第5話 赤い疾走。

 重なり合うバイクの排気音を背中に聞きながら、クルスはフェンスにもたれてタバコに火をつけた。

 曇り空に、吐き出した紫煙が溶けていく。

「あれー?クルスさんじゃないっすか!」

 クルスが振り向くと、制服姿の少年が二人、歩いてくるところだった。

 ブレザータイプの制服をだらりと着崩して、耳にはたくさんのピアスがついている。仲が良すぎて、競うようにピアスホールを空けてしまうのだ。

「何してんすか、こんなとこで」

 少年の一人が、フェンスの向こうを顎で指して訊いた。

「何って、バイクの教習だよ。免許取ろうと思ってさ」

「クルスさんなら教習所なんて通わなくても一発合格じゃないっすか!」

「そっすよ!いつもどおり、ヴィヴィーン!って」

 もうひとりの少年が両手を前に突き出して、アクセルを回す仕草をする。

「バカ。いつもどおりやったらソッコー免停だろが。安全運転だよ安全運転。てかお前ら、中学校ガッコーどうした?」

「んなもん、サボりっすよ!」

神谷先生カミセンのクソ下手くそな英語聞きながら寝てたら、めんめんのワカメラーメンが夢に出てきて、目が覚めたらどーしても食いたくなっちゃって!」

 二人は人懐っこそうな笑顔で元気よく答えた。

「あー」

 クルスは思い出して苦笑した。神谷は初老の英語教師で、どこをどう間違ったのか彼の発音はお経にしか聞こえない。

 田辺カイトと日野太郎。二人はクルスの中学の後輩だ。

「お前ら、そんなんで高校行けんの?」

「ヨユーっすよ!黒沢工業クロコーですもん」

「タローは?」

「カイと一緒っすよ。それに、『赤毛のアン』さんも黒沢工業クロコーっすよね?」

「俺ら、アンさん憧れなんすよ!クルスさん親友ダチっすよね?」

「あー、そういや京ちゃん最近会ってねぇなあ」

 髪の毛を赤く染めた「赤毛のアン」こと安西京一は、クルスの幼馴染だ。近隣で最も不良が多い黒沢中学で、入学から卒業までの三年間ずっと一番ケンカが強かった。

「俺おととい会いましたよ!めんめんで!」

 タローが言った。

「お前、どんだけめんめん好きなんだよ」

 クルスは呆れて言った。

「今めんめんで姉ちゃんがバイトしてんすよ」

「そういやお前の姉ちゃん、京ちゃんと付き合ってんだっけ。続いてんの?」

「もう超ーラブラブっすよ!」

「……俺もめんめん行こうかな。腹空いてきた」

「いいっすね!行きましょうよ!」


 橘高校では期末考査前で部活動が一斉に休みに入った。

 校門を出るところで、悠はばったりと庄司に会った。

「あら」

「……どうも」

 軽く頭を下げて先を譲ったが、庄司は振り向いて立ち止まった。

「駅まで?」

「はい」

「一緒に行く?」

「えっ」

 思いがけない誘いだ。

「数歩後ろから着いてこられるのも微妙だから」

「ああ、確かに」

 庄司と悠は並んで歩きだした。

 悠が話題を探していると、庄司の方から話しかけてきた。

「この間はごめんね。私は止めたんだけど、戸田さんが、絶対向いてるって言うものだから」

「えー……僕、会長に会ったの、あの日が初めてなんですけど」

「ああ、君、寝てたもんね。電車で初めて会った日、覚えてる?あの時、戸田さん保健室に来たのよ。君が寝てる間に」

「うわ、じゃあ僕、お二人に寝顔見られてたんですか」

「三人、いたけどね。君のお友だちの」

「ああ……」

 友だち。

 自分とクルスは、果たして友だちなのだろうか。

 自分にとってはそうでも、クルスにとっては?いや、こんな自分が彼を友だちだと呼ぶことすら、彼にとっては迷惑なのではないだろうか。

 そんな考えが頭の中をぐるぐると巡り、悠は憂鬱になった。

「あら、噂をすれば」

 庄司が声を上げたので、悠は視線を追った。ちょうど駅前に差し掛かったところだった。

 駅前のラーメン屋から、金髪の青年が出てきた。

 クルスだ。

「あ……っ」

 思わず「クルス」と呼ぼうとして、悠は声を飲みこんだ。

 クルスには連れがいた。

 見知らぬ制服を着た二人の少年と、私服のクルス。三人は何事か会話しながら、こちらに気付くことなく歩いていく。楽しげな笑い声が悠たちのところまで聞こえてくる。

「あれ、城南中の制服ね。来栖くんの出身校だから、後輩なのかな」

「出身校まで知ってるんですか。学年違うのに」

「生徒全員ではないけど、彼は目立つから」

 そうこうしているうちに、彼らは駅の向こうへ渡る踏切の方へ向かっていった。

「声、掛けなくていいの?」

「……なんか友だちと一緒っぽいし、いいです」

「君だって友だちでしょう」

「友だち……なのかな」

 悠はここしばらくもやもやと抱えていたことを口に出した。

「最近、会ってなかったし。もう飽きられたのかなって」

「なにそれ。倦怠期の夫婦じゃあるまいし」

 二人は踏切の方には行かず、改札を通って電車に乗った。庄司は悠の家よりも更に遠い駅から通っていた。

「倦怠期……になるほど、仲良かったかって言うと……今思えば、昼飯一緒に食べてただけだし」

「十分じゃない?何をしたら仲良しかって、そんなの人それぞれだし」

「でも、仲良いって言うのもおこがましいっていうか。僕なんかが」

 言いながら、なんて卑屈なんだろう、と悠は思った。そういえばクルスにも言われたな、と思い出した。

 庄司は「ふうん」と言ったまま、しばらく何事か考えていたが、やがてぽつりと言った。

「彼は君のこと、友だちだって言ってたよ」


 それから三日ほど、体調を崩して悠は学校を休んだ。ようやく熱が下がったのは、テストの初日だった。

 長かった梅雨がとうとう明けて、空は快晴だ。

「大丈夫なの?先生に言って、追試にしてもらえないの?」

 母親が心配する。

「もう平気。追試に行くのも面倒だし、今日受けちゃうよ」

 そう言って家を出たものの、この三日間粥のようなものばかり食べていたせいか、元々頼りない体力がすっかり落ちていた。駅までの平坦な道を歩くだけで息が切れる。電車の席が空いていたのが救いだった。悠は単語帳を出したが、すぐに眠気が襲ってきて、結局降りる駅まで熟睡してしまった。

「大丈夫?」

 声を掛けられて、悠は眼を覚ました。目の前に庄司がいた。

「あ、今……どこ?」

「次だよ、降りるの」

「ありがとうございます」

 悠は安堵のため息をついた。

 庄司と共に電車を降りて、改札を出た悠は、目を疑った。

「おはよ」

 眠そうにそう言ったのは、クルスだった。

 それも、真っ赤なバイクにまたがって。

「どうしたの、これ……クルスの?」

「あー、買った」

 さらりと言う。

「中古だけどな。真面目に教習所にも行ったし、めっちゃバイトしたわー」

「クルス……まさか、それでずっと学校休んでた?」

「あ、バイトは夜間だけど。眠くてさあ」

「夜、ってまさかホス……」

「バカ。工場だよ」

 悠の頭に、ぼすっ、とクルスがヘルメットを被せる。

 悠とクルスのやり取りを黙って聞いていた庄司は、ため息をひとつついてクルスに言った。

「ほんと、おいしいとこ持ってくわね、君は」

「え?」

「なんでもないわ。じゃ、私先に行くから」

 庄司はひらひらと手を降って、学校の方へ歩いていった。

「乗れよ」

「いいの?」

 恐る恐るクルスの後ろにまたがる。周囲の視線が少し気になったが、ここで断れるはずがない。

「あ、お前さあ、降りたらLINE教えて」

 背中越しにクルスが言った。

「え、いいけど……」

「ったく、せっかく免許取って待ってたってのに、いつまでたっても来ね―んだもん。休むなら休むって言えよな」

 悠はきょとんとした。「待ってたのに来ない」……ということは。

「……まさかクルス、昨日も待ってたの?」

「昨日も一昨日もその前も待ってたよ。うるっせーな。言わせんな!」

 照れ隠しのようにブォン……とエンジンをふかして、バイクが走り出した。

「え、これってどこつかまんの」

「俺につかまんだよ!」


 クルスは放課後も悠を乗せて走った。

「家まで送ってやるよ」

と言って、駅を横目に見ながら国道を直進する。

「え、それはさすがに遠いし、悪いよ」

 悠は慌てて止めようとしたが、クルスは止まらない。

「乗ってんの、つらい?」

 信号待ちで止まった時、クルスが訊いてきた。

「つらくはないけど、クルス大変でしょ。帰りもあるし」

「……お前さあ、わかってねえな」

 クルスは笑った。その時、信号が青になったので、話の続きを聞くことはできなかった。

 実際、クルスのバイクは乗り心地が良かった。スピードを出しすぎないようにしてくれているのだろう、それほど恐怖感はない。ただ、バイクの排気音と身体の横を勢いよく通り過ぎていく風が、新鮮な緊張感をもたらした。それは次第に高揚感に代わり、やがて今まで経験したことのない爽快感に包まれた。帷子川が近づいてくると、少し残念な気持ちにすらなった。

「着いたぜ」

 数十分ぶりに降り立った地面が妙に硬く感じて、悠は少しよろめいた。

「っと、大丈夫?」

 クルスが悠の腕を掴んだ。

「大丈夫。なんか足が変な感じ」

 ハハッ、とクルスが笑う。

「まあ、そのうち慣れるよ。じゃまた明日な」

「明日?」

 悠は聞き返した。今日は買ったばかりのバイクを見せたかったのだろう、くらいにしか思っていなかったのだ。

「ああ。朝七時半に迎えに来るよ。早いか?」

「早くはないけど……なんで?」

「お前、電車でぶっ倒れるじゃん」

「あっ……まさか、それで?」

「なんだよ。電車のほうがいいなら来ねえけど」

 クルスは唇を尖らせてそっぽを向いた。

 悠は呆気に取られた。

 正直、毎日バイクに長時間乗っていられるかは、自分でも全くわからない。だが、今走ってきた感覚は、悪くなかった。

「そりゃあバイクのほうが気持ちよかったけど、でも悪いよ。クルスんち学校のすぐそばなのに、わざわざ逆方面まで迎えに来るの?」

 クルスは、ハァーと大きく息を吐いた。

「あのね、バイク乗りってのは、バイクで走りたくて仕方ないわけ。目的もなく、無駄に夜中に遠出したりするの。わかった?だからお前が気を使うことなんてなーんもないから」

 結局、悠はクルスに押し切られた。

 翌日から、悠はクルスのバイクで登下校した。天気はずっと晴れだった。

 そして期末考査が終わり、夏休みがやってきた。


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