第三十九節:秘剣に想いを込める青年

 ありえない。

アサラはそう思った。

魔法陣は普通、時間をかけて手作業で物や地面に描くもの。

何もない空中に、一瞬でこんな複雑な魔法陣が描けるはずがない。

そして、魔王の凝縮された魔力によって形成されたと思われるその魔法陣の規模はアサラ達の視界に入りきらないほど大きい。

だが、アサラがもっとも脅威を感じたのはその魔法陣から感じられる、かつて感じた事のない膨大な魔力の放出。


「いけない! とてつもない魔力がっ!」


 アサラは魔法使いとして恐怖していた。

こんな膨大な魔力を放出する魔法の存在も、それを操る魔法使いの存在も、人間では絶対にありえない。


「受けるがいい! 我が黒き波動の裁きをっ‼ インクルーシオ デル イーンフェルヌス‼」


 逃げる場所すら与えてくれないほど天井を埋め尽くす黒い魔力の波がアルヴァ達の頭上から降り注ぐ。

その下にいるアルヴァ達を跡形もなく押しつぶすかのように。


「くっ! 我が魔力よ! 凍てつく刃となりて、敵を討て‼ ウェルテックス デ グラキエース‼」


 アサラはできる限り素早く、できる限り強力な魔法を降り注ぐ黒い波に向かって放つ。

だが、波の勢いは収まる事なくアルヴァ達へと近づいてくる。


「バレド流剣術奥義! 烈華空波斬れっかくうはざんっ‼」


 アルヴァも共に、全力で奥義を放ち黒い波を斬り裂こうとするが、多少勢いが衰えはするものの天井を埋め尽くすほどの規模を持った波はアルヴァが放つ無数の風の刃をも飲み込んでいく。


「ウェルテックス デ グラキエース‼ ウェルテックス デ グラキエースッ‼

ウェルテックス デ・・・!」


 アサラも諦めずに、氷の魔法を放ち続けていたが黒い波はもう寸前まで近づいていた。

防御を捨てて限界まで黒い波に攻撃を加えていたアルヴァとアサラを守るように、ふたりの前でリーウェンとルクストが防御姿勢をとる。

そんな4人の全身を黒い波は容赦なく飲み込んだ。


「ぐああああああぁぁっ‼」 

「があああああぁぁぁっ‼」

「うあああああああぁぁっ‼」

「あああああああぁぁっ‼」 


 黒い波に飲み込まれたアルヴァ達の全身を荒れ狂う魔力の渦が蝕む。

皮膚が、肉が、内臓が、神経が、骨が、魔力の渦によって傷つき、悲鳴を上げる。


 気づけば、アルヴァは床に横たわっていた。

黒い波は収まった。

かつて感じた事のない痛みによって全身の感覚は一時的に麻痺していたが、まだ生きていた。

全身から血を流しているが、手足も繋がっている。

どうやら、アルヴァ達の行為は多少なりともルシファスの放った魔法の威力を抑える事に成功したようだった。

同じように床に横たわりながらも、わずかにその身を動かしている仲間達3人の姿に安堵しながらアルヴァは痺れの残る身体をなんとか起き上がらせる。


「ほう、やるではないか。

黒き波動の威力をそこまで抑えるとは・・・、だが次は防ぐ事はできまい!」


「ま・・・、まずい・・・!」 


「ぐっ・・・、う・・・!」


 リーウェンとルクストもなんとか身体を起き上がらせようとしている。

だが、ルシファスはその猶予くれない。

痺れと痛みでまだ自由に動かない全身を奮い立たせてアルヴァは刀を構える。

もう一度同じ魔法をその身に受ければ、自分も仲間達の命もない。


「まだだっ・・・、このまま死ぬわけには・・・!」


「さあ、滅びるがいい! 傀儡ども‼」 


「我が、魔力よっ・・・!」


 まだ床に横たわったままのアサラが、杖を手に握りしめながら声を振り絞っている。 

だが、もう間に合わない。


「インクルーシオ デル イーンフェルヌス‼」


 死を覚悟したアルヴァ達の頭上へ、黒い波が降り注ぐ事はなかった。

城内に、呪文を唱えたルシファスの声が虚しく響く。


「・・・なに? なぜ、我の魔法が放たれないっ⁉

なにが起きて・・・、これはっ⁉」


 空中に浮かぶ巨大な赤い魔法陣。

ルシファスが生み出したその魔法陣は、先ほどまでとは異なる様子を見せていた。

複数の白い魔法陣が、巨大な魔法陣の各所に絡むように空中に浮かんでいる。

それらの白い魔法陣は、ルシファスの生み出した赤い魔法陣に侵食していた。


「ばかな、どうやって、いつの間にっ・・・?

これはっ⁉ 空中に浮かべた氷の結晶が魔法陣を形成しているだとっ⁉

そうか、貴様か小娘えぇっ‼ 先ほどの氷の魔法で・・・!」


 ルシファスが視線を向けた先で、アサラが床に這いつくばりながらも痛みに耐えながら勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「防げない威力なら、次からは発動そのものを止めてしまえば・・・!」 


「魔法陣の中に限定的な絶対零度空間を生み出し、そこを通る原子の動きを・・・、

我が魔力の流れを停止させているというのか?

そこまで考えているとは思わないが・・・、

人間ごときが、目障りな芸当をっ‼

だが、こんなものはその魔法陣を砕けばっ‼」


「させるかああぁぁっ‼」


 別の魔法を放とうと、空中に浮かぶ白い魔法陣へ指先を向けるルシファスへアルヴァが刀を振るう。

反応が遅れたルシファスの肩を、その攻撃がかすめる。


「おらあぁぁっ‼」


 アルヴァの攻撃を躱して隙を見せたルシファスの腹部へリーウェンが飛び込むような蹴りで重い一撃を放つ。

ルシファスは、身体を押し飛ばされながら初めて怒りに顔を歪ませていた。


「ぐうぅっ‼ おのれえぇっ‼ 目障りな小娘がぁっ‼」


 ルシファスはその手から漆黒の大槍を生み出し、まだ起き上がる事のできていないアサラに向けて投擲する。

それは、ザスディーンの命を奪ったものと同じものだった。


「まずいっ‼」


 アルヴァが声をあげるが、まだ立ち上がっていないアサラにはそれを躱す事はできない。

アルヴァもリーウェンも、間に合わない。


「姫様あぁぁっ‼」


 たったひとり、ルシファスが投げた大槍からアサラを守る事ができた位置にいたルクストが身を挺してアサラを守る。

その腹部に、鎧をたやすく貫き漆黒の大槍は容赦なく深く突き刺さった。


「ぐふうぅっ‼ が・・・、あぁっ‼」 


 血を吐き出し、眼前で力なくその場に倒れるルクストの姿にアサラは顔を青ざめる。


「そんなっ・・・!」 


「ルクストオォォッ‼」


 リーウェンがルクストに駆け寄るが、ルクストは起き上がる事ができない。


「ルシファァーッス‼」


 アルヴァは激しい怒りを込めて刀をルシファスへと打ち込んだ。

その手に漆黒の武器を生み出しながらルシファスは応戦するが、絶え間なく生み出されるそのすべてをアルヴァは叩き斬り、ルシファスを追い込む。


「よくも、よくもーっ‼

我が魔力よっ‼ 閃光となりて、我が敵を滅ぼせっ‼ ラディウス デ エストレージャーッ‼」


 怒りに身を任せて立ち上がったアサラは、杖の先から閃光の魔法を放った。

視界を奪うほどの眩い光と共に放たれたその魔法は、ルシファスへと直撃しその身に纏っていた鎧を砕く。


「くっ!」 


「てああぁぁっ‼」


 アサラの魔法に引き寄せられたように、リーウェンの拳がルシファスの身体に突き刺さる。

苦痛に顔を歪めたルシファスは、後退しそこで脚を止めた。


「傀儡ごときにっ・・・!」 


「今だっ‼ アルヴァーッ‼」


「はああああぁっ‼」


 アルヴァは、待っていた。

その一撃を、確実に魔王ルシファスの身体へ届かせる事のできるその瞬間を。

アルヴァが放ったその一刀は、その手に持つオオマガトキの刀身から煌めく光を放ちながらかつてない鋭さで魔王の身体を斬り裂いた。


「ぬあああああああぁぁあぁっ‼」


 聖剣であるオオマガトキによって致命傷を負わされた魔王は、断末魔の叫びをあげた。

その声が響き渡る中、ルシファスの身体の大きく斬り裂かれた傷口からは光の粒子が零れる。

ルシファスは、神である自身の肉体と命の崩壊を感じた。

それを起こしたのは、かつて長い眠りにつかなければいけないほどの深手を自身に負わせた憎き勇者カノンの遺志を継ぐ魔族の剣士だった。


「バレド流剣術、秘剣ひけん・・・斬魔一閃ざんまいっせん・・・!」 


 アルヴァが放ったその剣技は、奥義を習得したアルヴァだけがかつて師より密かに伝授されていたバレド流剣術の秘剣だった。

なぜ魔族が使う剣技が「斬魔」という言葉を冠するのかはその時にはわからなかった。

だが、今ならこの秘剣の意味のすべてがわかる。

この技こそが、バレド流剣術 真の奥義。

この秘剣は、魔王ルシファスの命を確実に奪う為の一刀。

刀身の内部に秘められた力をその一刀の刹那に放出し、絶大な威力を引き出す。

そして、この剣技を最大限に発揮させる刀こそが聖剣として蘇ったオオマガトキ。

勇者カノンは、聖剣フラガソラスがオオマガトキの形のまま復活する事を想定していた。

オオマガトキの黒い刀身は妖刀となって変色したものではなく、

聖剣に宿る聖なる力、すなわち魔王の命を奪う力をその刀身の内部に凝縮させる為のものだった。


「やった・・・!」 


「勝った・・・!」


 もはや喜ぶ力すら残っておらず、アサラとリーウェンは床に膝と手をつく。


「斬魔一閃・・・、魔を切り裂く剣技か・・・。

この我を殺す為の・・・、勇者カノンが残した剣技・・・。

ふふ・・・。あの男、よほど我を殺したかったのだな・・・」


 自らの肉体が徐々に光の粒子となり消滅し始めても決して膝をつこうとはしない魔王ルシファスは、力ない声でアルヴァへと語りかける。

その言葉に対して、アルヴァはどこか寂しそうな声で自らの考えを口にした。


「たしかに、勇者カノンにはお前への怒りや憎しみがあったのかもしれない。

オウマガトキを妖刀にするほどに・・・。

だけど、それでも勇者カノンは願ったんだ、未来へ、魔界の平和を。

だから、きっとこの技を秘剣にしたんだ・・・。

その願いを踏みにじったのはお前だ、ルシファス!」


「言ってくれるな、勇者アルヴァよ・・・。

だが、貴様らもいつの日か、後悔する事になるぞ・・・。

我がいなくなれば、天界の神々は新たな物語を描く為に我を凌ぐ脅威を生み出すぞ・・・。

奴らの身勝手な、傲慢な、天界の神々の在り方に異を唱えた我を・・・、

奴らは邪神とさげすみ、天界より追放した・・・!

貴様らは、犠牲を受け入れ、我に従っていれば、天界の支配から解放できていたものを・・・!」


「ルシファス・・・」


 今まさに死を迎えようとしている憎き魔王の姿にアルヴァはどこか心苦しさを感じていた。

かつて、この者の復活をアルヴァは心から願った。

それが魔界の為だと信じて。

それが自分達の為だと信じて。

そして、アルヴァはかつてこの者の配下となった事に誇りを持っていた。

魔界の為に戦う、ひとりの魔族の剣士として。


「さらばだ・・・、傀儡ども・・・。

グ・・・、アアアアアアアアアアアァァァァ‼」 


 最後にわずかばかりの笑みを浮かべた魔王の身体は光となって四散した。

今ここに、長きに渡る勇者と魔王の戦いに、終止符が打たれた。

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