第8話 黒い過去。

 西公園は市内を流れる川沿いに細長く広がった公園だ。

 バイクを飛ばして駆けつけたクルスを待っていたのは、悠ではなかった。

 公園にはバイクが何台も停まり、見るからに素行の悪そうな若者が集まっていた。

「……あいつ、ハメやがったな」

 悠は小さく舌打ちした。

「よう。久しぶりだなァ、クルス」

 声を掛けてきたのは、集まっていた中でもひときわ体格のいい男だった。黒いタンクトップの下の肌には、両肩から両腕にかけて派手なタトゥーが入っている。

「佐野原……」

「橘行ったとは聞いてたけどさァ、随分おとなしくしてるみてーじゃねぇか、あァ?」

「そっちは人数集めてだいぶ楽しそうだな?」

 クルスは集まっている若者たちを見回した。二、三十人はいるだろうか。見覚えのある顔もちらほらあったが、橘高校の生徒はいない。

「てめーのせいで一年も年少喰らってたからなァ。ちょっとお礼がしたいなーと思ってよォ。仲間は多いほうが、楽しいパーティーになるだろォ?」

 独特の、語尾を伸ばす話し方が耳につく。

 ここに悠がいないなら、佐野原とケンカする理由はクルスにはない。だが佐野原の方は、クルスをただで帰す気はないらしい。クルスは面倒くさそうにため息をついた。

「ひとつ教えてくれよ、佐野原」

「あァ?なんだァ?」

「俺は橘の生徒ヤツに言われてここに来たんだが。お前、橘の誰と繋がってんだ?」

 矢口、と名乗った生徒は、髪を染めてはいたが不良ではなかった。悠のことを知っている誰かに命令されたのだろう。そしてそいつが、クルスをエサに佐野原に誘いをかけたのだ。

「さァね?気に入らねぇ奴がいるからやっちまってくれって頼まれたんだよ。お前、どこ行っても嫌われてんだなァ」

「奇遇だな。俺もお前が嫌いだ、佐野原」

 にやり、とクルスが微笑った。

「んだとコラァ!!」

 飛んできた佐野原の拳を左腕で弾き、右の拳を繰り出す。だが最初の一発は佐野原の硬い腹筋に跳ね返された。そこへ、佐野原の仲間の一人がクルスめがけて角材を振り下ろした。クルスは地面に転がって避けると、起き上がりざまに近くにいた男の足を蹴り払った。そのまま周りにいた男たちを三人ほど殴り倒したところで、ビビビッという音と共にクルスを激しい衝撃が襲った。

「……ウアッ!」

 ガクンと身体から力が抜け、クルスは地面に倒れた。

「オラオラァ!」

「どしたァ?」

 佐野原たちは倒れたクルスを取り囲み、蹴り回した。水たまりの泥が、クルスの顔と身体を汚す。

「クルスよぉ、お前ちょっと調子乗りすぎじゃねぇ?」

 佐野原は泥水ごとクルスの顔を容赦なく蹴り飛ばした。

「ぐっ……は」

「俺はさァ、年少入ってる間ァ、てめーのことどうやって殺してやろーか毎日毎日考えてたんだぜェ?」

 佐野原はクルスに馬乗りになった。クルスの襟元を掴み、顔を拳で何度も殴りつける。

「……うぐ!」

「ホラ、なんとか言ってみろよォ!」

「……っは」

「俺は聞きてぇんだよォ!お前が鼻水垂らしながら、すいませんでした、許してくださいって泣き入れんのをヨォ!」

「誰が……!」

「アァ!?」

 しかし、佐野原が渾身の力で振り降ろした拳は、クルスの顔には届かなかった。

 どかっ、と蹴りが飛んできて、佐野原の身体が真横に吹っ飛んだ。

「公園で泥遊びか?楽しそうだな、クルス」

 制服姿の、赤い髪を後ろでしばった男が、爽やかな笑顔でクルスに手を差し出した。

「……うるせえよ、京一」

 口に入った泥をペッと吐き出して、クルスは言った。


 二十分ほど前――。

 西公園の横を、二人乗りの自転車が通りかかった。学校帰りのカイとタローだ。

「あれ、クルスさんじゃね?」

 自転車の後ろに乗って棒アイスをかじっていたタローの言葉に、カイが自転車を停めた。公園には不良がたむろして、何やらもめているようだ。

 そしてどう見ても、大勢を相手にクルス一人が絡まれている。相手のボスは――。

「なあ、あのでかい奴……佐野原さんじゃん?」

「ってか、なんかヤバくねえ?」

「俺、ちょっと姉ちゃんに電話するわ」

 タローが携帯を取り出し、姉の携帯にコールする。

「もしもし?姉ちゃん、京一さんに連絡って取れる?今、西公園でクルスさんが――」


 *


 数年前――。

 市立城南中学の来栖未来と、市立黒沢第一中学の安西京一は、市内の不良たちの間では一目置かれる存在だった。

 特に、黒沢第一中学――通称黒中くろちゅうは、すぐ近くにある黒沢工業高校と並んで、不良が多いことで有名だった。その黒中最強の男として名を馳せたのが、「赤毛のアン」こと安西京一である。

 アンと来栖未来――クルスは、幼馴染だった。小学四年にクルスが転校して、学校だけは離れ離れになったが、放課後はいつも一緒にいた。当時、携帯も持っていなかった二人だったが、不思議とお互いの居場所がすぐにわかった。それほどまでに二人はお互いのことを分かり合っていた。

 アンとクルスは小学生の頃からケンカが強く、二人でいれば負け知らずだった。その噂は中学にも伝わり、アンが黒中に上がると、入学式当日に囲まれた。だがアンはそこで一人勝ちし、半年もたたずにアンは黒中最強まで上り詰めた。

 クルスは逆に、城南では最初はおとなしかった。

 城南中学には、既に狂犬のような少年が君臨していたのだ。

 城南中二年の佐野原レオだ。

 南米の血の混じった佐野原は、日本人離れした体格と筋力、そして彫りが深く凄みのある顔立ちで、周囲を圧倒した。幼い頃から武術を習っていた生粋の武闘派で、二年に上がる頃には、中学生はおろか周辺の高校の不良たちでも、彼に敵うものはいなかった。

 その佐野原が城南中のトップの座を譲り渡した事件が起きた。

 アンとクルスが二年、佐野原が三年の、やはり夏だった。

 佐野原のグループの不良たちがいじめの標的にしていた少年が、自殺を図った。それをたまたま通りかかったアンとクルスが止めた。そして、二人は少年をいじめていた不良たちを待ち伏せて殴り倒した。

 手下をやられた佐野原は、金髪の後輩を意識せざるを得なくなった。

 佐野原は最初、クルスを仲間に引き入れようとしたが、もちろんクルスは応じなかった。当時クルスは、学校では一匹狼だった。放課後はアンと一緒にいるか、夜中までバイクを走らせていた。懐柔に失敗した佐野原は、一転してクルスを攻撃した。が、佐野原はクルスに勝てなかった。クルスに手を出そうとすると、いつもアンが黒中の仲間たちを引き連れて加勢に来た。結局、佐野原の卒業まで、クルスが佐野原たちに負けることはなかった。

 佐野原が卒業すると、城南中の不良たちは一斉にクルスの下についた。クルスにその気がなくとも、佐野原の独裁に辟易としていた少年たちはクルスに新しいリーダーを求めたのだ。

 そして、高校に進学した佐野原は、更に凶悪化した。

 俗に「半グレ」と呼ばれる集団に属し、中学生や高校生に、売春や詐欺をさせていたのだ。

 ひょんなことから佐野原たちの悪行に関わってしまったアンとクルスは、この時とうとう佐野原と決定的に敵対した。さんざんモメた後で、最終的にアンとクルスは、佐野原が任されていた事務所をひとつ潰した。

 組織は摘発され、佐野原は少年院に送られた。


 *


「懐かしいじゃないの。退院てきてたんだ?」

 アンは自分が蹴り飛ばした佐野原を見下ろした。

「てめぇ……殺す!」

 佐野原が体勢を立て直し、飛びかかってくる。

「おい、これ持って下がってろ」

 ぽい、とアンは手にしていた薄いカバンを投げた。タローがカバンを受け止める。

 殴り合う佐野原とアンの横で、立ち上がったクルスが佐野原の仲間たちを次々と倒していく。

 公園はすぐに乱闘になった。

「俺らも加勢しますよ!」

 カイとタローも飛び込んでいく。

「お前、なんでこの人数相手に一人でケンカしてんの?バカなの?」

 乱戦の合間、アンがクルスに訊いた。

「知らねぇよ。学校で知らねぇ奴に呼び出されて、来てみたら――」

 そこまで言って、クルスははっとした。

「……そうだ、悠……」

 悠が待っている――そう聞いて、クルスはここへ来たのだった。

(違う……あいつは「西公園で待ってる」って言っただけだ)

 クルスは矢口の言葉を反芻した。

 矢口が言ったのは、『月原が学校を休んでいる』、それから、『西公園へ来てほしいと言っていた』ということ。誰が、とは言わなかったのだ。

 そして――あの写真。

「どうした、クルス?」

 何ごとか考え込んでいるクルスに、アンが声を掛けた。

「何か気になるのか?」

「俺の……ダチが、ヤバいかも」

 何がどうヤバいのかはわからない。だが胸騒ぎがする。

「ここに呼び出されたのは、そいつから引き離されたのかも……わかんねぇけど」

 携帯はバイクに置いてきていた。そちらを気にするクルスを見て、アンは小さく笑った。

「気になるなら行けよ。ここは俺がどうにかしとくからさ」

「いや、さすがにそれは……」

 味方が増えたとはいえ、三十対四である。カイとタローも善戦していたが、佐野原以下数名は明らかに中学生の手に追える相手ではない。クルスが抜けてしまうと、アン一人の負担が重すぎる。

 だが、アンは余裕の笑みを浮かべて言った。

「クルス、お前さあ、俺が一人で来ると思う?」

「……!」

 その時、遠くから、何台ものバイクの音が聞こえてきた。

黒沢工業クロコーの奴らだ!」

 誰かが怒鳴った。

 駆けつけた黒沢工業の生徒は、総勢五十人は超えていた。

「な。大丈夫だから、さっさと行けよ」

 アンがクルスの肩を叩く。

「悪ぃ、京一。あとでおごるわ」

「おう」

「クルス!てめぇ、逃げんのか!」

 佐野原の怒声を背中に聞きながら、クルスはバイクに飛び乗った。

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