最終節:決意する青年

 城から逃げ出したアルヴァとアサラは、魔法陣のある東の塔へと駆け込んだ。

追手に気づかれないように扉を閉めると息を切らしながらアサラは魔法陣へと向き合う。


「はぁっ・・・、はぁっ・・・。

我が魔力よ、繋がりを辿れ。ウィアム アド ポルタ。

道よ開け、我らを新たな地平へと導きたまえ!

ムンドゥス デ セクゥンド!」


 地上から魔界へ渡ってきた時と同じように魔法陣に青い光が灯る。

だが、以前のような視界を覆うものではない微弱なものだった。


「安定しない・・・! 魔王との戦いで魔力が・・・、足りない!

アルヴァ、長くは維持できないわ!

魔法陣に飛び込んで! 私は、リーウェン達が来るまで・・・!」


 魔法陣の光へ飛び込めば地上へと戻れる。

まずはアルヴァの脱出を優先しようとするアサラだったが、アルヴァは首を振っていた。


「仮にリーウェンがここに辿り着けてもお前がそこまで、もたないだろ。

それぐらい俺にだってわかる。

リーウェンだって覚悟はしてあそこへ残ったんだ」


 アサラの身体は傷つき、魔力は残り少ない。

転移魔法を無事に使える状態は、もう今しかない。

それでも、アサラは4人全員で地上へと帰りたかった。

そうでなければルクストの命だけではない、自分を守る為に仲間達の犠牲が増えているようだった。


「いやよ! みんなで、みんなで一緒にっ!」


 アルヴァは、地上への転移を拒むアサラの肩に優しく手を置く。

そのアルヴァの紅い瞳に、アサラは何かの決意を感じた。


「・・・アルヴァ?」


「お前は、地上へ帰れ。俺は魔族だ。

俺は、ここに残る」


 それはアサラにとって、もっとも受け入れる事のできない言葉だった。


「ふざけないでっ‼ あなたは、勇者なのよ⁉

魔王を倒したのよ⁉ それが、どうしてっ‼」


「魔王ルシファスを倒して、俺の勇者としての役目は終わった。

俺はもう、勇者じゃない。勇者でいては、いけないんだ」


「なんでっ・・・? どうして?

一緒に帰ろうよ、地上へ!」


 アサラの両目からはまた涙が流れる。

アルヴァの決意の意味が、アサラには理解できなかった。


「わかったんだ。ルシファスが言っていた事が、本当だって。

俺は、勇者である俺は天界の神の、傀儡だったんだ・・・」


「なにを馬鹿な事を言っているの? あんな話を信じているの⁉」


 たしかに、魔王ルシファスが発言した天界の神々についての話にはまったくのデタラメとは思えないところがある。

だがそれは、魔王の発言にすぎない。

そんなものを、なぜアルヴァが真に受けなければいけないのか。

しかし、アサラの目の前のアルヴァの表情には、その言葉に踊らされているような迷いが感じられなかった。


「言っただろう、お前には・・・。

俺の意思が、行動が・・・、誰かに誘導されているんじゃないかって。

魔界で死にかけた俺を地上へ送ったのも、不自然な順番で取り戻してきた俺の記憶も、

全部、天界の神が操っていたんだ」


「いいじゃない! それでも、別にっ・・・!

ううん、違う! たしかに最初はあなたの意思ではなかったのかもしれない!

それでも、今はあなたの意思で!」


「ああ。だから・・・。俺の意思で、ここからは天界の神の意思に操られない、

魔族として生きていた頃からの俺の意思で、道を進む。

俺は魔界に残って、この魔界の平和の為に生きる」


「アルヴァ・・・!」


 アサラは、アルヴァの言葉に心が痛んだ。

地上の為に戦ってきた中で、魔界の平和を考える余裕はアサラにはなかった。

アルヴァは勇者として魔王を倒し、これで地上は救われる。

だがそのアルヴァは、アサラが何も考えずに見捨てようとしている魔界をも救おうと考えていた。


「魔王ルシファスは死んだ。ザスディーン将軍も、もういない。

この魔界は再び、バラバラになる。魔族同士の争いが起きてしまう。

だから、誰かがこの魔界をひとつにしなければいけないんだ」


 魔界こそがアルヴァにとっての故郷。

そんな事はアサラにも、わかっている。

だけど、それが今さら何だと言うのだろう。

彼が生まれ育った里は滅んだ。

彼は魔王を裏切り、そして魔王を倒した。

もうこの世界に誰も彼の味方なんていない。

彼がこの先やろうとしている事は、彼を苦しめ続ける修羅の道だ。

アルヴァはもう充分苦しんだ。

充分戦った。

愛する人が、これ以上の苦しみと戦いを続けようとする事が理解できない。

アサラは、目の前にいるアルヴァが遠く感じた。

一緒に帰りたい。

地上で、一緒の時を過ごしたい。

涙を流すアサラは、アルヴァの胸へと飛び込んだ。


「いやっ‼ ひとりはいやっ‼

一緒に帰ろう‼ 皆で、帰ろうっ‼」 


「アサラ・・・。お前と、お前達と出逢えて、俺は幸せだった・・・」


 アサラは、アルヴァの顔を見つめた。

その穏やかな笑顔と優しい声が、アサラの心を締め付ける。


「ありがとう・・・」


 そう口にしたアルヴァは、光りを灯す魔法陣へとアサラを突き飛ばした。


「アルヴァーーーーーーッ‼」


 アルヴァへと届かない手を伸ばしながら、アサラの身体は魔法陣の光の中へと消えていった。

やがて魔法陣に灯っていた青い光が消えて、塔の中はアルヴァひとりとなる。


「いいのか? 彼女はお前の事を・・・」


 暗闇と静寂の中、アルヴァの背後から声がした。

アルヴァが振り向くと、そこにはいないはずの女性の姿がある。

オウマガトキが持つ妖刀の力に彼女の魂が囚われてしまっていたのかもしれない、

アルヴァはただの幻覚を見ていたのかもしれない、

だがアルヴァには間違いなく、その生涯においてただひとり心から愛した女性の姿が見えていた。

その声が、聴こえていた。


「いいんだ、俺はこれでいいんだ・・・。俺は、今でもお前の事を・・・」


「私はもう、お前の隣にはいられない。だけど、彼女は違う。

お前には、選ぶ権利があるんだ」


 アルヴァも、アサラが秘める想いには気づいていた。

だが、少女の初恋は儚い。

きっといつの日か、彼女はまた心から愛する人に巡り合える。

そして、アルヴァは違う。

彼の心から愛する女性は、ひとりしかいない。


「それでも、俺はお前にそばにいてほしい。せめて、想いだけでも・・・。

今度こそ、俺とお前の誓いを、夢を果たす為に・・・!」


「アルヴァ・・・」


「もう少しだけ、待っていてくれ。

いつの日か、すべてを終えた時に、必ず俺もそっちに行く。

お前のいるところへ、必ず行く」


「いつまでも、待っている。

私は、お前が来てくれるのをいつまでも待っている。

だから・・・、簡単にはこっちに来るなよ?」


 涙がつたう頬に笑みを浮かべながら、彼女は消える。

寂しさを感じながら扉へと手をかけ塔の外へと出たアルヴァは、聖剣の力を持つ愛刀をその鞘から抜き天高く掲げた。


「オウマガトキよ‼ お前の聖剣としての、最後の仕事だっ‼

魔王ルシファスによって生じた世界の亀裂を閉ざせっ‼

地上と魔界の繋がりを今・・・、封印するっ‼」


 その言葉に応えるようにオウマガトキから放たれた強い光は、魔界の空を包む。

その光はほんの数秒間、魔界に存在しない太陽の輝きをその住人達へと見せた。


「いつの日か、地上と魔界が分かり合える日が来たら・・・。

その時は・・・」




 やがて地上では、勇者とその仲間達によって魔王が討伐され、魔界との繋がりが断たれた事が世界各地に伝えられる。

しばらくは続いた魔物の脅威も徐々に静まり、地上は少しずつもとの平穏を取り戻していった。


 十数年後、フルシーラ王国では世界を救った王女アサレフィアが、父王の跡を継ぐ。

女王アサレフィアは、人々へ伝えた。


「遠い世界には、まだ見ぬ私達の友人がいます。

私達は、彼らとすぐにはわかり合えないかもしれません。

己を守る為に、傷つけ合う事になるかもしれません。

ですが、私は信じています。

私達が、彼らと笑顔でわかり合える日が必ず来る事を。

いつの日か彼か、彼の意志を継ぐ者が現れた時、

どうか笑顔で、彼らを迎え入れてください」




((完))

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