見てくれている人は多く居る

「へぇ、それで静奈ちゃんと出掛けるのね?」

「あぁ。まあデートみたいなもんだが……」


 バイトの時間、今日沙月はおらず千沙だけがクラブに顔を出していた。

 彼女一人だけを相手するので楽ではあるのだが、マスターは静奈から龍一が風邪で寝込んだことを聞いたらしく千沙の相手をしろとしか言われていない。


「だからこれ仕事じゃねえだろうよ……」

「良いじゃないの。なんというか、マスターにとってもアンタは息子みたいなもんじゃないの? だから寝込んでたなんて聞いたら心配になるのよ」

「はぁ?」


 ちなみに当たり前のように千沙も風邪のことは知っていた。

 静奈が千沙や沙月の連絡先を知っているのは分かるのだが、まさかマスターの連絡先まで知っているのは予想外だった。


「ま、あたしが教えたんだけどね」

「お前かよ」


 どうやら犯人は千沙のようだ。

 ジトっとした目を龍一は彼女に向けたが、千沙は全く気にしていないと言わんばかりにビールをぐびぐびと飲んでいる。


「それだけお前のことが心配だってことだ。あの子はきっと良い嫁さんになるぞ?」

「……嫁か。考えたことねえな」


 女性とそれなりの関係を持っているとはいえ、そのような将来のことを考えたことはなかった。

 今だからこそ好き勝手出来ているが、もっと大きくなれば将来のことも見据えていかなければならないだろう。


「……………」


 静奈はずっと傍に居ると言ってくれた。

 それは決して高校生の間だけというわけではなく、将来に渡って龍一のことを支えるのだと宣言したようなものだ。

 龍一がどんな選択を取ったとしても彼女は決して離れない、そう確信が出来るほどに静奈のことを龍一は理解していた。


「……………」

「アンタは難しく考えすぎなのよぉ~」


 ドンと音を立てるように千沙が抱き着いてきた。

 女性特有の甘い香りより酒の臭いが強く、つい表情を顰めてしまったが龍一は決して千沙を突き放すことはしない。


「その人の傍に居たいから傍に居るの。ただそうしたいから、それ以外の理由なんて何もないわ」

「……そういうもんか?」

「そういうもんよ。別に悪くないと思うけどねぇ? 静奈ちゃんも沙月も、あたしだってアンタの傍に居たいからそうしてるだけだし」


 それはあまりにも正直で真っ直ぐな言葉だった。

 ただ傍に居たいから傍に居る、ただそれだけだと千沙は龍一を見つめながらそう言った。


「あたしや沙月はともかくとして、静奈ちゃんは絶対に離れないでしょうね。あたしもそこまであの子のこと知っているわけじゃないけど、すっごく意志は強そうだしアンタのことを誰よりも想ってるみたいだから」


 何度も考えたことだが、本当にここまで静奈との仲が深まるなど龍一は考えても居なかったのだ。

 もしかしたら若干の世界からの修正力みたいなものはあったかもしれない。

 関係性の違いはあれど龍一は静奈と触れ合い、そして親しくなる運命がもしかしたら約束されていたのかもしれない。


(……いや、それはそれで気に入らねえな)


 もしも静奈との関係が予め決められていたのだとしたらそれはそれで気に入らなかった。

 物語をなぞったわけではなく龍一は自分の生き方を貫いたことで彼女と知り合い、それからの時間を共に過ごしたのだ。


「……?」

「どうしたの?」


 そこでふと龍一は千沙をジッと見た。

 さっきの言葉をそのまま解釈するならば、静奈は離れないが千沙や沙月は離れていく可能性があるということだろうか。


「……千沙や沙月は離れてくってことか?」


 確かに彼女たちとは体の関係を持っただけ、言ってしまえばそれだけだ。

 だが深い関係か浅い関係か、そのどちらかかと言えば深い関係でそれこそ気持ちの部分でも強く繋がっていることは良く分かる。

 だからこそ離れていく可能性というのは若干の寂しさがあった。


「はは~ん、なるほどなるほど龍一ったら可愛いんだからぁ♪」

「……………」


 ニヤリと笑った千沙の顔を見て龍一は言葉にしてしまったことを後悔した。

 心なしかマスターも食器を洗いながらニヤッと笑っている気がしないでもなく、龍一は千紗から視線を逸らして手元にあったジュースを飲んだ。


「まあさっきのは言葉の綾よ。関係性がどんな変化を齎すにせよ、あたしと沙月もアンタから離れることはないでしょうね。それこそ、アンタがもう会うことはないって言わない限りはきっと」


 確かにこれからずっとこの関係が続くとは限らない。

 それでも彼女たちとの時間は出来る限り大切にしていきたいと思えるのも龍一が変わった証でもあるのだろう。


「少し前のアンタもそれはそれで良かったけど、今の方があたしは好みね」

「そんなに変わったかやっぱり」

「えぇ。あたしとしては本当に何があってそうなったのか気になるんだけど?」


 中身が変わった……否、前世の記憶が蘇ったと伝えたら果たしてどんな反応を千沙は見せるのだろうかと龍一は気になった。

 相変わらずビールを飲む手は止まらず、段々と蓄積されていくアルコール量に比例するように顔色も赤くなっていく彼女に龍一はボソッと聞いてみた。


「中身が変わったのかもな。それか前世の違う自分が蘇ったり……」

「あはは、何言ってんのよいきなり」


 バシバシッと笑いながら背中を叩いてきた。

 まあこんな反応になることは分かっていたので龍一としても特に言い返すことはなかった。

 だが、後に続けられた言葉はとても温かった。


「もしそれが本当だとしたら前世のアンタはとても優しい人だったのね」

「っ……」


 千沙にとっては何気ない一言だっただろう。

 しかし、今の言葉は龍一にとって特別なもののように感じた。

 この世界での龍一は間違いなく龍一以外の何者でもなく、前世の自分という存在が介在する余地はない。

 どちらの自分も本当に自分、だからこそ何気ない一言であっても前世の自分をそのように言われたのは本当に嬉しかったのだ。


「……くくっ、全く本当に良い出会いをしたもんだ」

「龍一?」


 不思議そうに首を傾げた千沙に龍一は提案した。


「まだ酒は飲むか?」

「う~ん、もう良いかな……ってそういうこと?」

「あぁ」

「良いわよ。相手して♪」


 ちなみに、マスターは親指を立てて行って来いと笑っていた。

 龍一は千紗の体を持ち上げるようにお姫様抱っこをして奥に向かう。


「……………」

「どうした?」

「ううん……ほんと、良い男だなって思ってね」


 いきなりなんだよと龍一は苦笑した。

 奥の部屋に消えた二人だが、出てきたのは数時間が経ってからだ。


「……なんつうか本当に申し訳なくなるバイトだ」

「何言ってやがる。お客様の相手も仕事の内だ」


 相変わらずのマスターの様子にそれならいいかと思う他ない。

 ちなみに千沙は奥から出てきてからずっと龍一の腕に抱いており、片時も離れる様子を見せなかった。


「今日のアンタ凄かった。凄く優しくて力強くて……あ~あ、本当に夢中にさせられてるのねあたしってば」

「目の前に良い女が居れば男も燃え上がるってもんだ。つうかそれも今更か」

「……そういうところなのよね本当に」


 千沙は龍一の頬に手を伸ばした。

 まるで壊れ物を扱うように優しく、優しく撫でるようにしている。


「アンタは大丈夫、何があってもあたしたちが傍に居るから決して一人で抱え込んだりしないようにね」

「俺がそんな奴に見えるか?」

「見えなかった。でも今のアンタはそう見える」


 どうやら本当に千沙は良く龍一のことを見ているようだ。

 もちろん彼女だけでなく静奈たちも絶対に気付くだろうが、それでも千沙は誰よりも早く気付くことが出来るのかもしれない。


「ま、何はともあれあたしたちだけじゃないけどねアンタを見てるのは」

「え?」

「俺だって見てるぜ?」


 そう言ったのはマスターだ。

 相変わらずコップを拭きながら目もくれないが、彼もまた龍一のことをよく考えてくれているということだ。


「良いか龍一、お前は色々とスレた奴だがまだガキってことを忘れるな。何かあれば遠慮なく頼れ、俺や千沙ちゃんを心配させたりしたら掘るからな」

「あははっ!!」

「……それは勘弁してえなぁ」


 ガチでそうするぞと空気を感じ取ったので、絶対に一人で抱え込むようなことはしないぞと龍一は心に決めるのだった。

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