今は亡き父と母
「おはよう静奈」
「おはよう龍一君」
静奈と遠出をする約束をした当日のこと、朝の九時くらいには既に龍一は彼女の家に着いていた。
家の中で待っているかと思いきや、まさかの玄関先に既に出ていたのでそこまで楽しみにしてくれていたのかと龍一は驚いた。
「この子ったらワクワクしててね。ふふっ、若いっていいわねぇ」
「本当に楽しみだったんだもの仕方ないでしょ」
静奈はぷくっと頬を膨らませた。
その様子に龍一と咲枝は苦笑し、静奈は更に不貞腐れたようにツンとそっぽを向くのだった。
龍一が手を伸ばして静奈の頭を撫でると、彼女はニコッと微笑んだ表情に変化して龍一の腕を抱いた。
「分かりやすいな本当に」
「嬉しいことは嬉しいってすぐに顔に出るんだもの仕方ないわ♪」
それもそうだなと龍一も頷いた。
それじゃあ一日静奈を預かると咲枝に挨拶をしてから二人は歩き始めた。
「?」
「あ……」
その途中、ちょうど宗平が家から出る瞬間に鉢合わせした。
おそらく友人と遊ぶ約束でもしていたのだろうか、目が合った彼は気まずそうにしながら背を向けて走って行った。
「行きましょうか」
「あぁ」
いまだに敵意を向けてくる昭に比べれば宗平の様子は潔かった。
彼にとって静奈はずっと想い続けていた幼馴染であり、諦めるのもそう簡単に出来るものではないはずだ。
その背中は哀愁を纏っているが、龍一と静奈は気にすることなく彼が向かう先とは反対方向に歩き出した。
「すまないな静奈。今日はデートというよりも……」
「ううん、大丈夫よ。龍一君と一緒なら何でもいいわ」
「そうか、そう言ってくれると助かる」
「えぇ♪」
まあ女の子が喜ぶデートと言えるかは分からないが、静奈は本当にただ傍に龍一の傍に居ることが出来れば良いらしい。
龍一の腕を抱いて歩く静奈をチラッと横目で見ても、その視線はどこまでも曇りなく前を向いていた。
「……お前が傍に居てくれて良かったよ静奈」
「うん。これから先もずっとよ」
一瞬の間もなく帰って来た返事に龍一は頷いた。
さて、こうして今回龍一が彼女を誘ったのは確かに普段のお礼もあってどこかに出かけようと提案したのが始まりだ。
彼女とこの休日を楽しむのはもちろんだが、龍一が行こうとしている場所については静奈も快く頷いてくれた。
「さてと、まあまずは駅だな」
まずは駅に向かい電車で三十分ほど掛けて移動することになる。
龍一としてもこうして普段の街から少し距離とはいえ離れるのも久しぶりだった。
「普段と違う場所に龍一君と行くのはワクワクするわね」
「そう言ってくれると嬉しいぜ」
電車が来るまで適当に売店で菓子を買いながら時間を潰した。
それから電車が着いたわけだが、休日ということもあって平日ほどの賑わいはなかったが、疎らながらも人の姿をあちこちに見る程度には利用客が居た。
静奈の手を引きながら電車に乗り込み空いている席に隣り合って腰を下ろす。
二人が座った反対の席には見たことがない同い年くらいの男子が四人座っており、彼らは静奈の姿に見惚れたと思いきや龍一に目を向けてサッと視線を逸らした。
「ふふっ、こんなに優しい人なのに怖そうにしちゃって」
「……今更だろこんなのは」
「そうね。でも他人がどう思おうが、私たちが龍一君の優しさを知ってれば良いの」
確かに赤の他人にどう思われようが今更気にする繊細な性格はしていない。
静奈は先ほど買ったお菓子を取り出し龍一に差し出した。
「どうぞ」
「さんきゅ」
細いスティック状でチョコレートが塗してあるお菓子だ。
差し出された一本を手に取りポリポリと音を立てて食べていくのだが、一本が姿を消したところで静奈が何やら始めた。
「ん!」
「……?」
「ん!!」
お菓子を咥えて龍一に向けて顔を突き出してきた。
最初は何をしているんだと思ったが、静奈のやりたいことに気付いて子供かよとつい呟く。
だがしかし、こんなにも美人な女の子がこういうことを一生懸命に求める姿というのもやはり良いモノだった。
「ったく、仕方ねえな」
「♪♪」
静奈が咥えるお菓子の反対側を龍一も咥え、お互いにポリポリと音を立ててゆっくり食べて進めていく。
そうなると当然お互いの距離はゼロになり、唇と唇が触れ合った。
口の中に広がるチョコレートの味と静奈から香る甘い匂い……流石に舌を入れるようなことはしなかったが、静奈はとても満足したようだった。
「これ昔からちょっと憧れてたのよ」
「そうなのか?」
「えぇ……なんかこう、凄く甘酸っぱかったわ」
私、満足しましたと言わんばかりの笑顔だった。
ちなみに窓際に龍一が座っているので、静奈の方を向けば必然的に向こう側に座る男子たちが目に入る。
今のを見ていたのか、龍一は彼らと目が合った。
「っ……」
「!?」
もちろんサッと視線を逸らされたが、やはり年頃なのか興味があるようだ。
ジロジロ見るなとも不愉快だとも思わない。静奈が求めたからなのはあるがこんな場所で今のことをした自分たちが悪いのだから。
「どうしたの?」
「いや、あっちに座っている奴らが見てたからな」
「あぁそういう……」
静奈も今ので全てを察したみたいだ。
「俺はこんな見た目だが、静奈は俺とは全く違う世界に生きるような清楚美少女だからなぁ。ちょっと驚いたのもあるんだろ」
「清楚美少女かぁ……あんな顔を披露した私にも同じこと言える?」
あんな顔とは彼女のスマホで撮った写真のことだろうか。
確かに清楚とは程遠い快楽に沈んだ女の顔だったが、それはあくまで体を重ねた時にだけ見せる静奈のもう一つの顔だ。
それは表向きのモノではないし、普段の静奈は間違いなく清楚な雰囲気を纏っているので何もおかしくはない。
「言えるだろ、アレは特別な時間だけで見せてくれる顔だからな」
「そうなのかしら……」
どうも静奈は納得していない様子だ。
龍一は静奈の肩に手を回し、少しだけ強く抱き寄せてこう囁いた。
「ちなみにあんな顔も俺は好きだぞ?」
「っ……知ってるわ。じゃないとあんなに私をメチャクチャにしないでしょ」
おや、どうやら静奈も分かっていたようだ。
言葉ではあくまで強がりながらも、彼女の表情は照れと嬉しさが混ざったようなものでやっぱり攻められるのが好きなのが伝わってくる。
「お前がMなのは今更だ」
「……私だって攻めに転じれるわ!」
「ほう? じゃあ勝負するか?」
「望むところよ!!」
今日の夜の予定は決まった。
そんなこんなで高校生の話にしてはかなり卑猥な内容を話しながら時間は進み、向かう予定の駅に着いた。
「気を付けろよ」
「えぇ」
さりげない場所でも静奈の手を取るのは忘れない。
「……ふふっ♪」
龍一は意識していないが、静奈はちゃんとその優しさを受け取って笑みを浮かべていた。
「先に用事を済ませるぜ」
「分かったわ」
これから向かう先の為に龍一は花屋に寄った。
特に花に拘りはないが直感でこれだと思った綺麗な花を手にレジに向かう。
「あ……いらっしゃいませ」
「会計を頼む」
龍一のような見た目明らかな不良が花を買うのも驚くべき光景だ。
静奈は後ろで肩を震わせて笑っているし、レジの女の子は龍一にビビった様子で目線すら合わせようとしない……龍一はそんな怖いかよと心の中で呟いた。
「あ、ありがとうございましたぁ……」
「……………」
もう何も言うまい、龍一は諦めた。
「怖がってたわね」
「……なあ静奈、そんな怖くねえよな?」
「怖くないわよ?」
静奈の純粋なその返事だけが救いだった。
それから龍一にとってはそうでもないが、静奈にとっては少しだけ珍しい景色なのか辺りを見回しながら歩いている。
「お母さんと買い物に来たことはあるけどこうして歩くことってないのよね」
「まあ三十分も離れた場所だからな。何か用がなけりゃ来ねえだろうし」
そんな会話を交わしながら少しばかり高手の場所へと訪れた。
そこは多くの墓が並ぶ場所であり、龍一が花を買ったのもここに来ることが理由の一つだった。
「あったな」
そこにあったのは二つの墓だった。
獅子堂
「夫婦なのに別々に立てられてるあたり色々と分かるよな」
「……そうね」
普通なら夫婦で亡くなったなら一つの墓に名前を刻んで遺骨を納めるだろう。
しかしそうでないのが龍一の両親の歪みを象徴している。
「まあジジイとババアがごねたんだがな。今更どうでも良いことだが」
そう言って龍一は改めて二つの墓に目を向けた。
そして隣に立った静奈の肩を抱き、亡き二人に見せつけるように抱き寄せた。
「よお久しぶりだな。何年振りか分からねえが元気してっか? 相変わらずあの世でも浮気しまくりされまくりか?」
墓前で口にする言葉ではない、それでもそんな言葉が漏れて出てくる。
少し前ならこうして墓参りなんか絶対に来なかったし、誰に何を言われても来ようとしなかっただろう。
それもこれも気持ちの持ち方が変わったからこそ、こうしてここに龍一は来た。
「今でも幸せだとか幸福だとか、それがどんなものか分からねえ。でも今の俺は間違いなく充実した日々を送ってるぜ。アンタらが悔しがるであろう日々をな」
それは自信を持って言えることだった。
龍一がそう口にすると、静奈も続くように口を開いた。
「初めまして、龍一君のお父様とお母様。竜胆静奈と言います」
こうして、静奈は龍一の両親と出会った。
「……あなた、どうしたの?」
「あれは……まさか」
少しばかり離れた場所で、二人の老夫婦が龍一と静奈を見つめていた。
その瞳に宿ったのは困惑だったが、すぐに嫌悪と怒りが浮かぶのだった。
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