第二章 別れの予感と、その先に続く未来について
第13話 降り積もるブルーグレー。
一月の半ば、悠は冬休みが明けた丁度一週間後に、登校した。さすがに寒いので、バイク通学は春になるまでおあずけだ。悠を送らなくなったクルスは、遅刻魔に戻った。
「月原!新学期一週間間違えてたのか?」
悠が教室に入るなり、柚木が元気よく声を掛けてきた。それで悠の中の緊張がだいぶほぐれた。
(柚木さんには感謝だな。彼女がいなかったら、どういう顔して教室に入ればいいのか、考えるだけで気が重くなる)
悠は苦笑した。
「ちょっと風邪ひいてたんだよ。もう平気だから」
「マジかー!月原、カラダ弱そうだもんなー?」
柚木が悠の頭をヨシヨシする。
「てかさてかさ、早速なんだけど今日の小テスト!教えて〜〜〜!」
「なつこさん、今日の今日は、たぶん無理だ」
瀬古がなつこの肩に手を置いて首を振る。
「えーーー!?マジーーー?もとはといえば瀬古の教え方がダメダメだからじゃんっ!」
「だっ、ダメダメ……!?」
ショックを受ける瀬古に、爆笑する柚木。その向こう側で、高橋もくすくすと笑っている。
休み前と変わらない日常の風景に、悠は自然と笑顔が漏れた。
「高橋さん、課題ありがとう」
入院中、何かと学校の配布物をまとめてくれていた高橋に、礼を言う。
「ううん。持ってってくれたのはクルスくんだから」
「僕が休んでた分のノートのコピーもつけてくれて、助かったよ」
「月原くんなら私のノートなんてなくてもわかるかな、とは思ったんだけど」
「いやいや、だいぶ時間節約できて、ありがたかったよ」
「良かった」
高橋がにっこりと微笑んだ。すると、なつこがちゃちゃを入れてきた。
「おお?なーんか、サヤちんと悠くん、いい感じ?」
「おいおい、月原にはクルスがいるだろが」
柚木がたしなめる。
「えー?でもさあ、なつこ、サヤちんと悠くんもお似合いだと思うよおー?」
悠と高橋は顔を見合わせた。
「えっと……なんか、ごめん」
条件反射的に、誤解されて迷惑だろうと思ってしまった悠は、とりあえず高橋に謝った。だが、高橋は、
「ううん、こっちこそ……まいったな……なつこめ」
そう言って、真っ赤になって顔を伏せてしまった。
高橋サヤが悠に告白したのは、その日の放課後のことだった。
「ありがとう、高橋さん。……でも、ごめん」
「うん……なんとなく、わかってたし」
高橋はぎこちない笑顔を作りかけて、結局またうつむいた。
「高橋さん、できれば今までどおり、友だちでいてほしいんだけど」
「……調子いいこと言うんだね、月原くんは」
高橋は少し恨めしげになじった。
「ずるい?」
「ずるい」
「……わかってる。でも、聞いて」
悠は絞り出すように言った。
「僕、誰かに話さないと、どうにかなっちゃいそうで」
「……何、を?」
ふと高橋は悠の異変に気づいた。悠の纏う雰囲気が、いつもと違う。いや、元々静かなタイプなのだが、いつにも増してずっと静謐で、どこか悲しげな――何か重大なことを悟ったような。
どくん、と高橋の心臓が不穏に鳴った。
「聞いてくれたら、一生、恩に着る」
悠のすがるような眼。――ああ、やっぱり好きだ、と高橋はぼんやり思った。
「だから、何を?」
「話して、いい?」
真っ直ぐに見つめてくる悠の、鬼気迫る様子に、高橋はたじろいだ。話を聞くだけのことに、なぜこんなにも確認をしてくるのだろう。まるで――それを聞いたら高橋自身が後悔するとでもいうかのように。
結局、高橋は頷いた。
「僕、卒業できないかもしれない」
「……え……?」
言葉の意味がわからずに、高橋は聞き返した。
「あと一年か、もって二年だって、言われたんだ。医者に」
「えっ……?二年、って、何が?」
今度は高橋にもうっすらと想像がついた。だが今度は「まさか」という気持ちが働く。
「だから」
悠は一旦言葉を切って、僅かに逡巡するような様子を見せたが、意を決したように続けた。
「……僕の、余命」
「…………!」
「だから、高橋さんとは付き合えない。ごめん」
「それ、クルスくんは……」
「言わないで!」
悠が突然大きな声を上げたので、高橋はびくっと身体を硬直させた。
「あいつには、言わないで……」
悠は高橋に懇願した。
クルスにだけは知られたくなかった。はじめてできた友だちに、こんな重い未来を背負わせる勇気などない。それに。
「だって、あいつ」
クルスは孤独だから。
「……僕はあいつから、もう何も奪いたくないんだ……」
親なんていない、と言っていたクルス。
学校では、いつも一人でいたクルス。
気心知れた後輩たちと騒いでいても、どこか醒めた顔をしているクルス。
彼を、これ以上孤独にしてはいけないのだ。でないと、彼をこの世に繋ぎ止めておけなくなってしまいそうだから。
「だからお願い。高橋さん」
なんて残酷なことを言っているのだろう、と悠は自分自身に戦慄した。
仮にも好意を寄せてくれている女の子に、自分の死をちらつかせて、助力を請うている。――
二組の教室に顔を出すと、クルスが悠を待っていた。
「何、話してたの?」
クルスのハスキーヴォイスは、明かりの消えた教室にしっとりと馴染んだ。
「見てたの?」
「あれ、こないだプリントくれた人でしょ」
「告白された」
ぴく、とクルスの細い眉が跳ね上がった。
「ずっと好きでしたって」
「ふうん」
クルスは窓の外に顔を向けた。外はもう暮れかけて、雪が舞い出していた。
「……それだけ?」
「うん」
そう答えた次の瞬間、悠の体がくるりと反転した。
「!」
悠は机の上に仰向けに押し倒されていた。悠の唇をクルスが塞ぐ。
「ん――……」
悠は思わず眼をかたく瞑った。それは、以前の触れるだけの優しいキスとは全く違っていた。
悠の唇を割り開き、閉じた歯をこじ開けて、口腔を蹂躙する。
「ん、あ……っ」
突然の喰らいつくようなキスに、悠の目尻に涙が滲んだ。鼓動がどくどくと早まって、痺れるような感覚が全身の神経系を
(怖い――!)
悠は恐怖した――クルスにではなく、自分自身に。悠の両手を押さえつけるクルスの手が、身体にのしかかる体重が、顔に降りかかる金髪が、悠をひりひりと痺れさせる。気を抜くと、何かが溶け出してしまいそうな。
「――っ!」
どん、と悠はクルスを突き飛ばした。が、クルスはびくともしない。
更に二度、三度と悠に叩かれて、クルスはようやく唇を離した。
「……っは!何するんだよ……!」
「何って」
クルスの声にすら、耳の奥がぞくりと痙攣する。
「――キス」
そう言って、クルスはまた唇を重ねてきた。
「……やめろよ!なんで」
悠は必死で顔を背けた。
「なんで?」
「だって、こんな、いきなり……っ」
「お前こそ、なに女に告白されたりしてんの」
クルスの射るような目つきに、悠ははっとした。
「君、だって……僕に何も言わないじゃないか。……好きとか……付き合おうとか、何も」
言いながら、なんて女々しい反論なのかと、悠は自分にうんざりした。これではまるで告白をねだっているようではないか。それでは目的が違う。
「……付き合ってるふりして、ケータから守ってくれたのは感謝してるよ。だけど」
「付き合ってるふり?」
クルスの眉が不機嫌に歪む。
「だってそうだろ?学校ではゲイのふりしてるけど、クルスだってセーラさんのこと家に泊めたりしてるじゃないか。僕が高橋さんと付き合って、何が悪いんだよ?」
「なんでセーラが出てくんだよ」
「君は僕と付き合ってるふりして、実際は普通に女の子と付き合ってるじゃないかって言ってるんだよ。クルスはずるいよ。僕だけが汚いだの気持ち悪いだの言われて、ほんといい迷惑なんだよ。僕だって――」
普通に女子と付き合いたい――と言いかけて、悠は口をつぐんだ。
(そうじゃない。僕は……)
高橋さんと付き合いたいわけじゃない。本当は。
だがそれを口に出してはならない。
「お前、なんもわかってねーのな」
ぼそっと呟いて、クルスは教室を出ていった。
「なんなんだよ……」
暗くなった教室に悠は一人残された。
「わかってないのは、どっちだよ……」
悠は両手で顔を覆い、ずるずると床に座り込んだ。窓の外では、黄昏の蒼い世界を塗りつぶすように雪が降っている。
(僕はもうすぐ死ぬんだ……これ以上、クルスを巻き込んじゃダメだ)
なのに。
「なんで、あんなキス……するんだよ……っ」
痺れるような感覚が、まだ身体の奥で疼いている。
教室を出たクルスは、ひと気のない下駄箱で、口元に残った感触を思い出していた。
「やっ……べ……」
驚いて見上げてきた悠の、熱っぽく潤んだ瞳が、目に焼き付いて離れない。薄暗い中、悠の白い頬がうっすらと紅潮していた。硬く強張った悠の細い身体は、クルスの舌に反応してひくひくとほぐれかけていた。
「エロすぎんだろ……あいつ……」
思いがけず昂った欲情を鎮めるのに、クルスはしばらくその場を動けなかった。
青灰色の湿った雪片が次から次へと落ちてくる。
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