第20話 鈍色の悪意。
帷子川駅は、そう大きくはないが古くからある駅で、増設した駐車場は少し離れた場所にある。そのため、駅に送迎に来る自家用車は、大抵ロータリー周辺に路上駐停車して、乗客が駅から出てきたところをピックアップする。
電車を降りた悠はロータリーに出た。
ロータリーは暗く、ぽつりぽつりと立つ街灯の周りだけが煌々と明るい。
いつも母親が車を停める場所のあたりで、悠は文庫本を開いた。電子書籍もいいが、貸し借りするなら紙の本が便利だ。
数ページ読んだところで、悠はふと顔を上げ、周囲を見渡した。同じ電車に乗ってきた人々はあらかた帰ってしまい、ロータリーは閑散としていた。
(遅いな……)
悠が携帯を取り出すと、母親からメッセージが一件入っていた。
「あれ……」
全く気づかなかったな、と思いながら、メッセージをタップした。が、それを読む前に、ロータリーにスモークを貼った黒いミニバンが滑り込んできて、悠の前で停まった。
「え……っ?」
悠が状況を理解する前に、ミニバンの後部座席のドアが開き、男が二人降りてきて、悠を車に押し込んだ。
「何する……!」
言いかけた悠の目の前で、バチバチッと火花が散った。
「大人しくしなよ。これ、結構痛いよ?」
聞き覚えのある声がして、悠は相手を確認しようとしたが、すぐに目隠しをされてしまった。
「安心しなよ、ママは駅には来ないから」
声の主は、悠が手にしていた携帯をするりと奪い取った。
「なるほど、このタイミングでロック設定を解除するわけね。さすが会長、やることが鮮やかだなあ」
「返せよ!」
「静かにしろって」
再びバチッと音がして、悠は口をつぐんだ。
「これ、何回も使うと死んだりするらしいからさあ、君にはまだ使いたくないんだよ。わかる?だからちょっと黙ってて」
「……っ」
目隠しをされ、両手を後ろ手に拘束された不自然な姿勢で、悠は後部座席に転がされた。緩急の激しい乱暴な運転に、吐き気がこみ上げてくる。
最初に連れて行かれた場所は、どこかの地下だった。目隠しをされたまま引きずられるように階段を降り、床に座らされる。
「こいつかァ?コージン」
今度は知らない声だ。その他にも、何人もの人の気配がする。
「そっすねー」
「コージン」と呼ばれて返事をしたのは、さっきの聞き覚えのある声だ。
(コージン……?)
悠は声の記憶を辿った。その名前に覚えはない。
「とりあえず逃げる気起こさないように動画だけ撮っときましょうか」
「コージン」が言った。
「ケータは呼ばなくて良いのォ?」
「あいつ呼んだら、ソッコーこいつ壊しちゃいますから。お楽しみは後にとっとかないと」
「コージン」はくっくっと含み笑いを漏らした。
「……っ」
ケータ、という名を聞いて、悠は初めて明確な恐怖を覚えた。それまでは彼らの目的が分からなかったので、大人しくしていれば危険を回避できる可能性があるかもしれない、というかすかな希望を抱いていた。だが、ケータは違う。明確な悪意をもって、必ず悠を痛めつけてくる。
「絵面がいいように、軽くやっちゃってくださいよ」
「オッケーィ」
悠の肩を誰かが押さえた。
「やめ……っ!」
バシン、と思い切り頬を張られて、悠は床に倒れ込んだ。誰かが学ランの胸元を中のシャツごと乱暴に開いて、ボタンがいくつか千切れ飛んだ。
「いや、あ!」
複数の足に蹴り回されて、悠は呻いた。
「ぐふっ……」
床の上で身体を丸めて、痛みに悶える。
「……あ……っ……うぅ……」
「いいじゃん、月原」
胸が悪くなるような嘲笑を含んで、「コージン」が言った。
頭上から降ってくるその声に向かって、悠は精一杯の憎しみを込めて絞り出した。
「笠井……っ」
瞬間、バチバチとあの音がした――そう思った時には、強烈な痛みに襲われ、悠は気を失っていた。
「名前呼んでんじゃねーよ」
「コージン」は録画を止めて、ボソッと吐き捨てた。
小雨が降り出す中、帰宅時の車の列を縫うように、赤いバイクが猛スピードで
「くっそ……悠……悠……っ!」
セーラの携帯に映し出された、わずか十秒あまりの動画が、さっきから繰り返し脳内再生されている。縛られて暴行を受けている細い身体が、目隠しをされて苦しげに喘いでいる顔が、焼き付いて離れない。動画は、スタンガンを当てられた悠が失神するところで終わっていた。
ヴォン――、とエンジン音を吐き出して前輪を宙に浮かせると、クルスは赤信号を風のように突っ切った。
路地にドリフトで滑り込んできたバイクからドライバーが飛び降りて、まっすぐこちらへ向かってくるのを見て、ビルの入口にいた佐野原の手下は慌てて階段を駆け下りた。クルスは階段の上から飛び降り、手下の男の背中を蹴り飛ばした。ヘルメットを脱ぎざまに、階下にいた見張り二人をヘルメットで殴りつける。見張りは狭い通路の壁に当たって悶絶した。
「Dock」のドアを蹴破ると、佐野原の一派がずらりとクルスを出迎えた。
「ほんとに一人で来たのかァー。コイツほんとのバカじゃねぇ?」
佐野原たちがげらげらと笑う。
「悠はどこだ」
クルスは店内を見回した。そして、さっきセーラに見せられた動画は、確かにここで撮られたものだと確信した。が。
「ここにはァ――いねぇよォ――?」
佐野原は愉しそうに言った。
「ぶっ殺すぞ、佐野原……」
「ハッ!この状況でよく言えたなァおい!?立場わかってんのかァ!?」
おい、と佐野原が合図をすると、カウンターの陰から二人がかりで、誰かがずるずると引きずられてきた。
「……京一!」
ドサッと無造作に放り出されたアンは、見る影もなく痛めつけられていた。
「……クルス……」
「京一、なんでこんな奴らにやられてんだよ?」
「……クルス……あれ……」
アンが顎で差した先では、店の奥のスクリーンが白く光って、映像が映し出されていた。
「……悠……?」
そこには両手を縛られたまま椅子に座らされて、ぐったりしている悠がいた。
「悠!クソ、どこにいるんだよ!?」
クルスは佐野原に怒鳴ったが、佐野原は首をすくめただけだった。
映像の背景は薄暗くて判然としない。だが、確かにクルスには既視感があった。
(どこだ……?)
だが、焦りと、あまりに予想外の場所だったために、クルスはそこがどこなのかしばらく気付けなかった。
「クルスぅ、お前、ここの
佐野原はスクリーンを指差して言った。その画面に、白っぽいパーカーの男が現れた。フードを目深にかぶって、顔がわからない。だが、彼が手にしているのは――。
暗い画面に、バチバチッと白い稲妻が走った。
クルスの顔から血の気が引いた。
「やめろーっ!」
スタンガンなど、何度も浴びせられたら――悠の心臓は耐えられるのだろうか。
「そんなもの使ったら、死んじまう!!」
クルスはスクリーンに向かって、必死で懇願した。
「やめろ!頼む、やめてくれ!――なんでもするから……!」
その瞬間、数年に渡る因縁に勝利した佐野原が、甲高い声を上げて嘲笑った。
『なぁんだ、つまんね』
興醒めしたように、画面の中でパーカーの男が言った。
「だってよ、月原」
笠井に髪を掴まれて顔を上げさせられ、悠はうっすらと目を開けた。目隠しは外されている。
(さっきと……違う場所……?)
感電させられた後遺症だろうか、全身がだるい。
先程まで取り囲んでいた人の気配も、うるさい音楽も、一切消えていた。部屋には悠と笠井しかいない。静寂に包まれた薄暗い室内は、まるで物置のようだ。そして、どこか見覚えがあった。
目の前に置かれたノートパソコンの画面だけが、白く発光している。
「クル……ス……?」
悠は目を疑った。ノートパソコンの画面の向こうで、クルスがリンチを受けていた。
「酷い……なんで、クルスまで……!」
「あいつらはねぇ、クルスに恨みがあるんだってよ。でも、君が素直に言うこと聞けば、助けられるかもね」
「僕が?」
「そ。君さあ、去年、生徒会で色々作ってたでしょ?なんだっけ、デジタル化?」
パーカーの男――笠井は、キーボードをパタパタと叩いて、コマンドプロンプトを表示した。
「んでさぁ、ここのデータにアクセスしたいんだけど、鍵がかかってて見れなくてさ。悪いんだけどこれ、開けてくれない?」
「……これって……在校生名簿……?」
「そう。ついでに卒業生の名簿も欲しいんだよ。月原ならさあ、生徒会だけじゃなく、学校のデータベースにアクセスできるスパイウェア、作れるでしょ?矢口にもやらせてみたんだけど、ダメだねあいつは。教科書以上のことできない。だから万年四位なんだよ」
そう言う笠井は、二年の一学期の中間考査で初めて悠を抜いていた。
「……そんなの、君にもできるだろ、笠井」
「バカ言わないでよ。俺は
「遊びって……なんでそこまで危険を冒して、こんなことするんだよ?」
「決まってんじゃん。退屈しのぎ?」
悠は呆れた。では自分たちは退屈しのぎに付き合わされて、こんな犯罪まがいの目に遭っているということか。
「ゲームだよゲーム。ケータがお前をいじんのもね。結局、ヒマなんだよ。学校なんてさ。勉強できないやつにとっちゃ、ちんぷんかんぷんで意味がないし、君や俺みたいな人種には退屈すぎるだろ……?」
「そんなこと……」
ない、と言えるだろうか、と悠は自問した。少なくとも中学までの悠は、学校もクラスメイトも下に見ていた。
「月原――君もさあ、そろそろこっち側の世界に来いよ」
笠井が奇妙に甘ったるい声で誘う。
「……嫌だって言ったら、あいつらがクルスのこと殴るんだろ?」
「そうだね」
「僕は、勉強するためだけに学校に来てるわけじゃない」
そう、ここは。
どこか懐かしいこの場所は。
「じゃあ何?クルスといちゃつくために来てるって?」
「クルスだけじゃないよ。僕は、この学校で初めて友だちができたんだ。この学校で、初めて生きてて楽しいって思えたんだ。毎日が」
楽しくて、輝いて見えたんだ。
(そうだ。ここは、私立橘高等学校の、旧校舎だ)
その時、廊下のずっと遠くから、鼻歌が聞こえてきた。
「あ、ケータが来た」
と、笠井が言った。
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