龍一が流す久しぶりの涙

「もしもし」

『……………』


 龍一は外に出てから通話ボタンを押した。

 彼にとって父方の祖父は家族などという温かな存在ではなく、どこまでも無関心を貫くどうでもいい存在だ。

 本来ならば孫として龍一が可愛がられた世界もあったのだろうが、少なくともこの世界では龍一を可愛がる家族は存在しない。


『……………』

「どうしたんだよ」


 電話の向こうの祖父は全く口を開かない。

 何か用がなければわざわざ電話はしてこないだろうし、何より金を振り込んだ時くらいしか連絡を寄こさないからこそこうして祖父が黙っている理由が分からない。


『今日学校から連絡があった。浜崎という教師からだ』

「……ふ~ん?」


 浜崎の名前を聞いた瞬間どうも面倒なことになりそうだと龍一は舌打ちした。

 つい先日のことだが、昼休みに浜崎が静奈と話をしていた場面に立ち会ったのも記憶に新しかった。

 もしかしたらそのことか、そう思った龍一だがどうやらビンゴらしい。


『ようやく……いや、前から学校からは話を聞いていた。お前もやはりあの女の息子だったというわけだ』

「はっ、女と関係を持ったことか? んなもん高校生なら普通だろうが」


 吐き捨てるように龍一はそう言った。

 高校生だからこそそんな関係の異性が居たところで不思議ではない。久しぶりに電話をしてきたかと思えば、やはり龍一にとってどうでもいいことだった。


『お前との関係は切っても切れん、だが顔を見ないだけでも清々する。お前の顔を見たらあの女の顔を思い出すからな』


 それは俺もだよと龍一は心の中で呟いた。

 祖父が龍一のことを嫌っていることは知っていたし、今更そんなことを言われても傷つく段階はとうに通り越している。

 だが今日に限っては我慢の限界だったのか、やっと龍一に対して直接強い言葉を使ってきた。


「……………」


 それでもやはり思うことは何もない。

 ただ、言われてばかりなのも気に入らないのは十七歳という思春期だからだろう。


「アンタの息子の子供でもあるぜ俺は。俺からすれば親父もあのクソババアと同レベルの屑だ」


 そう言った龍一が口にした瞬間、電話の向こうから憤怒を込めた大声が響き渡った。


『お前たちのような人間を息子と同列に語るな!! そもそも、お前たちが居なければ息子は……息子は!! ごほっ! げほっ!』


 大きな声を出したせいなのか祖父は辛そうに咳をし始めた。

 つい龍一も大丈夫かと声を掛けてしまいそうになるくらいには酷かった。それでも龍一は声を掛けられなかった……当然だ。何故そんなことをしなければならないのだと龍一は考える。


『っ……はぁ……はぁ! 良いか龍一、お前はあの屑の血を引いている子供だ。お前の存在自体が息子を苦しめていた! それはお前の罪だ!』

「っ……」


 まるで存在していることこそが罪だと、暗にそう言われたようなものだ。

 龍一は電話の向こうから聞こえる声を聴きながら空を見上げた。幼い頃に闇を知った龍一と正反対のような綺麗な星空が広がっている。


(……うるせえよ……うるせえうるせえうるせえ!)


 ただ嫌いだと、邪魔だと言われるだけなら何かを思う次元は超えた。

 しかし、産まれてきたこと自体を否定されることはやはり心に来るものがある。母親と父親に言われていたからこそ、龍一の心の根深い部分に彼の存在を否定する言葉は呪いとして刻まれている。


『君を息子と思いたくない』

『お前を息子と思いたくない』


 衝動的に通話を龍一は切ろうとした。


「貸して」

「……え?」


 だが、通話を切るよりも早くいつの間に後ろに居たのか千沙が龍一からスマホを優しく奪い取った。


「千沙……?」

「大丈夫よ。大丈夫だから」


 そうして龍一は千沙に抱き留められた。

 スッと体から力が抜けるようにその場に膝を突き、千沙の胸に顔が来るように頭を抱き寄せられた。

 酒臭い、それなのに千沙の良い香りと共に安心させられた。


「突然ですがこんばんは、龍一のお祖父さんですね?」


 一体何を話すつもりだ、そう思っても龍一は動けなかった。どんな話をするのか興味があるわけではないが、千沙の雰囲気から邪魔をすることが出来ない。龍一は千沙の胸の感触を顔で感じながらジッと話を聞いていた。


「え? 龍一がちょっかいを出した女……ですか? まああながち間違いでもないですねぇ」


 いつもと違い、相手をおちょくるような話し方の千沙は珍しかった。スマホでの通話はある程度声は漏れるため、千沙の登場で更に憤っている祖父の声が良く響く。


「ねえお祖父さん、突然なんですが私はとても素敵な男の子を知ってるんですよ。その子の名前、獅子堂龍一って言うんです」

「……………」


 龍一の頭に置かれている手がゆっくりと撫でてくる。それは子供を落ち着かせる母のようで、或いは弟を落ち着かせる姉のような感覚だ。もちろん龍一にそれは分からないのだが、何となくそんな感じがしたのである。


「女の子の扱いがとても上手で、喜ばせるのもとても上手なんですよ。私だけでなく他にもそんな龍一が大好きな子がたくさんいます。あぁそうそう聞いてください。龍一ったら二人も女の子を助けたんですよ? 質の悪い男から救ったんです」


 二人の女の子、それはおそらく静奈と沙月のことだろう。


「龍一に助けられて、そんな彼に惹かれて関わりを持っている子が居ます。世の中にはどんなに相手が困っていても声を掛けようともせず、助けようとしない人が多いこの世の中で龍一は確かに救っているんですよ」


 何が言いたいんだと、そんな祖父の声が龍一には聞こえた。

 千沙が何を言いたいのか分からず、どうでもいい話をしていることに苛立っている様子だ。


「それって凄いと思いませんか? 世の中には自分の息子なのに全く顧みず産まれて来なければ良かったなんて言うクソみたいな父親が居るらしいですよ。そんな人と比べるわけではないですが、そんな人たちが居る中で龍一みたいな優しい男の子は本当に素晴らしい子だと思いませんか?」


 千沙はどこまでも笑顔だった。

 しかし、次に浮かべた顔は怒りに満ちた表情だった。龍一には見えていないが、千沙は確かに怒っていた。


「まあ昔の龍一はともかく、今の変わった彼はそんな子なんです。私よりも年下だけど凄く頼りになる子で、本当に良い子ですよ龍一は」


 そこで言葉を一旦切った千沙は語気を荒くして言葉を続けた。


「さっき言ったクソみたいな父親って誰のことだと思いますか? ……なるほど分かりませんか。アンタの息子っつってんだよクソッタレが」

「お、おい……」


 千沙の言葉は止まらない。


「龍一は誰かを助ける優しさを持っている、誰かを愛することの出来る心を持っている、誰かを幸せにできる包容力がある。アンタの息子にはなかったものを龍一は持ってんだよ。アンタの息子は龍一を愛さなかった、助けなかった、幸せにしてあげなかった! アンタの息子にない大切なモノを今の龍一は持ってんだよ!」

『黙れ! 所詮お前も尻軽の女だろうが! 息子から幸せを奪い取ったあの売女と何一つ変わらない! そんな屑の言っていることなど意味を持たん!』


 今度は鮮明なほど大きな祖父の声が龍一にも聞こえた。

 それ以上騒いだらさっきみたいに咳をするぞと言いたくなるほどの大きい声だ。


「私のことはどうでもいいんだよクソジジイ、まあこれ以上私も龍一もアンタと話すことは何もないわ。それでも一つだけ言っておきます」


 千沙は龍一を見つめた。

 その瞳は龍一だけを映し、どこまでも優しい思いを込めた瞳だった。小さく深呼吸をした千沙はこれが最後だと言葉を続けた。


「龍一は私たちに望まれている。私たちが龍一のことを望んでいるんですよ。龍一は決して要らない存在なんかじゃない、私たちにとって掛け替えのない存在です」

「っ!?」


 ビシッと、心を覆っていた闇に罅が入った。

 目頭が熱くなったことに龍一は気付いたが、それでも唖然としてしまって目元に手を当てることも出来ない。


「何度だって言います。龍一は要らない存在なんかじゃない、あなたたちが龍一のことを否定するなら私たちが彼を肯定してみせます。彼は私たちにとって、どこまでも大切な存在ですから」


 そう言って千沙は通話を切った。


「……あら、ふふ……大丈夫よ龍一。ちょっと言い過ぎた気もするけれど、これくらい言った方が良いと思うのよね」

「……あぁ」


 それなりに長く通話をしていたからか、心配そうに静奈と沙月も覗いていた。

 体を離した千沙のおかげで龍一の表情が露になり、誰よりも早く静奈が龍一の元に駆け寄った。


「……っ……ったく、何年振りのだろうな」


 満たされた心から何かが溢れるように、龍一は久しぶりの涙を流した。

 今の出来事で龍一と祖父の仲は修復不可能だろう、いやそもそも修復を期待できるような関係でもなかった。

 だがそれでも構わないと龍一は思ったのだ。

 彼らに否定されたとしても、傍には龍一を肯定し望んでくれる存在が居る。彼女たちだけでなく、他にも居る友人も同様だ。


「龍一君、ずっと傍に居るわ。だから泣かないで」

「……泣きたくねえよ。泣きたくねえけどなんか涙が止まんねえんだ」


 強がるように龍一は笑った。

 静奈、千沙、沙月を順に見て龍一はこう言葉を続けるのだった。


「……サンキューな」


 それは短いお礼の言葉、しかしちゃんとその言葉は届いている。

 それは満天の星空、だが今の龍一の心も闇は晴れているだろう。もう羨む必要はない、彼の心も光に覆われて輝き始めたのだから。

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