純粋だからこそ知らなくていいことがある

「……なんつうか」

「どうした?」


 クラブで働く大人の先輩とカウンターを眺めながら龍一は呟いた。


「マスターって人の心を開く才能があるなって思ってさ」

「あぁ確かにな。特にお前とかお前とか、よくよく考えるとお前とか」

「……うるせえよ」

「そう拗ねるなって」


 先輩からの言葉に気に入らない素振りをしながらも、龍一はそれはまあ確かに納得することだった。

 今日もこうしてバイトをしているわけだが、いつもと違う光景なのはその職場に静奈も一緒に居るということだ。

 もちろん大人のそういったことを目的にする側面も存在する場所なので、静奈はちゃんとマスターの傍から離れずに仕事をしている。


「お前がこうして特定の女の子を心配する姿も良いもんだな」

「良いってどういうことだよ」

「ちゃんと青春してんだなってことだ」


 先輩は壁に背を付け、腕を組みながら言葉を続けた。


「俺を含め他に働いている奴らも少なからず荒れてた連中ばかりだ。それこそ学生時代の青春なんざ棒に振ったな」

「……………」

「だから俺たちからすればお前もあの子も眩しいし、何よりこうしてずっと見ていたお前がそんな風に変わったのが嬉しいのさ」


 グリグリとそれなりに強い力で頭を撫でられた。

 髪型が崩れそうになるほどの強い力だが、不思議と龍一は振り解くことはせずに好きにさせていた。

 そんな二人の元に以前宗平の相手を任せた女性が近づいてきた。

 彼女、三原は仲良さそうにする二人を見てクスッと笑った。


「あらあら、二人して仲良いじゃない」

「おうよ。俺と龍一の仲だからな」

「……きめぇ」

「おい」

「ふふっ」


 サボっているわけではない、これもまた休憩みたいなものだ。

 先輩……名字は瀬戸せとというのだが、彼は先ほど龍一にしたような話を三原にもするのだった。


「マスターは人の心を開くのが上手いなって話をしてたんだよ」

「ふ~ん、まあ確かにね。私たちみたいなはみ出しものを良くコントロールしていると思うわよ」


 どうやら三原も考えることは同じようだ。

 マスターは凄いだとか、こういうところも良い人だとか、そんなことを話していると話題は当然マスターの隣に居る静奈に移る。


「それで龍一、あの子とはどこまで考えてるんだ?」

「どこまで?」

「結婚したいとか、将来のこと色々あるでしょ?」

「……あ~」


 そこまで言われて龍一は考えた。

 龍一は静奈のことを大切に考えているし、新しい関係に進むために恋人という関係に至りその先を望んだ。

 彼女もまたずっと前から龍一を支え、これから先も隣に居ると言ってくれたほどなのできっとそのような将来のこともある程度は考えているのだろう。


「……結婚か」


 結婚、それは人生の墓場……なんて少しロマンの無いことを考えてしまう。

 龍一にとって結婚に対する良いイメージはない、それこそもっとも身近な二人を見ていたからに他ならない。

 まあでも、そうやって結婚というシステムがあって龍一と静奈は産まれこうして出会うことが出来たわけだ。

 もちろん静奈だけじゃなく、千沙も沙月だって同じことだ。


「……?」


 っと、そんな風に結婚について考えていた時だった。

 龍一の視線の先に見覚えのある姿を見つけた――彼は浜崎、龍一たちが通う学校の教員だった。


「あいつ……こんなとこにも来るんだな」


 空回りするくらいの真面目な教師だと思っていただけに、こういう場所にも来るんだなと龍一は思った。

 彼は別に既婚者ではないはずだし、教師だから来てはならない決まりもないので龍一からすればお客様だ……まあ、別に顔を合わせるつもりは一切ないが。


「どうしたの?」

「あれ、うちの教師」

「ふ~ん?」


 瀬戸と三原も物珍し気に浜崎に視線を送った。

 ただ、龍一はともかくとして静奈が働いている場所を見られるのは少々面倒なことになりそうだと思った。

 龍一がマスターに目を向けると、即座にマスターも龍一の視線に気づき意図を汲み取ってくれたらしい。


「なんであれで気付けるんだろうな」

「マスターって人外?」

「人じゃねえのは確かだな」

「……ひでぇ」


 静奈は首を傾げていたものの、遠目ではあったが浜崎に目を向けてから龍一にも視線を向け、小さく頷いて裏に引っ込んだ。

 そんなあまりに良すぎる絶好のタイミングで浜崎と龍一は目が合った。

 静奈に対する説得も思うように行かず、母親の咲枝にも一切の言葉は届かなかったのもあり、龍一について何かを言うことは諦めたみたいだがそれでも目が合えば睨んでくるくらいには目の敵にされている。


「……っ」

「……ふ~ん」


 だがしかし、やはりこういう店に来た負い目があるのか浜崎は気まずそうに視線を逸らした。

 面白い光景もあるもんだなと龍一は笑い、これなら特に面倒な絡みはされないなと静奈の元に向かった。


「まさか先生が来るだなんて思わなかったわ」

「ま、クソ真面目な教師も男ってことだ」


 まあとはいえ、高校生なのにこういう場所でバイトをしているのも彼には色々と文句を言われるとは思うが……まあ説得力があるかと言えばそうでもないので、逆にどんな反応をされるか楽しみではあった。


「マスターの傍での仕事はどうだ?」

「えぇ、中々楽しいわね。料理のお手伝いくらいでお客さんと接するわけじゃないけれど、それでもマスターだけじゃなくて他の店員さんも良くしてくれて……うん、とても楽しいわ♪」

「そうか、それなら良かった」


 静奈の笑顔に龍一はホッと胸を撫で下ろした。

 それから浜崎の件はあったものの、特に店の中で何かが起こることもなく静奈を交えてのバイトは無事に終わりを迎えた。

 浜崎も特に絡んでくることはなかったが、もしかしたら学校で何かを言われる可能性も考えておくべきだろう。


「龍一君、今日はそっちに泊まりたいわ」

「来い」

「うん」


 短い龍一の言葉に静奈は嬉しそうに頷いた。

 そのまま家に帰るだけでというところで流石は夜の街、面倒な客というのは何処にでもいるようだ。


「ちょっと待ってくれよぉ~」

「あん?」

「なに?」


 二人に声を掛けたのは一人の男だった。

 彼は龍一に一切目を向けず、静奈にのみターゲットを絞ったようだった。


「君、さっき働いてただろ? ずっとマスターが傍に居て声を掛けられなかったんだよね」

「……………」


 どうやらずっと静奈に声を掛けるタイミングを見計らっていたらしい。

 制服ではないが身形からして学生というのは分かるだろうし、何より静奈は見た目から全てが極上の女だ――こうやってクラブで姿を見れば男という名のうるさい蠅を近づけるには十分だ。


「ほら、スマホ出してよ。連絡先交換しようぜ」


 この男、どうやら欲望のままに行動するタイプらしい。

 しかしそこでようやく、男は龍一にも目を向けた。


「そいつの後で良いから相手してくれよ、な?」


 ピクッと静奈の眉が吊り上がった。

 こうなる可能性も考えてはいたが、マスターが居る店の中で近づかないだけで外に出ればこういうこともあるのだろう。


「悪いがそれは出来ないな。こいつは俺だけの女、お前にはそっちの良い男の方がお似合いかもしれねえぜ?」

「……え?」


 隣で俺だけの女と高速で呟く静奈は置いておくとして、男は龍一が何を言っているのか分からず振り向いた。


「よぉ兄ちゃん、臨時とはいえうちのバイトの子を困らせるのは感心しねえなぁ」

「ひぃいいいいいいいっ!?!?!?!?」


 音もなく現れたのはマスターだった。

 ガシッと男の肩に手を置き、決して逃がさないと言わんばかりにその力を強めていく。

 男はサッとその手を振り払い、鬼を散らす勢いで走って行った。


「他愛もないな」

「ま、マスターを前にしたらそうなんだろ」

「どうしてあんなに怖がったのかしら」

「え?」

「お?」


 静奈の言葉に龍一とマスターは目を丸くした。

 どうやら静奈はマスターを良い男だと言った意味を理解していないらしい、男が尻を庇いながら走ったことも理解していないようだ。


「ま、お前はそのままの純粋さで良いんだよ」

「??」


 世の中には知らなくて良いこともあると、龍一はそう口にするのだった。

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