第二十六節:刃を交える青年

 目の前の女性の姿に、アルヴァは胸が引き裂かれるような感覚を覚えていた。

彼女の目は、明らかにアルヴァ達に敵意を向けている。


「ゼクシア、やはりお前だったのか・・・」


「え⁉ アルヴァ、まさか記憶が⁉」


「この姉ちゃんが、アルヴァの探していた女剣士か? だけど・・・、まさか魔族なのか⁉」


 女剣士の姿は、白い肌と真紅の瞳。

サダムも同じだった。

おそらくは、それが魔族の外見的特徴。

そしてなによりこの魔物が巣食う塔にいる事こそが、彼女がサダムと同じ目的を持つ魔族であるという事実だった。


「そうか。 お前は、やはりアルヴァなのか。

私を思い出したのか・・・。ならば! この刀も覚えているか?」 


 女剣士は腰から黒く輝く刃の刀を抜く。

かつて泥棒をひと降りで切り裂いた、そしてアルヴァが記憶の中で自身の手に持っていた刀と、同じ刀だった。


「それは・・・、その黒い刀は、俺の刀なんだな? どうして、お前が持っている?」


「ザスディーン将軍がお前を倒した際、持ち帰ってきた。

お前を仕留めた証としてな。 それを・・・、私が譲り受けた。

お前がバレド流剣術の後継者と選ばれた日に師父より譲り受けたこの、妖刀オウマガトキをな」


 オウマガトキ。

それが、あの黒い刀の名前。

アルヴァは、初めて聴いたはずのその名前にもどこか懐かしさを感じていた。


「この女、まさかアルヴァの兄弟弟子とでもいうのか?」


「そんなわけないでしょう! だって・・・、だって!」


 バレド流剣術の名を口にする女剣士ゼクシアの発言に疑問を抱くルクストの言葉をアサラが遮る。

人間であるアルヴァが魔族の兄弟弟子であるはずがない。

そう思いながら、アサラはアルヴァの姿を見る。

たしかに、アルヴァの肌はサダムやこの女性と同じように、白い。

だが、地上の人間でもそのような肌の人種は珍しくない。

それに、アルヴァの瞳は琥珀色だ。

もし、あの紅い瞳が魔族の特徴ならば、アルヴァが魔族の兄弟弟子であるはずがない。


「バレド流・・・、師父・・・、オウマガトキ・・・」


 一方で、アルヴァは頭を抱え、自分の中にある説明のつかない感情を整理しようとしていた。

何かを、もう少しで大切な何かを思い出せそうな気がしていた。

その苦悩する様子に、冷たい視線を向けながらゼクシアは言葉を続ける。


「バレドの里は滅んだ。 バレドの民の生き残りは私とお前だけだ。

師父も亡くなった。いや、私が殺した。

お前が・・・、私達を裏切ったからだ! アルヴァ‼」


 ゼクシアは怒りの表情を露わにし、その手に持った黒い刀をアルヴァ達の方へ向ける。

その言葉ひとつひとつが、アルヴァの仲間達を動揺させていた。


「裏切った? アルヴァが?」


「教えてくれっ‼ まだ、思い出せていないんだ! 俺は誰なんだ⁉

ゼクシア! お前は、俺の何なんだ⁉

俺はあの時・・・、誰を裏切ったんだ⁉」


「どこまで罪を重ねるつもりだ、お前は?

私達、魔族を捨て、自らの罪を記憶から消し、そして今は人間と行動を共にするなど・・・」


「魔族を裏切っただと・・・? それでは、それではアルヴァはやはり・・・」


「嘘よ・・・、そんなの嘘よ!」


 アルヴァが魔族を裏切った。

もし、それが事実ならば記憶を失ったアルヴァの正体は、ひとつしかない。


「もはや、私が知るバレド流の剣士アルヴァは死んだ!

それでもなお、その惨めな姿を私の前に見せるというのならば!

この私がっ! この妖刀オウマガトキで、そこにいる人間もろとも貴様を斬るっ‼」 


 刀を構えるゼクシアに対し、アルヴァも刀を抜く。

戦いは避けられない。


「くっ・・・、バレド流剣術!」 


「バレド流剣術!」


 両者は、まるで鏡に姿を映すかのようにまったく同じ構えを取っていた。


「「疾風刃しっぷうじん‼」」


 同じ動き、同じ言葉、同じ剣技を放ったアルヴァとゼクシアの刀からは、互いに風の刃が放たれる。

目には見えないそれは、両者の間で衝突し音を出して弾け、周囲の空気を激しく揺らした。


「アルヴァと・・・、同じ技⁉」


 リーウェンは、目を疑った。

これまで、その名を知る者すら見つからなかったアルヴァの使うバレド流剣術。

その使い手が今、アルヴァ以外にもうひとりいる。

それこそが、その女剣士がアルヴァと同門である何よりの証明。

だが、その女剣士が魔族だというのは、どういう事なのか。


「バレド流・・・!」


「剣術っ‼」


「「双牙斬そうがざんっ‼」」


 互いに距離を詰めたアルヴァとゼクシアの刀がぶつかり合う。

両者が使うのは、またしても同じ技。

ゼクシアは、アルヴァの使う剣技を知り尽くしていた。

剣技だけではない、その動きひとつひとつ、アルヴァの癖、アルヴァのすべてを、その女剣士は知り尽くしている。

繰り出す動きのすべてを読まれているアルヴァは、徐々に女剣士に追い詰められていく。


「何やってるの、あなた達っ!

アルヴァを助けてっ‼」


 立ちすくんでいた仲間達の中で、アサラが一番に正気に戻る。

真実が何であれ、目の前のアルヴァは苦しみながら戦い、窮地に追い込まれている。


「お、おぉ!」


「まさか、女性に槍を向ける日がくるとはっ!」


 アルヴァは今、自分達の仲間である事実に変わりはない。

リーウェンとルクストは、戦いに加わる為に前へと走り出す。


「はぁーっ‼」 


「ぐっ・・・!」


 ゼクシアは右手で刀を持ちながら器用に左手から魔法による爆炎を放ち、アルヴァの身体を押し飛ばす。

迫りくるリーウェンとルクストの動きに気づいたゼクシアに対して、ふたりは同時二方向から攻撃を繰り出す。

だが、ゼクシアは信じられない事にその両者いずれからも視線を外してアルヴァの方へ向き直しながら、視線の外のふたりの攻撃から身を躱した。


「バレド流剣術 守りの型、百眼陣ひゃくがんじん


 まるで見ていないそれが見えているかのように、無駄のない動きで攻撃を回避したゼクシアに、リーウェンとルクストは言葉を失った。

 リーウェンもルクストも達人と呼ばれるほどの実力者である。

だが、目の前の女剣士の無駄のない動きは、ふたりがこれまで対峙したあらゆる達人の誰よりも優れた実力者である事を感じるしかなかった。


「バレド流剣術・・・、天刃嵐てんじんらんっ‼」


「ぐあああぁっ‼」


「ぬあああぁっ‼」


 動揺を見せたふたりの身体が、ゼクシアの剣技によってまるで巨大な魔物に投げ飛ばされたかのように壁に強く叩きつけられた。


「リーウェンッ! ルクストッ‼」


 アルヴァはゼクシアの剣技を知っている。

自身の刀の刀身に反射して映るもの、さらにそこに映る敵の武器に反射して映るものから、視覚外の状況を自身の視覚として捉え、全方向の敵の攻撃を見切る守りの剣技、百眼陣。

さらに、風を斬りながら舞うような動きで周囲の敵を一掃する威力を持つ剣技、天刃嵐。

頭の中では今の瞬間まで忘れてはいたが、いずれもアルヴァの身体はそれを覚えていた。


「人間の心配をしている余裕があるのか?」


 リーウェン達を心配し、構えを解いてしまったアルヴァにゼクシアの剣が迫る。


「ぐあっ・・・!」


 捌き切れない素早い攻撃の連続はアルヴァの身体に傷を負わせていく。


「その程度か?

私が尊敬した剣士アルヴァは、もっと強かったぞ。

私が憧れたアルヴァの剣技は、もっと鋭かったぞ!

私が愛した男・・・、アルヴァは!

お前のような男では、けっしてなかったっ‼」 


「くっ! 我が魔力よ、氷となりて我らの敵をとらえよ‼ キャーベア デ グラキエース‼」 


 アルヴァの危機を救う為、アサラが放った氷の魔法はゼクシアの周囲に展開し、彼女を檻の中へ閉じ込めるようにその動きを封じる。


「我が魔力よ、炎の渦となれっ! ウェルテックス デ フラムマ‼」


 だが、ゼクシアがそれに対して放つ魔法はゼクシア自身を中心に炎の渦を巻き起こし、アサラが放った魔法を一瞬で氷解する。

その炎の勢いは、アサラの身にも襲いかかった。


「きゃあああっ‼」


「アサラーッ‼」


 女剣士ゼクシアの強さは驚くべきものだった。

剣の実力はアルヴァを上回り、魔法の腕もアサラ以上。

サダムも恐ろしい魔法使いだったが、このゼクシアの強さはそれを凌駕している。

アサラ達は、地上に迫る魔族の脅威を感じざるをえなかった。

同時にアルヴァは、目の前で怒りに刀を振るい迫るゼクシアの悲しみを感じていた。


「剣術ではけっして超える事ができなかったお前と並び立つ為に、私は魔法を覚えたっ・・・!

お前の夢を、私もお前と一緒に見たかったからだ!

そして共に成し遂げようと約束した、あの誓いを!

お前は裏切ったっ‼

そして今、なぜ魔族の敵である人間の心配をしているっ⁉

お前の仲間は誰だっ⁉」


 アルヴァの仲間は誰か?

アルヴァはきっと、ゼクシアと仲間だった。

だが、裏切った。

なぜかはアルヴァには思い出せない。

だが、ひとつだけはわかる。

今、地上を守る為に戦い、アルヴァを仲間と信じ、傷ついている者がいる。

アサラ、リーウェン、ルクスト。

アルヴァの今の想いは、仲間達と何も変わらなかった。


「俺の・・・、仲間は! こいつらだっ‼」


「アルヴァアァァーッ‼」


 怒りを増すゼクシアのひと振りは、精細を欠いていた。

アルヴァは空中高く飛び上がり、それを躱す。

そして、放つは空中からの連続攻撃。


「バレド流剣術っ! 雨突あまづきっ‼」 


「うあああああぁっ‼」


 敵の頭上からその名の通り、雨のような突きの連続を放つ剣技。

ゼクシアも当然その技は知っていて、自分も使う事のできる技だった。

防御姿勢はとっていた。

アルヴァが頭上に飛び上がった時、この技が来るのは理解できていた。

だが、アルヴァが放つ突きの連続はゼクシアを捉え、その身体が血に染まる。

ゼクシアは、アルヴァの使う剣技を知り尽くしている。

だが、先ほどまで防ぐ事ができた剣技が、今は防げなかった。

その理由は、ゼクシア自身が一番理解している。


ゼクシアの知るアルヴァの剣技は、わかっていても防ぐ事ができないのだ。


「ゼクシアッ・・・!」 


「ぐっ・・・、そうだ! その鋭さ!

それだっ、それこそが私の知っているアルヴァだ!」


 深手を負い血を流しながらも刀を構えるゼクシアは、決して戦いをやめようとはしていなかった。


「ゼクシア、もういい。

やめよう、その傷ではもう・・・!」


「構えろ、アルヴァ!

お前の覚悟を見せてみろ!

私を捨てた! お前の覚悟を見せてみろっ‼」


「くっ!」 


 アルヴァは感じていた。

ゼクシアと戦い、自らの剣技がさらにキレを増している。

アルヴァは、記憶を失う前の実力を取り戻しつつあった。

もうすぐで、大切な何かを思い出せそうな気がする。

それが、何かはわからない。

目の前のゼクシアは、それを思い出す猶予をくれず迫りくる。


「たぁーっ‼」


 傷ついてもなお、勢いを衰えないゼクシアの剣技。

ゼクシアの刀を打ち落とす為、アルヴァは強烈なひと振りを放つ。


「はぁーっ‼」


 その瞬間、信じられない事が起きる。

ゼクシアは刀を振り下ろそうとした手を止め、自らアルヴァの放つ刃へと飛び込む。

その行為を認識した時にはもう、振り上げたアルヴァの手は止まらなかった。


「ぐふっ・・・‼ あぁ・・」


 致命傷だった。

ゼクシアの刀を打ち落とす為に放ったアルヴァのひと振りはゼクシアの身体を貫いた。


「ゼクシア・・・⁉ お前、わざとっ・・・!」


「これでいい・・・、これでいいんだ・・・。

私には、お前は殺せない。

お前もきっと、私を殺せない。

・・・なら、私がお前の剣を受けてやるしかないだろ・・・?」 


 そう言いながら、血を流して倒れるゼクシアの身体をアルヴァは受け止めた。

アルヴァは腕に抱くその身体のぬくもりに懐かしさを感じていた。

何度もその腕に、この女性の身体を抱いた事がある。

だが、今まさに腕の中のぬくもりは消え去ろうとしていた。


「どうしてっ‼」


「わからなくなってしまった・・・。

私は、私達の世界をひとつにしようと・・・その為に忠誠を誓ったあの御方を裏切ったお前を・・・許せなかった。

私達すべての魔族の為を思ったお前が、里を守る為にその信念を曲げる事が許せなかった。

でも、違った。 本当はただ、私はあの御方が怖かっただけなのかもしれない・・・。

裏切ったのは私の方だ。 私は、お前の手を離してしまった。

そんな心のまま、妖刀オウマガトキを手にしても、私はお前のような剣士にはなれなかった・・・!

私は女としても、剣士としても・・・、お前の隣に立つ資格などなかった・・・。

だから、私はっ・・・! がはっ‼」 


「やっぱり、お前は俺の・・・」


 苦しそうに血を吐きながら、そう答えるゼクシアを前にアルヴァは行き場のない切なさを感じる。

彼女は、アルヴァを愛している。

アルヴァもきっと、ゼクシアを愛していた。

だが、何があって、なぜ目の前でこんな事が起きているのか、アルヴァには理解できなかった。

もう少しで思い出せる。

そう感じていながらもアルヴァはまだ、大切な何かを思い出す事ができなかった。


「まさか、まだ・・・思い出してくれないのか? 酷いじゃないか・・・。

だが・・・許そう。お前の泣き顔など見たくはない・・・。

アルヴァ、これを・・・・」


 ゼクシアは、最期の力を振り絞りその手に持った黒い刀を鞘に納め、アルヴァへと手渡した。


「俺の刀・・・、妖刀オウマガトキ・・・」


「お前の・・・腕の中で逝けるのならば・・・、私は・・・」


 アルヴァの腕の中で事切れるゼクシアの身体から、力が抜ける。

説明のつかない喪失感が、アルヴァの心を深くえぐった。


「ゼクシア? おい、ゼクシアッ‼

ゼクシアアアアァァァッ‼」


 いくらその名を呼んでも、彼女は応えてくれない。

彼女は動かない。

その事実が、アルヴァの心身に切り刻まれるような苦しみを与える。


「あ、ああああああああぁぁぁっ‼」


 そして、激しい頭痛と共にアルヴァの脳裏に、ある日の情景が流れ込んだ。

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