新たに前へ、そして約束を

 翌日のこと。

 祖父との決別、とでも言えるのかどうかは分からないが昨夜の会話のことを龍一は思い返していた。


「……あそこまで拗れたし最低限の生活費とかは止められるかね」


 寝起きの頭だが、これからのことを考えていると自然と目は覚めた。

 あのようなやり取りをしたのだから今まで送られていた仕送りなどは止められる可能性も考えた方が良いだろう。

 一応龍一もある程度はお金を貯めている。

 それは過去に龍一が相手した年上の女性が満足させてくれたお礼ということでお金を渡してくれたことがあった。


「特に使ってねえし余ってるようなもんだからな。それに……」


 いざとなったら高校を退学して働く道もある。

 まあ龍一の境遇を考えれば中々に茨の道かもしれないが、クラブやバーの店長には何だかんだ困ったら言えと言われているので、そこで働かせてもらうのも良いかもしれないと考えた。


「すぅ……龍一君……」

「……私がぁ……ナンバーワン……♪」


 隣から聞こえてきたのは可愛い寝言とアホな寝言の二種類だ。

 左には龍一の腕を抱くようにして眠っている静奈、右にはパジャマが捲れて腹を出している間抜けな姿の千沙が居た。


「……ったく、静奈はともかくお前は風邪引くぞ」


 ゆっくりと静奈から腕を離して千沙の元に向かいパジャマを元に戻した。

 昨日見せてくれた姉御肌な一面、龍一を安心させてくれた姿は見る影もない。やはり朝ということもあって寒いのか毛布を抱き寄せるようにして動かなくなった。


「沙月は……リビングか」


 今居る場所は沙月の寝室で、昨日はここで四人纏まって眠った。

 沙月が居ないのを見るに既に彼女は起きているようで、龍一は寝室を出てリビングに向かうのだった。


「あ、おはようございます龍一君」

「おはよう沙月。先に起きてたんだな」

「はい。三人ともとても気持ち良さそうに眠っていたのでつい起こせなくて」

「くくっ、一人はグースカ寝てたがな」


 それが誰に対しての言葉か察した沙月は口元に手を当てて笑った。


「もう酷いですよ龍一君。とても可愛い寝顔だったじゃないですか」

「まあ確かにそれは認めるがよ。あいつは本当に……良い姉貴分だ」

「……龍一君」


 椅子に座った龍一は笑いながらそう言い、沙月も昨日のことを思い出したのかすぐに龍一の元に近づいた。

 そして龍一の手を両手で握りしめるのだった。


「……私は父と母に愛されていると自信を持って言えます。だから龍一君の苦しみを全て分かってあげることは出来ません。ですが、私に出来る範囲で龍一君を安心させてあげることは出来ますよ」

「おいおい、確かに昨日はあんな決着だったけどもう何も思ってないぜ? むしろ心はどこか晴れやかなんだ」


 龍一のその言葉は嘘ではなかった。

 彼にとって心の闇でもありずっと言われ続けていたトラウマの言葉がある。


『お前なんて必要ない』

『産まれてこなければ良かった』

『息子だと思いたくない』


 そんな龍一自身を否定する言葉が彼に心に消えない傷を植え付けていた。

 過去のことだから気にするな、いつまでも気にして女々しいなんてことを言う人も居るだろう。

 それでも龍一にとってそれらの言葉は幼い龍一を傷つけ、ずっと彼を蝕んでいた呪いだったのだ。


『私たちが龍一を肯定します。彼は必要な存在です』


 昨日の千沙の言葉が蘇る。

 あんな風に誰かに必要とされることの喜びを知らなかった。龍一は昨日、初めて喜びで泣いたのである。

 静奈によって温かなモノが胸に入り込んでいたその瞬間を、千沙の言葉と想いが最後の真っ黒な闇を打ち払ったのだ。


「……本当に人との繋がりって大事なんだなって思ったわ。俺は結局女と体を重ねる中であのクソババアへの憎しみを遠回しに吐き出していたんだ。でも最近色々あって考えることが出来て……本当に、救われてたんだなって実感した」


 龍一がこの世界のことを思い出し、根本が変わるわけではないがその考えには変化が起きていた。元の世界の龍一は結局最後まで女をモノとしか考えていなかったが、今は違うというのは彼を見ていれば分かることだ。


「それよりも昨日は大丈夫だったか? 沙月にとっては二度目だったけど大分昨日は無理させた気もするが」

「あ……ふふ、大丈夫ですよ。でも驚きましたよ? 私たちは三人なのに龍一君どれだけ凄いんですか?」

「あ~……まあそこが取り柄みたいなところはあるぜ?」

「ふふ、男らしくて素敵です♪」


 これを素敵とは言わないと思うが、そう龍一は苦笑した。

 これは龍一自身驚いていることでもあるが、この体の持つ性欲は本当に凄まじいのだ。もちろん猿のように普段から盛るわけではないが、一度スイッチが入れば相手が三人だろうが龍一が主導権を握ってしまう。


(この体色々と規格外なんだよな。自分で言うのもどうかと思うけど、やっぱり前世からじゃこんなのは考えられねえ)


 改めて自分の体のハイスペックさに慄く龍一だった。

 それにしてもと、龍一は沙月の全身に目を向けた。


「龍一君?」


 上は白ニットの半袖、下は黒のスカートという出で立ちだ。

 静奈や千沙よりも大きな二つの胸を包み込む服からは途方もない色気が醸し出されている。

 もしも龍一が昭の立場だとして、確かにこんな色っぽい姉が四六時中傍に居たら狂うのも理解できるなと苦笑した。


「本当にエロい体をしてるな沙月は」

「……っ♪♪」


 あまりにもストレートでデリカシーのない言葉だったが、沙月は僅かに頬を赤く染めて嬉しそうに微笑んだ。


「他の男性や弟にそんな風に言われると気持ち悪いですけど、龍一君に言われると嬉しいです」

「言葉だけならいくらでも届けられるさ」

「それが嬉しいんですよ。体だけじゃなくて、心まで魅了された人にそう言われるのは何よりも嬉しいんですから♪」


 こういう時、基本的にいつも龍一はこんな奴の傍にどうしてこんな良い女が集まるんだと思うことがある。

 彼女たちは自ら口にするようにしっかりと龍一に魅了され、傍に居ることを望んでいるのにそう考えてしまうのは今の龍一の悪い癖だ。


「龍一君、昨日は本当に来てくれて楽しかったです。静奈ちゃんにも会わせてくれて新しいお友達になれました」

「そうか。ならまた来させてもらうぜ。個人的な用で来ても良いんだろ?」

「もちろんです。是非来てください♪」


 その時を楽しみにしていると、そんな思いを乗せるように龍一は頬にキスをされるのだった。

 その日は昼過ぎくらいまで沙月の家で過ごし、後はそこで解散になった。

 千沙はもう少しゆっくりして帰るとのことで沙月もそれを了承したようだ。きっかけは龍一だったが、随分と二人とも仲良くなったものである。


「それじゃあ二人とも」

「またお会いしましょう。千沙さんに沙月さん」

「えぇ。二人ともまたね」

「また是非来てくださいね♪」


 そう言葉を交わした別れ際、龍一は千沙に目を向けた。


「昨日はマジでサンキューな」

「何言ってんのよ。アンタを知る人間として当然のことだわ」


 龍一と千沙はしばらく見つめ合い、ニヤリとお互いに笑みを浮かべてパンと手を叩き合った。

 それから龍一は静奈と共にマンションから離れるのだった。


「……なんつうか、本当に良い集まりだった」

「そうね。沙月さんに会えて嬉しかったし、それに千沙さんの想いの強さも知れて私も一層強く在ろうって思ったわ」


 静奈は龍一の腕を抱いて口にした。

 昨日のことを通して改めて考え方、並びに彼女たちへの想いも龍一の中で強くなった。

 その中でも一番龍一の心を溶かしていたのは静奈だった。


「……なあ静奈」

「なあに?」

「今度の休み、どっか遠くに出掛けたりしないか?」

「行くわ」

「あぁ分かった」

「っ……」


 サッと静奈は下を向いてしまった。

 龍一がどうしたのかと聞くと、静奈はこう答えた。


「その……龍一君の笑顔がとても綺麗で……私ったら凄くドキドキしてる」

「……………」


 そこまで意識したつもりはなかったのだが、どうやら分かりやすいほどに龍一の心境の変化は現れているらしい。

 こうして二人で出掛ける予定を立てながら彼女の家が見えてきた。


「じゃあな静奈、今度は一緒に出掛ける時だ」

「えぇ。楽しみにしてるわ♪」


 そう言葉を交わし静奈の背中を龍一は見送った。

 その背中を見つめながら、龍一は本当に楽しかったなと思うと同時に、こうして別れることに僅かな寂しさを感じるのだった。

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