほんとにごめんね?

これから頑張るから。


ハナちゃんは牛乳を2杯おかわりして、ホットケーキを完食した。


その後満足気な笑みを浮かべながら、椅子の背もたれに身を任せて眠りについた。


え?死んでる?


「ごめんね、そんなに嫌だったとは思ってなかった」


私はハナちゃんの頭を撫でてから、電話をかける。


「もしもし角崎?」


「どうした。何があった」


「一緒に料理教室に行かないか?」


「は?」

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