第22話 forget-me-not.

 クルスとアンは「Dock」にいる――。

 セーラからそれを聞き出したモモは、すぐにカイに伝えた。

「カイ!絶対無茶しちゃダメだよ!あんた一人じゃ捕まるのがオチだって」

『わかってますよ……でも……俺がなんとかしないと……!アンさん死んでもいいんですか!?』

「そんなわけないじゃん!でも、クルスも向かってるはずだから、もしかしたらもう逃げたかもしれないし」

『……すいません……自分、ちょっと頭冷やします』

 一旦電話を切って、モモは深い溜め息をついた。

「ごめん……あたし、ここいると迷惑だよね……出てくよ」

 思い詰めた顔で出て行きかけたセーラを、モモが止めた。

「どこ行く気よ」

 セーラは無言で首を振った。行くあてなどない。だがクルスの部屋にいるのは、後ろめたさが勝った。

「もしあたしや茅野が捕まったら、クルスやアンの足かせになる。ここにいるのが一番安全だよ」

 モモはセーラを説得する。

「でも……もしこの家まで奴らが来たら?」

「それはないね。相手が佐野原なら、ここには絶対手出しできないはず。昔クルスと京ちゃんが、佐野原レオとモメた時に、佐野原が繋がってた組と話つけたのが仲村さん――この家の持ち主だから」

「……その人、いったい何者なの?」

「佐野原たちの上部組織――田神組と県南の勢力を二分してる、杏花会の幹部だよ。って、クルスと付き合ってたんでしょ?聞いてないの?」

 セーラは首を振った。

「クルスは、家のことは聞かれたくない感じだったから」

「あたしも京ちゃんから聞いただけだけどね。あの一件は、組の幹部同士で手打ちにしたって聞いてる。なんでも、佐野原が中学生に売春させてたってことまでは、田神組の上の方は把握してなかったみたいよ。京ちゃんたちが暴れたもんで警察が出てきて、とばっちり食うのを嫌って田神組が佐野原を切り離したのね」

「佐野原がクルスを恨んでるのは知ってたけど……」

「とにかく、連絡が来るまではここにいよう。ね?」

「でも、あなたの弟が怪我して病院にいるんでしょ?」

「……いま危険を冒して病院に行っても、できることないし。それにあたしは茅野をここから出すなってクルスに言われてる。だから、京ちゃんとクルスを信じて、待つよ」


「……庄司、ちょっといい?」

 自宅兼事務所のマンションで、戸田は庄司を呼んだ。

「はい?」

「変なリンクが送られてきた……送信元は、橘高校生徒会」

「こんな時間に?」

 庄司は時間を見た。午前一時半。

「まあ、こんな時間まで受験生を拘束しちゃってごめん、なんだけど」

「平気ですよ。好きでやってますから」

 戸田はリンクを開いた。

「……ビデオチャットで画面共有してきてるな」

 映し出された画面の中では、延々とプログラムが組まれている。

 戸田は眉をひそめた。庄司も画面をのぞき込んだ。

「これは――なんですか……?」

「今まさに、何かのシステムを作ってるんだ……だが、何を……?」

 戸田は、別のPCで何かを調べだした。

「これは、もし俺の推測が当たっていれば、かなり危険なものを作ってるんじゃないか……?」

「危険って、どういう?」

 戸田はそれには答えず、難しい顔をして考え込んだ。

「問題は、それがなぜこの時間に俺の会社んとこに送られてきてるかってことだな」

「あれ?画面が」

 庄司が画面を指差した。と、もうひとつ新しいウィンドウが開いた。

「画面が増えたな……他のPCに侵入して、そっちの画面データを飛ばしてきたのか?」

「そんなことできるんですか?というか、ちょっと……この映像、ヤバくないですか?」

 それは、見るからに危険そうな若者たちが集っている映像だった。彼らの足元に、学生が二人、血だらけで倒れている。

「これ……クルスくんですよ!」

 庄司が叫んだ。

「もう一人は……黒沢工業高校の制服です!」

 戸田は立ち上がって、携帯を手に取った。

「黒沢工業の校長なら知ってる」

「でも、この時間ですよ?」

「……じゃあ、こっちかな」

 戸田はアドレス帳を閉じ、ネットを開いて何やら検索した。

「先に橘の生徒を当たったほうが……月原くんとか」

「月原は多分、出ないよ……あった」

 戸田は目的の番号を探し出し、電話を掛ける。

「もしもし?僕、橘高校卒業生の戸田雅也と申しますが、そちらに高畠先生はいらっしゃいますか?」

 電話の向こうからは賑やかな声と音楽が聞こえてくる。

『はあーい!センセー!生徒さんからお電話ですようー!』

『はいはい、ああ、橘の戸田くんか。どうした?飲みに来るか?』

「残念ながら、あと半年は未成年です。ところで折り入ってお伺いしたいことがありまして」

『君の頼みなら聞かねばなるまいなあ。だいぶ世話になったし』

「恐縮です。つきましては先生、貴校の安西京一くんと交友のある生徒をご存知ですか?――そうです、赤い髪の」

 いくつか名前を聞き出した後、戸田は丁寧に礼を言って、電話を切った。

「どこにかけたんですか?」

「校長行きつけのスナックだよ。あの先生、週末はだいたい朝まで飲んでるんだ。お元気な方でね。しかも今夜は年末。飲み歩いていないわけがない」

「でも、友人の名前だけ分かっても、連絡の取りようが――」

「黒沢工業の生徒のSNSのアカウントリストは、もう持ってる」

 戸田は時々、恐ろしいことをしれっと言う――と庄司は呆れた。

「……いったいどこからそういうものを……」

「内緒」

 戸田が最初に電話をかけた日野太郎は、十数回コールしても出なかった。次にかけたのは田辺カイトで、こちらはすぐに出た。

「初めまして、橘高校OBの戸田といいます。君の先輩の安西京一くんと来栖未来くんの件で電話したんだが。率直に訊くけど、あの二人、何か危険な目に遭ってないか?」

『……あんた、味方?』

 緊張した声で、カイは言った。

「味方、かな。少なくとも橘高校の生徒を守りたいと思っている」

 電話の向こうで、カイは大きく息を吐いた。

『あの二人、拉致られて……!俺も今、場所を聞き出したんで、現場に向かってるとこっす!』

「待て、君一人か?見たところ相手は数十人はいるぞ」

『一人っす。でも、先輩らやられて、タローもやられて……っ、俺が行かないわけにいかないじゃないっすか!』

 ほとんど泣き叫ぶような声でカイは言った。

「落ち着いて。まず彼らのいる場所を教えてくれないか?」

『大岡駅の裏の、Dockって店っす』

「わかった。俺から警察に通報する。それまで君は動くな」

 電話を切った戸田は、不安そうに自分を見つめている庄司に軽くキスをした。

 窓の外では静かに粉雪が降っている。

「……雪ですね」

 ふと、庄司が言った。

「ホワイトクリスマスだね」

 それから戸田はまた数件電話をかけ、二人は眠れない夜を過ごした。

「戸田さん……あの画面は、いったい誰が送ってきてるんですかね?」

「そんなの、俺が思い当たる人物は一人しかないんだが」

 クルスたちの動画に気を取られていたが、もうひとつの画面では一晩中、淡々とプログラムが組まれ続けている。

「あのプログラムって、なんなんですか?」

「一種のウィルスだな。ターゲットの端末PCからデータを盗み取る」

 明け方、都内ではようやく雪が止んだ。

 空にうっすらと光が差し、やがて一面忘れな草色に染まって、冬の朝が明けた。


「……でき……た……」

 悠はそう言って、机の上に突っ伏した。極度の疲労が全身を覆っていたが、脳が冴えていて眠くはない。

 夜が明けたのに、空には重苦しい雪雲が居座ったままで、雪が降り続いていた。

 悠の背後で、机の上に脚を放り出し、ひたすらゲームをしていた笠井は、大きくあくびをして携帯を置いた。

「どんな感じー?」

 悠が作業していたノートパソコンをのぞきこむ。

「偽装したメールでスパイウェアを送っといたから、誰かが学校の端末でメールを開ければ、そいつが端末に侵入して情報を抜き取る……」

 悠は机にうつ伏せたまま説明した。

「先生たちのアドレス帳も取れるから、そこにまた送りつければ外部の情報も取れるよ。ただ、相手のセキュリティレベルがうちより高いと弾かれるけど。使い捨てのメアドも百個くらい作っといた。抜いたデータが送られてくるのは頭に『b-』って付いてるアドレスね。そこから名簿に必要な情報だけを抜き出すんだけど」

「なるほど……やっぱすげぇな……データが送られて来るのが楽しみすぎるわ。今日から冬休みなのが残念だぜ」

 笠井は高揚した顔で、悠の組んだプログラムをチェックした。

「冬休み……」

 そうか、と悠は思い出した。

「今日から追試じゃん……クルス、来られないのかな……」

 ぐったりと机に身体を預けたまま、悠は顔だけをもう一台のパソコンに向けた。

 そちらはまだ、クルスたちを映していた。


「……クルス」

 佐野原が席を外した隙を見て、床に転がったままのアンが、同じく寝転がっていたクルスに囁いた。

「ああ」

 クルスは周囲を窺った。一夜を過ごして、佐野原の手下たちもだいぶ疲れてきていた。居眠りをしている者も少なくない。

「だいぶ回復してきたぜ」

「いけそう?」

「まずカメラな」

「おっけ」

 長年付き合ってきた二人には、話さなくても互いの考えがわかっていた。

 スクリーンに映し出されているのは、携帯のビデオチャットから転送された映像だ。そのチャットを切ってしまえば、ケータたちに「Dock」の様子は送られなくなる。悠に危害を加える前に、まずこちらの状況を知るために通話を再開しようとするはずだ。

 その時、佐野原が店内に戻ってきた。

「せーの」

 クルスとアンが飛び起きた。

「てめーら……!」

 虚を突かれた佐野原が反応する前に、アンが携帯に飛びついてアプリを落とした。クルスが佐野原に突進する。

「ぐっは!」

 体当たりを喰らった佐野原は、一歩下がっただけで踏みとどまった。そのままクルスの身体を掴んで振り落とす。そこへアンが椅子の上から飛び蹴りをかました。が、間一髪、佐野原はアンの蹴りを右腕で払い落とした。

「……え?」

「おい!」

 ようやく我に返った佐野原の手下たちが、三人を囲んで身構えた。

「……ちっ」

 クルスは受け身を取って起き上がった。近くにいた男が、クルスに椅子を振り上げたが、椅子は空を切って床を噛んだ。

 クルスは佐野原の背後に回った。アンの連続蹴りを避けて、佐野原が大きく身体を沈ませたところに飛びついて、首に腕を回して締める。

「ぐっ!」

 取り囲んだ男たちがざわっと揺れた。

「大将、獲ったぜ。テメーらザコキャラは、まとめて俺が相手してやんよ」

 アンが挑発する。

「くそっ……」

 佐野原の手下たちは、明らかに尻込みした。

「テメー……ら……何やってんだ、やっちまえ……っ」

 クルスに締められたまま、佐野原が苦しげに命令した。

「来ないならこっちから行くぜ?」

 そう言うなり、アンの姿が一瞬、消えた。

 佐野原さえいなければ、その他有象無象はアンの敵ではない。またたく間に十人近くが床に転がり、残りは戦意を失って逃げかけた。

「待てよ!」

 アンが怒鳴った。だがその時、入り口のドアが、外から開いた。

 そして同時に、誰かがビデオアプリを再起動させた。


 ビデオチャットが一時中断したのに最初に気付いたのは、悠だった。

 中断する直前、クルスとアンが飛び起きたのが見えた。

(クルス……反撃したのか?)

 悠は迷った。今、準備室には笠井と悠の二人きりだ。ケータは落ち着きなく出たり入ったりを繰り返していたし、矢口はしばらく前に憔悴した顔で出ていったきりだ。

(これは……逃げるなら今か?だけど、失敗したら)

 その時、準備室にケータが戻ってきた。笠井が呼んだのだ。

 悠は、この一瞬のチャンスを逃した自分を呪った。

 そしてビデオチャットが再開した。

『警察だ!』

『動くな!』

 画面の向こうは、一転して喧騒に包まれていた。

「なんだって……警察?」

 ケータが血相を変えた。

「てめぇ、ハメたな!?」

 ケータは悠の胸ぐらを掴んだ。

「知らな……」

 言い終わる前に殴られる。

「ほんとだよ。見てた限りじゃメールも起動してないし、どこにも外部と連絡を取った形跡は――」

 笠井はそこまで言って、はっと思い立って、パソコンのキーボードを叩く。

「やられた……メールアプリ立ち上げずに直接コマンド打ち込んだのか……!」

「意味わかんねぇよ!とにかくこいつがやったんだな!?」

 ケータが激昂した。ナイフを取り出し、悠に向ける。

「説明したってわかんないよ。とにかく俺はもう降りるわ」

 笠井はコートを羽織った。

「笠井!ばっくれる気か!?」

「引き際だよ。どっちみち佐野原がパクられたんじゃ、データの買い手がいないだろ。まあ、いい暇つぶしになったよ」

「待てよ笠井!てめぇ、ずっと俺のことバカにしてたよな!?俺が気付かないとでも思ってたのか!?」

「何を言っ……」

 入り口で振り返った笠井を、ケータがナイフで突き刺した。

「……えっ……?」

 笠井の腹部に、赤い染みが広がっていく。

「笠井ぃ……ずっと前からそうだ、お前は、中学んときも、俺の味方だって顔して、いつだって俺のこと下に見てやがっただろ……?俺は、畜生、わかってるんだぞ、俺は」

 ケータは熱に浮かされたようにぶつぶつと言い募っている。

「うそ……」

 悠は目の前で起きたことが信じられずに硬直していた。

 ケータが振り返った。その手には、笠井のスタンガンが握られていた。

「月原ぁ……」

「……っ、救急車を」

「うるせぇ黙れ!てめえは!そもそもてめえが逆らうからだろ!」

 ケータが悠にスタンガンを押し当てた。

「……あ!」

 びくん、と悠の身体が弾けて、そのままがくっと崩れ落ちた。

『悠ーっ!』

 クルスの叫び声が聞こえる。

「あ、あ……っ」

 床に倒れたまま、ショックでびくびくと身悶えている悠に、ケータが馬乗りになった。

「元はといえば、てめぇが」

 ケータが悠の上着を剥ぎ取った。


「悠!悠っ!くそっ、ケータてめぇ悠から離れろ!!」

「クルス!もう落ちてる」

 アンがクルスの肩を掴んだ。クルスの腕からずるずると佐野原が滑り落ちた。

 Dockの店内は警官たちに踏み込まれ、騒然としていた。

「ここはいいから、お前、助けに行ってやれよ。場所わかってんだろ?」

 クルスは頷いた。

「悪い、京一」

「気にすんなって。めんめん餃子セットな」

 アンは朗らかな笑顔を浮かべた。

「せーの」

 掛け声とともに、アンとクルスは出口に走った。ドアの外にいた警官をアンが食い止め、その横をクルスがすり抜けて、外に置いてあったバイクに飛び乗る。

「悠……っ!」

 ヴォン――と排気音を吐き出して、クルスはバイクを発進させた。


 全身が痺れて、力が入らない。

「はぁっ……はっ……あ、はっ……」

 肺が痙攣したようになって、息がうまく吸えない。スタンガンを当てられた場所が、焼けるように痛い。

「月原ぁ……俺に逆らったことを、一生後悔させてやるぜ」

 耳元でケータの声がする。

「あ……っ、いや……だ……やめ……」

 身体がまるで自分のものではないような感覚だった。朦朧とする意識の中、悠は人形のように服を脱がされた。

「いや……なん……で……」

 肌に触れる床が冷たい。

「……くそっ……バカにしやがって……どいつもこいつも……畜生……見てろよ……?俺はなあ……俺は」

 ぶつぶつと呟きながら、ケータは自身の性器をしごき出した。悠を犯せば何かが晴れるような気がした。それ以外に、身の内で狂ったように渦巻く苛立ちを収める方法はないと思えた。

「……バカにしやがって……見てろよ?見てろ、クソが」

 ケータの手が乱暴に悠を押さえ込んだ。

(クルス……)

 息が苦しい。意識が遠ざかっていく。

(クルスに逢いたいなぁ……)

 バチッ、と音がした。

 誰かの悲鳴が、聞こえた気がした。


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