第24話 願った未来の向こう側に何色の明日が待っているのか。

 クリスマスの翌日。

 久しぶりに矢口から連絡を受けて、高橋、瀬古、柚木、なつこの四人は病院に集まった。

「ウソ……どうして……?」

 柚木は声をのんだ。なつこはさっきからずっと泣いている。

「月原くん、確かに時々体調悪そうにしてたけど、まさかそんなに悪かったなんて……全然知らなかったよ」

 やりきれなさそうに瀬古が言った。

 集中治療室に、悠とクルスが、隣り合って眠っている。

「でも……でも、治るんでしょ……?新学期には二人とも、学校、来れるんだよね?」

 なつこが泣きながら言った。

「月原は持病の心疾患が急激に悪化していて、あと数日もつかどうか……クルスはバイクの事故で、脳機能のほぼすべてが停止――つまり、脳死状態だそうだ」

 戸田が沈痛な面持ちで説明した。戸田はここ数日、学校や警察などあちこち奔走する合間を縫って、時間の許す限り悠の様子を見に来ていた。友人たちを呼んでもいいかと、悠の母親に確認を取ったのも戸田だった。

「嘘だろ……?俺、貸してほしい本も、貸したい本も、まだまだあるのに……一緒に受験勉強、するつもりだったのに」

 瀬古は呆然と言った。

 なつこは柚木に抱きついて泣き崩れた。柚木もまた、目に涙を浮かべている。

「俺が悪いんだ……ケータを止められなかった……」

 矢口は終始、床を睨んだまま言った。

 そのケータは今、笠井への傷害の疑いで、今も拘留されている。ケータと笠井は中学時代からの友人だったが、驚くことに当時はケータのほうがいじめに遭っていたという。毎日繰り返される執拗な嫌がらせを笠井が止めさせ、それ以来の付き合いだということだった。

 佐野原たちは数々の詐欺行為を追求されていたし、セーラもまた参考人として事情を聞かれていた。

 クルスの横には、アンとモモがいた。

「なんでだよ……俺が、俺があの時、お前を行かせなけりゃ……っ、畜生!」

「京ちゃん……」

 モモはかける言葉もなく、ただアンの腕を抱きしめていた。

 悠がうっすらと目を開けたのに気付いたのは、それまで黙っていた高橋だった。

「……月原……くん……?」

 高橋が呼びかけた。

「月原!」

「悠くんっ!」

 皆が一斉に声を掛けた。

 だが、悠の目は天井を見つめたままだった。

「見えて……ないの……?」

 高橋が言った。

 悠の唇が力なく動いた。

「……クル……」

「…………っ!」

 その唇の形を読み取った高橋は、思わず息を呑んだ。

「ク……ルス……クルス……」

 天井を見つめたまま、悠が言った。悠の左手が、わずかに持ち上がった。

「どこ……?クルス……」

 悠の手が、何かを探してさまよう。

「……先生!」

 高橋はたまらずに叫んだ。

「先生、お願いです、ベッドを……クルスくんのベッドを、動かしてください!」

 医師たちは顔を見合わせた。

「お願いです!」

「お願いします!」

 戸田も柚木も瀬古も、その場にいた皆が頭を下げた。

「……機器の配置があるんだよな……いける?」

「まあ、ギリギリ大丈夫じゃないですか。寄せるだけですよね?」

 医師と看護師がそんな会話を交わし、クルスと悠のベッドが隣り合わせに並べられた。

 高橋が、そっと二人の手を重ねた。

「クルス?」

 悠はクルスの手を握って言った。

「そうだよ。クルスくんだよ」

 涙声で高橋が言った。

 悠はふうっと息を吐いた。そして、これ以上ないほど幸福そうな笑みを浮かべた。

「良かっ……た……クルス……もう……これで、怖く……な……」

 そして悠は、深い眠りに落ちた。



 一緒に行こう、クルス。

 あの満開の桜の花びらの下を、手をつないで走ろう。

 ほら、もうすぐ学校が見えてくる――。



 アンは集中治療室を飛び出した。

「……京ちゃん……!」

 モモが追った。が、アンはそのままバイクに乗って走り去っていった。

 アンが向かったのは、クルスと共に育った杉の子園だった。杉の子園の園長は、突然訪れたアンの思い詰めた顔を見て、何も聞かずに園の片隅にある礼拝堂の鍵を開けた。

「……っあああああああ――――――っ!!!」

 アンの悲痛な叫びが、誰もいない礼拝堂に響いた。


 その日の夕方のことである。

 かっちりとしたスーツ姿で病院を訪れた仲村和海は、廊下に並んだ椅子にぽつんと座っている月原恵を見つけ、深々と礼をした。恵の方も仲村に気付き、立ち上がって深い礼を返した。

「この度は、息子の未来がご迷惑をお掛け致しました」

「いいえ……こちらこそ……なんと申し上げていいか」

 憔悴しきった様子で恵は言った。

 どちらが悪い、ということなどないのだと、頭ではわかっている。佐野原やケータらの犯罪はあったにせよ、二人がこの状態に陥った直接の原因は、事故と病気だ。それでも思わずにはいられない。――この事態を防ぐ方法は、本当になかったのか、と。

 二人が付き合わなければ。二人が出会わなければ。

 もしかしたら、まだ二人とも生きて、笑っていたのではないか、と。

 だがそれが虚しい仮設でしかないことを、遺される親二人はよくわかっている。

「義理のお父さまだと伺いましたが」

「ああ、あいつが十歳の時に、施設から引き取ったんです。でも私もあまり構ってはやれなかったし、結局あいつが私に心を許したことはなかったですね、――残念ながら」

 残念ながら、という言葉に、一生、という含みを汲み取って、その短さに恵はやりきれない気持ちになった。

「本当に、残念です……まだ未来がたくさんあったでしょうに」

 クルスと面と向かって話したことは片手で足りるほどだったが、素直で優しい青年だと思った。

「うちは――覚悟はしていましたから」

 ぽつりと恵は付け足した。

「覚悟していたから悲しさに耐えられるかというと、それはまた別の問題でしょう」

 仲村は言った。

「そう……ですね。ええ、その通りです」

 恵は仲村の言葉を反芻しながら答えた。

「でも私たちは、もう随分前から悲しんできたんです。だからといって悲しみが薄いわけではないけれど、慣れてはいます」

「そのことですが、月原さん。悠くんは心臓に疾患があると伺っていますが」

「ええ」

「これ、未来アイツの免許証なんですがね」

 仲村は懐から一枚のカードを出して、恵に見せた。

「ここに、臓器提供の意思表示って項目があるんですよ。ほら」

 恵は目をみはった。

「これは……」

「そう。脳死・心停止いずれの場合も、月原悠さん――つまり悠くんに、心臓を提供するって書いてあるんです」

「……うそ、え、まさか――」

「ああ、違います。あいつはこのために自殺するような奴じゃねえ……俺は親父としちゃあ失格だが、少なくともそれくらいは、私はあいつのことをわかってるつもりですよ。だけど、これを書いた時には、何か思うところはあったんでしょうな」

 仲村は恵に椅子を勧め、自分もその隣に座った。

「……ちょっと、昔話をさせてもらえますか。もうすぐ死んじまうあいつの、弔いだと思って、聞いてもらえませんかね」

 恵は頷いた。

「あいつは赤ん坊の時に、施設に預けられたんですよ。あいつの母親が酷いアル中でね。俺が引き取った時、あいつは十歳かそこらだったんだが、にこりともしねぇ一言も喋らねぇで、そりゃあ愛想のないガキでしたよ。それが、中学んなってそのへんのジャリどもとつるむようになって、そのうちバイクを覚えてね。125ccの小型から始めて、すぐ250cc乗り回すようになって……中坊だから当然無免ですよ。メットもかぶんねぇで、アホみてぇなスピードでぶっ飛ばしてた。気障きざな言い方だけど、まるで生き急いでるようだった。まあ、あれぐらいの年頃ってのは大なり小なりそういうところはあるんでしょうがね。それが、高校に入っていきなり、免許取りたいから金貸してくれって言うわけですよ。あいつに頭下げられたのは後にも先にもあんときだけだ。いっちょ前にバイトして、金はすぐに返してきましたよ。俺はさ、俺は初めて頼られて嬉しかったから、金なんてくれてやるくらいの気持ちだったんだが――まあ、あいつなり、ケジメつけたかったんでしょうね。そういう年頃でしょ、あれぐらいって」

「わかります」

「その理由が、悠くんを乗せて走りたい、ってことだったんですよ。免許取って、安全運転でね。あいつは――変わったんですよ、悠くんに出会って」

 仲村の話し方は静かだった。ひと言ひと言に嘘がないのがわかる。

「あいつ、あんまり肝心なこと、喋んないでしょ。でもたぶん、心ん中ではすげえ考えてたんだと思いますよ、悠くんのこと。すげえ、大事にしてたんじゃないかな。あいつなりに」

「…………っ、ふう……っ」

 恵はこらえきれず、口元を押さえた。

「色々思うところはおありだと思うんですが……できたら、受け取ってやってくれませんかね。あいつの、心臓を」

 恵は、声を上げて泣き崩れた。

医師せんせいとも話したんですがね、移植の登録順とか色々あるんだけども、悠くんは、今この病院で一番優先度の高い患者の一人であることは確かだってことで。悠くんは若くて、危険が迫っている――しかし皮肉なもんですねえ、こういうのは。ほんとは移植先を指名したりはできないみたいですがね。とにかく、ドナーっていうんですか?あいつの意志も尊重したいってことで。ただ、術後のこととか考えると、主治医のいる帷子川の医大に移したほうがいいってことでしたが」

「仲村さん……」

「受け取ってやってください、月原さん。あいつの心臓を、あいつの想いを、どうか」

 そう言って、仲村は再び深々と頭を下げた。

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