第9話 緑陰の暴力。
信号待ちの間に、悠に電話をかける。
「……クッソ!なんで出ねぇんだよ……!」
クルスは苛立った。
思い過ごしならいい、と思う一方で、鳴り続けるコール音が胸中をざわつかせる。一度コールを切って、アドレス帳をスクロールする。だが。
(悠の友だちなんて、知らない……)
悠がどこにいるのか見当がつかないまま、クルスは気付くと学校に戻っていた。
授業はとっくに終わっていて、部活動の声があちこちから聞こえてくる。
クルスは小走りで校内を探し回ったが、当然のように矢口の姿はない。
「家か……?いや」
よく考えろ、とクルスは心の中で呟いた。家にいるなら問題はないのだ。十中八九、安全だろう。それを確認するために今から数十キロ離れた悠の実家に行ったとして、もし留守だったら、戻ってくるのにどれだけ時間をロスするか。だとしたら、さっきまで学校にいた矢口を探したほうが効率がいい。
「クルスくん?」
「わっ!」
突然呼び止められて、クルスは文字通り飛び上がった。
声の主は、戸田雅也だった。そこは丁度、生徒会室の前だったのだ。
「あんた……生徒会長か」
「どうしたの?なんか、すごい格好だけど」
戸田は泥だらけのクルスの全身を眺め回した。
「会長、頼む……悠が……悠を、探してくれ……!」
クルスは戸田にすがりつくように、頭を下げた。
矢口から『話したいことがある』というメッセージを受け取った悠は、久しぶりに電車に乗った。だがどうしても高校の近くには行けず、ひとつ手前の駅で降りた。
待ち合わせたのは、小さな神社だった。短い階段の先に、そう広くない境内が広がり、奥には本殿、三方を囲むように雑木林がある。
階段を上り、境内に足を踏み入れると、矢口がいた。
行事のない平日、神社は無人だ。他に参拝客もいない。
「矢口くん」
声を掛けると、矢口は振り向いた。が、すぐに悠から顔を逸らした。
「……?」
その時、じゃり、と背後で玉砂利を踏む音がして、悠は凍りついた。
「月原ぁ、だめじゃん、ガッコー休んじゃあさあ」
振り返らずとも分かる。この悪意に満ちた声は。
(ケータ……!)
本殿の陰からも、一人、二人とケータの仲間が姿を表す。クラスメイトの工藤と
笠井はケータの後ろにいた。退屈そうにガムを噛んでいる。
「つまんないんだよねー。月原がいないとさぁ」
ケータはにやにやと笑みを浮かべ、悠の顔をのぞき込んだ。
悠は弾かれたように逃げ出した。が、二、三歩進んだところで、玉砂利に足を取られて転んだ。
「ぶっ!何ひとりでコケてんだよ!」
ケータたちは追いかけもせずに爆笑した。悠はよろよろと立ち上がり、また走り出した。だがやはりうまく走れない。焦るとなおさら、足が砂利に埋まり、滑って、思うように前に進まない。ケータたちは余裕たっぷりに笑いながら歩いてくる。
「ほらほら、早く逃げないと捕まえちゃうよ?」
「さすが、毎回体育見学してるだけあるわ。走るだけでコケるとか」
嘲笑が追いかけてくる。
境内の裏に追い込まれたところで、逆側から挟み撃ちにされ、悠は地面に転がされた。
「……っ!」
尻餅をついた格好で、自分を取り囲む五人を見上げた。
「なんだ、あっけねーな」
「なに、これからじゃん?」
そう言って、笠井が悠の前にしゃがみこんだ。
「……なんだよ……僕が気に入らないなら、ほっといてくれよ」
「気に入らないね。ちょっと成績がいいからってなんでも許されてさ。おい工藤、そっち押さえろよ」
「おう」
「やめ……っ、何する……」
悠は両腕を後ろから羽交い締めにされた。
「何だろうねえ?中学ではされたことなかった?こーゆーの」
言いながら、笠井の手が悠のズボンのベルトにかかった。
「――!!」
「勝手に休まれたり、チクられたり、まして死なれたりしたら困るからね。そういう気が起きないように保険かけとかないとさ」
「やめろ……!」
悠は脚をばたつかせて抵抗したが、あっけなく足首までズボンを脱がされてしまう。見上げれば、まっすぐにそそり立った木々の梢が、ざわざわと風に揺れて、悠の声を吸い込んだ。
「ケータ、カバン開けろよ。こないだ一緒に選んだやつ入ってるから」
「これか?」
ケータは笠井が持ってきていた黒いビニールバッグを開けた。
「うお、笠井お前、マジで買ったの?ハハッ!すっげぇ」
カバンの中からは、おぞましい形状の器具が次々と出てきた。ケータがその中のひとつを取り出してスイッチを入れると、ヴィイイィン――とモーター音が響いた。
悠はぞっとした。器具の名前など見当もつかなかったが、それらの目的は容易に想像がついた。
「……やめろ……いやだ……!」
「おい矢口ぃ、ちゃんと撮ってろよ?顔出しでな」
見上げると、青ざめた顔の矢口が悠に携帯を向けている。
「矢口くん……やめてよ……お願いだから」
「……ごめん、月原」
悠の懇願は聞き入れられず、非情な行為は続行された。
「おい、上も脱がせろよ。どうせなら真っ
「いいねぇ。乳首の電極とかも買ったよな?」
「うつ伏せのほうが良くねえ?ケツに突っ込むんだろ?それ」
「言えてる」
――なんということを話しているのだろう、こいつらは。
悠はこれから自分の身体に何が行われるのか想像して、目の前が真っ暗になった。
笠井が悠のシャツのボタンを外していく。ぐるりと視界が回転した。むせ返るような木々の緑が、残酷な行為をざわざわと見物している。
「やめろ!いやだってば!!」
工藤が、パンツ一枚にされて暴れる悠をうつ伏せにして、両腕をがっちりと掴んだまま薄い背中に馬乗りになった。
「あぐ!」
砂利に押し付けられた頬が痛い。泣くつもりなどないのに、気付いたら涙がだらだらと流れていた。
「はい、今日の主演は変態ゲイの月原くんです!今から屋外露出プレイやりまぁす!」
「ぎゃはははは!ウケるー!!」
「いやだ!やめろ!やめろーーっ!!」
必死の叫びも虚しく、下着に手がかけられた。
悠の
「あ―――――――っ……!」
遠くでバイクの音がした――気がした。
「――わかった。杉山神社だ」
戸田はあちこちに連絡を取っていたが、やがてそう結論づけて学校を飛び出した。クルスも後を追う。
二人はクルスのバイクで杉山神社に向かった。
「確かなのか?」
「十中八九ね。斉藤慶太って知ってる?」
「……悠にちょっかい出してた奴かな」
「そう。そいつが矢口くんと連れ立って神社に入っていったのを、見てた生徒がいた」
「あんた……市内にスパイ網でも持ってんのか?」
「ははっ!それは小説の読みすぎだよ、と言いたいところだけど、まあ近いかもな。各クラスに何人かは、クラスの状況を教えてくれる子を確保してる。どういうグループができてるかとか、誰が休みがちだとか、いじめがないかとかね。学校の近辺で不良がたまり場にしてる場所も、だいたい把握してる。それと各部活の下校時間や自宅の方面を組み合わせると、誰がいつどこにいるか、なんとなく予想がつく……君が授業中どこで昼寝してるかも知ってるよ」
「
「そうしてくれるとありがたいね。俺、腕力はからきしだから」
そう言う戸田はしかし、引退前は空手部の部長を務めていた。
そうこうしている間に、二人を乗せたバイクは杉山神社に着いた。
「うわ、ちょっと……!」
クルスが神社の短い階段をバイクで一気に駆け上がったので、さすがの戸田も驚いて声を上げた。
クルスはバイクを境内に停めるなり、声のする方――本殿の裏手へと駆けていった。
「ビンゴだったか」
ヘルメットを脱いだ戸田は、小さく安堵の息をついた。もし間違っていたら、怒り狂うクルスを受け止める自信はなかったからだ。
「やべぇ、クルス……!」
バイクの音を聞きつけて、様子を見に来た熊谷がクルスに気付いたのと、クルスが熊谷に飛びかかったのが、ほぼ同時だった。
「ぐあっ!」
「クルス、てめえどっから――」
振り向いて攻撃態勢を取りかけたケータを、クルスは無言で蹴り倒した。
「……わぁお。王子様の登場?」
「うるせぇよ」
軽口を叩く笠井を問答無用で殴り飛ばし、逃げかけた工藤の背中に飛び蹴りした。
「ぐふっ!」
工藤は砂利に顔から突っ込んで倒れた。
戸田が、携帯カメラを構えたまま呆然としていた矢口から、携帯を取り上げた。
「あっ!」
「悪いけど、これは預かるよ。データは全部消させてもらう」
戸田はそのまま矢口の携帯のロックの設定を解除して、ポケットに入れた。
「……くそっ」
ケータはよろよろと起き上がり、裏の雑木林へと逃げ出した。
「てめえ!」
クルスがすかさずケータを追う。なだらかな斜面を転がるように二人は林の中を駆け下りていったが、間もなくクルスが追いついて、ケータが立ち上がれなくなるまで殴りつけた。
「君らのことは生徒指導の先生に報告するから、そのつもりでいろよ」
神社では戸田が、逃げるように去っていく四人に言い渡した。そして地面に転がっていた性玩具を拾い集めて、黒いビニールバッグにしまった。
「まったく……ご丁寧にこんなえげつないモノまで用意して」
悠は、無言でズボンを引っ張り上げ、落ちていたワイシャツに袖を通した。
「悠!」
クルスが雑木林から駆け上がってくる。遠くに、ケータが斜面を逆に降りて行くのが見えた。
「悠、悠っ」
「クルス……」
クルスは悠に飛びつくと、悠の顔や身体に怪我がないか調べた。
「はなせよ……大丈夫だから」
悠はクルスの手を軽く振り払った。その手が乾いた泥で汚れている。
見ればクルスの頬は青黒く腫れ上がり、腕はすり傷と痣で覆われていた。白いシャツは血と泥で変色し、制服のズボンも泥まみれだ。どう見ても、今ケータたちとやり合っただけでここまで汚れたのではない。
「クルス……どうしたの、その傷」
「ああ、気にすんな、こんなの。それよりお前、あいつらに脅されて学校休んでたのか?」
悠はどきんとした。喉の奥が塞がれたようになり、胃がきゅうっと締め付けられる。
「クルス、まさか……あの写真、見たの」
「ああ」
「……っ!」
悠の顔が絶望に歪み、次の瞬間、悠は林の中へ駆け出していた。
「悠!」
下草に足を取られ、悠の身体が斜面に投げ出された。
「あっ!」
「悠っ!!」
クルスが悠に飛びついて抱きかかえ、受け身を取る。ザザザザーッと草をなぎ倒して、二人は止まった。
悠はクルスの腕の中で、両手で顔を覆って叫んだ。
「もう……ほっといてよ!僕のことなんか!」
クルスの顔が見られない。あまりに自分が情けなくて。
「こんな、怪我までして……僕と関わるから、クルスまでゲイとか言われてバカにされて、僕と関わるから……!」
そんなこと、思ってない、本当は。
だから言っちゃダメだ。
なのに、言葉が次々と出てきて止まらない。
「君はいいよ、強いからな?何を言われても平気だろうさ。誰も君の服を脱がせて、動画撮ろうなんて、思わないよな?できないもんな。だけど僕は、君とは違うんだ。頼むから」
言っちゃダメだ。
「もう僕に関わるなよ!元はと言えば、君が手なんか握るから――!」
さわさわと、高い梢から葉擦れの音が降ってくる。
永遠のような沈黙の後で、クルスは静かに言った。
「……わかった」
悠は顔を覆ったまま、それを聞いた。クルスの、低すぎないハスキーヴォイス。
(これで、終わりだ……)
顔を覆った指の間から、木漏れ日を感じる。
ふっ、とクルスの体温が悠から離れたのを感じた。
(これで終わりだ……クルスは行ってしまう)
それでいいんだ。元の自分に戻るだけだ。心を閉ざしていれば、三年なんてあっという間だ――。
「……っく……」
嗚咽が唇を震わせた。
その唇に、柔らかいものが触れた。
悠は最初、それが何なのかわからなかった。数秒の後、柔らかくて温かいそれが唇から離れたので、悠はそれが血の通った何かであることに思い至った。
悠は両手を顔から離し、目を開けた。悠は眩しさに目を細めた。
西に傾きかけた太陽が、木立の間に幾つもの斜線を描いて差し込んでいる。
その金色の光を浴びて、クルスの金髪がきらきらと輝いていた。
「……キスがそんなに、悪いことかよ?」
自分を見下ろしたクルスに言われて、悠ははっきりと認識した。さっき悠の唇に触れたのは、クルスの唇だったのだ。
「あんな絵、気にすんなよ。堂々としてろ。誰がなんと言おうと、お前は俺のダチだ。俺は全力でお前を守る」
「……っ」
止まったはずの涙が、また溢れ出した。
「俺は、何度でも言うぜ?お前は強い奴だと思うし、だから俺はお前を守る。バイクで送るのもやめねぇ。いいな?」
「……っ、――――っ、……」
嗚咽が止まらない。
悠が泣き止むまで、クルスは悠の頭を優しく撫でていた。
「クルス、戸田さんと来たの?」
「ああ。でも先に帰ったみたいだ」
暮れかけた境内から、クルスはバイクを道に降ろした。
「矢口の携帯奪ってたから、たぶん撮られたデータは消してくれてるよ。あの人、やべーわ」
「そうなの?」
「絶対ウラで悪いことしてんぜ」
「まさか」
クルスの冗談に、悠はくすっと笑った。
「いや冗談じゃねぇよ。橘の黒幕だぜ、あいつ」
「あいつって。先輩なのに」
バイクに跨ったクルスの後ろに悠が乗り、クルスの腰に腕を回す。
久しぶりの体温と汗の匂いを感じて、悠はクルスの背中に頭をあずけて眼を閉じた。
「おい、寝るなよ?落ちるぞ」
「うん」
「だから寝るなって」
「うん……」
夏の終わりの薄暮の中を、赤いバイクが滑らかに走っていく。
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