第3話 にゃん。にゃん。にゃん。
物静かな小道だった。道幅は2人並んで通れるくらいの狭さで、両サイドは背の高い木製の塀がずっと続いている。右側の塀の方だけ、民家の屋根が顔をのぞかせていて、その分だけ日陰が出来ていた。
暑さをしのげるのはありがたい。
陽に照らされている左側の道は避けて、俺は陰のある右側へ。塀に寄り添うような形で、ゆっくりと歩いていく。
知らない道を進むのは緊張したが、ときおり緩やかな曲がり道があるくらいの一本道って感じだった。これなら迷うこともないし、遅刻もしないだろう。
ひんやりとした空気が、火照った体に心地良い。しんとした静けさに、自分の足音がよく響く。ざわついていた気持ちも落ち着いてきて良い感じだ。こっちに来て正解だったな。
「まあでも、普通はこんなとこ通ろうとは思わないよな」
ましてや、登校中の学生ならなおさらだ。まあ、俺は中学生ではあるけども。
「でも俺は……、こういうとこ結構好きなんだけど」
人の視線を気にせず、ボーッと何も考えず歩けるし、それに俺の好きなアイツらがいたりすることもある。
「こういう背の高い塀の上とかさ、とことこ歩いたりしてそう」
目線を上気味にし、塀のてっぺんを見る。
いないか……。
視線を上げたまま、塀の上あたりを左右見渡していく。
そういや小学生の頃、よく小道に入っては、冒険気分でアイツらがいないか探したりしてたな。でも……、中学に入ってから、そんなこと全然しなくなって。……いや違う、正確にいうなら、俺が6年生のときの……、
「ん? あっ! いた……!」
つい声が出た。だって塀の上に、とことこ歩いているアイツを見つけたからだ。やっぱいるよな、こういう人気のない小道にはさ!
俺の声に気付いたのか、アイツがピタリと止まった。ゆったりと振り返り、塀の上から俺をじっと見つめる。少し細めで、なんとも冷めた瞳。興味なさげな雰囲気がひしひしと伝わってくる。でも耳はピンと立っていて、こちらへの警戒は怠らない。
「あははっ、懐かしい」
久しぶりに、アイツ、そう、野良ネコと会って気分が上がる。
「ほら、おいで」
と、声をかけるも反応なし。ヤバい、このままだとアイツはふいっとそっぽを向いてどっかいってしまう! なにか手はないか……、あっ! そういや!!
「まだカバンにあったはず! えっと」
俺は肩がけのスクールバッグをいそいそと開ける。そして、
「よっしゃ! まだあった!! ほらほら、これ、あげるぞ〜」
野良ネコの目が丸く見開いた。とても興味津々だ。そうだろ、そうだろ、美味しいからな、これ。
「あははっ、早くおいで。にぼし、美味しいぞ〜」
小袋を開ける。そして、1匹をつまんで、野良ネコに見せつけるように、ふりふり動かした。すると、
ピョン。
2メートル近くある塀の上から飛び降りた。着地はとても優雅。しなやかな体でバランスを取り、よろめくことすらなかった。
「お〜、さすがだなあ」
トコトコとこちらへ近寄ってくる野良ネコ。俺の足元近くまで来て、すごく物欲しげな瞳を向けてくる。
「あっ、悪い悪い、にぼし目当てで来たんだよな」
ゆっくりとしゃがむ。手のひらに、にぼしを1匹乗せて差し出した。野良ネコはゆっくり顔を近づけて、パクリ。すぐに顔を手から離し、そして、もぐもぐと、まあ美味そうに食べている。
「あははっ、1匹だけじゃ不満だろ?」
手のひらに、にぼしを追加してあげた。小盛になったにぼしを、野良ネコが瞳をキラキラ輝かせながら、食いつく。
夢中で食べる野良ネコ。小さな口がせわしなくもぐもぐしてる仕草とか、尻尾をふ〜りふり嬉しそうに揺らしていて。しかも食べ終えたら、名残惜しそうに手のひらをペロペロなめるというあざとさ!!
「ヤバい、めっちゃ可愛い……!! よしよし、おかわりだな、まだあるから」
手のひらに、にぼしを多めに乗せる。また夢中になって食事をする野良ネコ。
「はぁ〜……、可愛いすぎるっ……!!」
とても楽しかった。
でも、それがいけなかった。
気分が高揚して、俺は不用意にも、夢のことを思い出してしまった。小学生のときのあいつも、今の俺と似たように楽しげに笑っていて。
俺は、優しい声音で呟いてしまった。
「花宮と、来たかったなぁ〜」
きっと喜んでくれる。…………、ん?
頬が、かあっと熱くなっていく。お、俺、い、今なんて言った?
心地良い高揚感が、急にむず痒くなってきて、何か得体の知れないものに様変わりした。これは、戸惑い? 恥ずかしさ? 何に?
『
鼓膜をくすぐるような愛らしい声が聞こえた気がした。慌てて周囲を見渡すも、誰もいない。俺の勘違い。いや、今日見た夢のなかの声が、突然蘇ったんだ。幼かったころの、花宮の声が。
にゃーん。
「うわっ!?」
小さな鳴き声にびっくりした。目を向けると、野良ネコが名残惜しそうに俺を見つめる。そして、小さな口元で、鳴いた。
『にゃん♪』
「っ!?」
野良ネコの鳴き声はまるで聞こえなかった。かわりに、花宮のからかうようなネコのマネ声が脳内に響き渡る。今日見た夢のように、俺に優しく微笑みながら。
「な、なな何を思い出してんだ俺は!?」
顔が熱い。熱くて、苦しい。鼓動も激しくて、苦しい。内から込み上げてくる想いが、苦しい。
「お、落ち着け!! 冷静に!! 違うんだ、これは単純に夢のせいで!! 俺は花宮と一緒に来たいとか、そんなの全然思ってなんか、いでっ!?」
手のひらに走る痛み。
目を向けると、野良ネコがキリッとした目つきで、手のひらを引っ掻いてきた。
「いでっ!? あっ、お、おい!!」
野良ネコがそそくさと逃げていく。
「な、なんだよあいつ……、いてて」
幸い血は出ていなく、手のひらには、引っ掻き傷が少し残ってるくらいだった。
「……、急に大声出したからビックリしたのかな」
そう思うと悪いことしたなあ、と思う。自分の思い出、今日見た夢に、俺が勝手に振り回されたせいでさ。
しばらく、しゃがんだまま動けなかった。
しんと、静けさが戻ってくる。
……、俺はほんと何を言ってるんだか。
花宮を傷つけておいて、そんなの言う資格は無い。それなのに俺は、
クシャリ。
にぼしの入った小袋の擦れる音が、耳に刺さる。
中学に入学して間もないころ、4月頃に入れた。そのまま、3ヶ月使わずにカバンの中にずっとあって。存在を忘れかけていた、それで良かったのに。そのまま、忘れてしまったら良かったのに。俺は、また思い出してしまった。もしかしたら、花宮とまた一緒に……。
「バカか俺は……」
力なくつぶやいた。そんな日はもう来ないのに。
「もう、今日で終わりだ。この道を通るのも」
そして、カバンに、にぼしの小袋を忍ばすのも、もうしない。二度とだ。
俺は残ったにぼしを口に持っていく。袋をうまく開けて、口の中へ流そうとしたときだった。
にゃーん。
ぴたり。
俺の手が止まる。ネコ? もしかして、さっきの野良ネコ?
だが、前方に目を向けるも、野良ネコはいなかった。あれ? 確か前の方に走って逃げたけど、
にゃーん。
「えっ? 後ろ?」
振り返った。
「なっ……!?」
俺はその光景に大きく戸惑い、声にならない声を上げていた。
夢の続きかのように思えた。夢の中では子ネコだった。でも、今俺の視線の先にいるのは、立派な大人のネコ。艶やかな黒毛が、陽光に照らされ瑞々しく輝いている。
花宮は、あのとき、こう呼んでいた……、
「く、クロちゃん……?」
俺の口からこぼれた名前に、
にゃーん。
と、黒ネコが鳴いた。返事でもするかのように。どこか懐かしむかのような声音に聞こえたのは、俺の気のせいだろうか。
陽光に照らされた道側をゆったりとした足取りで、優雅に、黒ネコが俺の方へ歩いてきた。
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