復讐の狂門10 『白銀の皇女』
ウルテイオでの学校生活にも慣れた日の翌朝。まだ他の生徒達が睡眠に身を任せている頃。
夜空の様な瞳を持つ端正な少年——ズィクトは己が肉体が鈍っている事を自覚し、ひとり鍛錬を目論んでウルテイオの広大な敷地の一角、廃墟となった元訓練場へと足を運んでいた。
そこで素振りや呪文を使った戦闘訓練をしようと考えていたのだが——。
「……先客か……っ」
「……」
そう、すでに先客がいた。それも汗をかいたベタベタの私服から緑が基調の制服に着替えている最中の女生徒が。
ズィクトの視線は年相応らしく一点に注がれた。
十五歳にして大きく膨らんでいる恵まれた胸に、贅肉のない引き締まった体つき。処女雪を思わせる清純な下着が彼女の美しさを際立てていた。
「——できれば見ないでほしいのだけれど」
「っすまない——!」
赤の制服を振り返る勢いで翻し、少年は軽く頭を振った。
彼女の肌と制服の擦れる音が妙に艶めかしく——瞬間、ズィクトは彼女の正体を完全に理解した。
「もう振り返ってもいいわ」
「あ、ああ……」
そうして改めてその少女を瞳に収める。
あぁやっぱりか……俺は……運がないのか? それともあるのか?
ズィクトが現実逃避に近い状態で愚考する。
そんな状態を不審に思った彼女が——
「別に怒ってないわよ? 誰も来ないと勝手に判断して無防備に着替えていたのは私だもの」
フクシアが絹よりも綺麗な白銀の髪を撫でた。
「……そう言ってもらえると助かる……じゃあ俺はここらへんで失礼——」
「逃げないで」
青空を丸めて作られたような瞳から放出される眼力にズィクトが足を止める。けれど少年が真に恐れていたのはそれではなかった。
再度ゆっくりと背後の少女へ体を向ける姿は腫れ物を触るようだ。
「っ」
あまりにも神秘的な美しさを誇る彼女に少年は目を細めた。
雪のような白い肌も血流のよい唇も均衡の取れた顔のパーツもフクシアを魅力的に見せる要素ではあるが最たるものは——青く光る宝石の瞳だろう。
遠慮がちにズィクトが語り出した。
「あの噂は事実だったか」
「あの噂?」
「君が魔法眼を所持していることさ。今もそれの嫌な力を感じる」
魔法皇国において——否、魔法皇国をも超える膨大な魔法界全体において、魔法皇国の第一皇女には噂があった。
曰く——フクシア・マギア・インペラートルは
今だってズィクトは甘い瞳の虜になってしまいそうなのを残りわずかな自制心で耐え抜いているのだ。
「……
「ごめんなさい。これは常時発動するもので……私の意思とは関係ないの」
フクシアが眉を下げた。
「目を閉じてもだめなのか?」
「ええ、考えられる対策は基本的に全部やったわ」
「そうか……」
両者の間に沈黙が訪れた。それをはじめに破ったのは黒髪の少年だ。
「そういえば名乗ってなかったな。俺は——」
「ズィクト・スパーダでしょ? 知ってるわ」
「……まあ不思議ではないか」
「当然よ。初日からあんなに注目を浴びて、木剣のみとはいえウルガータくんとも戦ってたし……」
例の
「今の貴方は私の次くらいには有名かもしれないわね」
「面白くない冗談だ」
内心でため息をこぼしたとき——フクシアが思い出したように口を開いた。
「そういえばズィクトくん」
「なぜ俺のことをヴォルゼイオス・ウルガータのように家名で呼ばない」
「いいじゃない。私のあられもない姿を見た殿方を特別に扱っても。貴方も私のことを『フクシア』と呼ぶといいわ」
「いやっ俺は……」
「うら若き乙女の素肌をあんなにも見つめてたくせに」
「……」
少し揶揄う意味をもって白銀の少女が告げる。彼女こそは平然としているが、その一方でズィクトの心にはフクシアの白い肌が蘇り、動揺に転げ回った——刹那、
「話を戻すわ。貴方、なんでウルガータくんと本気で戦わなかったの? 手を抜いていたでしょう?」
「——」
少年は酷く冷たいほど冷静になった。そして体感で数秒、実際にはコンマの脳世界で言葉を述べはじめる。
まさか皇女の観察眼を見誤った? それを俺に言ってどうするつもりだ? 何か考えがあるのか? それとも俺の本当の実力を知りたいだけ? このまま何も喋らないのはまずい。どうする、どうする、どうする?
そして、ズィクトは確信を得てしている瞳を前に一旦とぼけることにした。
「なんのことだ? 手を抜いた覚えはないが」
「とぼけるつもり? ウルガータくんの事はともかく、パッタシくんの事は言い逃れできないわよ?」
「パッタシ——?」
初耳の人物に疑問こそ呈したものの、その実ズィクトは「パッタシ」の正体があの時決闘した赤髪の少年と理解していた。
やはり失敗だったか、と口には出さない。
「彼と決闘したとき、中級呪文の『
それどころか二年生でも才能ある一部の生徒しか使えない呪文のはず——フクシアは確信している。
目の前の少年は実力を隠していると。
「そういう君だって
「曲がりなりにも皇族だもの。使えて当然よ」
フクシアは誇らしくもなく言ってのけた。
「そんなことないだろ。きっと俺達の目には見えない壮絶な努力があったはずだ。褒められたり評価されるのは——それこそ当然。皇族とかは関係ない」
最も神童と名高い彼女が中級呪文ひとつに壮絶な努力をしたかと問われればそれは違うのかもしれないが……。
ズィクトが内心で苦笑いをこぼした。
しかし、フクシアは若干驚いた風を見せた。
「そ、そう……
「ん?——なぜそこで皇族語を使う? 俺は共通語しか習っていないが……」
ズィクトが怪訝そうに首を傾げた。
彼女が発した言語は皇族のみしか知り得ないからだ。当然ながら少年は皇族ではなく、一般家庭出身であって理解はできない。
フクシアがわずかに頬を上気させた。
「ご、誤魔化さないでって言ったのよ。ほら、白状しなさい。なぜ力量を隠しているの?」
「どちらかと言えば誤魔化しているのは君だろう。第一皇族語を——」
そこまで口にして、フクシアと己の間にちょこんと立っている女生徒に気づいた。
少年の視線を追ってフクシアもそれの存在に気づく。
「にゃー」
「……なんて?」
エクスティンを凌ぐ小さな少女だった。意味不明の言葉を吐き出す姿は彼女の華奢な容姿と合わさっていっそのこと可愛らしい。
はぁ、と上品なため息をついたフクシアが言った。
「日常生活で気配を消すのは辞めてほしいと申したのだけれど……」
「知り合いか?」
「これで知り合いではなかったら彼女はただの変人でしょう?」
少年は改めて例の少女を見やる。それに合わせて「にゃー」と鳴く様は猫、なのだろうか?
ふむ——と一瞬だけ迷い口にした。
「知り合いではない俺の立場からひとこと言わせてもらうが……変人だと思うぞ」
「……」
文字通り言葉を無くした皇女に猫の少女は仁王立ちした。
「
「……ごめんなさい。でも確かに貴女は変人だから」
「にゃにゃ!? コイツ友達を貶しやがったにゃ!?」
賑やかだな、と少年は思った。その元凶の少女は緑の制服を着用しており、フクシアとも知り合いのようだ。つまり、
「ズィクトくん、紹介するわ。彼女は——」
「にゃーはネオル・ルールナにゃ。
「あ、ああ——よろしく」
やっぱり
フクシアがぎこちない二人を見ながら思う。
やがて助けを求める少年を見て、
「まだ聞きたいことはあったけど……ルールナさんが来たから先に行くわ。……
「じゃーにゃー!」
早朝から元気のよい二人の少女がいなくなり、嘘みたいに静まった元訓練場でズィクトがため息のように吐き出した。
「個性的なキャラクターだったな」
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