時に寂しくなる時もある
「それじゃあ龍一君、またね」
「またいつでもいらっしゃい」
「あぁ。美味い飯と良い女を求めてまた来るぜ」
そう言って龍一は竜胆宅から外に出た。
温かい空気の中から冷たい空気の中に放り出されたような錯覚を感じ、龍一は自分が彼女たちによって変えられていることに気付く。それは決して嫌な感覚ではなく、むしろもっと浸っていたいと思わせるものだった。
「なあクソババア見てるかよ。あの空気をアンタに望んだ頃もあったよな」
なんの感慨もなしに龍一は呟いた。
最近になって静奈たちと過ごせば過ごすほど、過去の記憶との落差を龍一は感じるようになった。かつて父にも母にも必要ない、息子と思いたくないと言われていた龍一も今は他人の影響を受けて変わっている。果たして亡くなった両親は龍一を見て何を思うのだろうか、彼に惹かれた彼女たちを見て何を思うのだろうか……。
「はっ、くだらねえ」
吐き捨てるように龍一は歩き出した。
しかし、そんな状態の龍一に気付いたわけではないのだろう。それでも彼女は何かを感じ取ったのかもしれない。背を向けた龍一の背後からガチャッと音を立てて玄関が開いたのだ。
「え?」
流石に龍一も驚いて振り向いた。
「待って龍一君」
「静奈?」
静奈が家から出てきたのだ。彼女は真っ直ぐに龍一の胸元に飛び込むように抱き着いた。制服姿の龍一と違い彼女はパジャマで上着は何も着ていない。夜は冷えるというのに風邪でも引きたいのかと思ってしまう。
「ごめんなさい。ちょっとこうしたかったの」
「そうか……」
抱き着いてくる彼女が寒いと思わないように龍一も静奈の体を強く抱いた。その体は温かいはずなのに段々と冷えてくるのは外に居るからだ。きっと玄関の向こうで咲枝も心配しながら静奈を待っているのかもしれない。
「ほら、風邪を引くから早く戻れ」
「……そうね。ありがとう龍一君」
「礼を言われるようなことじゃねえよ」
むしろ、礼を言いたいのはこっちだと龍一は言いたかった。静奈と咲枝から与えられた温かな場所から冷たい外に出たことで少しセンチな気分になっていた。そんな気分を僅かにでも紛らわせてくれた彼女の優しさが身に沁みた……これでもかと、目の前の存在がとても大きな存在に思えたのだ。
「静奈」
「っ……ぅん」
たまらず静奈の唇を奪った。
静奈も龍一の背に腕を回すようにして応えてくれた。舌を使った深いキスではなく啄むようなキスだった。唇を離すと静奈は名残惜しそうにしながらも、これ以上は止まれなくなると分かっているのか身を離した。
「龍一君と一緒に居ると本当にエッチになるわね私は」
「くくっ、お前がそう望んだんだろう?」
「えぇその通りだわ。龍一君の前でだけ、私はエッチになる悪い子ね♪」
「悪い子か。そのフレーズ気に入ってるのか?」
「う~んどうかしら。でもちょっと悪い気はしないわね」
そうかよと龍一は笑った。
お互いに何も言わず、ただただ向かい合う時間が何故か続いた。するとくしゅんと可愛いくしゃみを静奈はした。ほら見たことかと龍一が呆れた目を向けたものの、キスをしたのは龍一からなのですぐに静奈の背中に手を当てた。
「今日はこれでさよならだ。またな?」
「あ……うん。またね」
離れないといけない、それでも離れたくないという意志が伝わってくる。用が済めば何も後腐れなく次の予定を立てて別れるだけ……その時の女の表情を龍一はマジマジと見たことはない。
「……………」
静奈の背中に手を当てて玄関の方へと押すのだが、龍一もどこか素直にそうしたくなかった。自分の中で変わってしまった何か、それを明確に感じ取って龍一は小さく舌打ちをした。
「……なんつうか、自分でも変わったなって思うわ。それもこれも全部、静奈を助けてからか」
「龍一君」
背中に当てていた手を離し、静奈のお腹に腕を回すようにして再び抱きしめた。ギュッとかなり力が強く、静奈も少しだけ苦しそうに表情を歪めた。だが決して彼女は痛いとも嫌だとも言わず、ただただ頬を紅潮させて甘い吐息を零した。
「よし、それじゃあ帰るわ」
「あ……うん、わかったわ」
「頼むからそんな風に切なそうな顔をするな」
「仕方ないでしょ。寂しくてどうしようもなくなるんだから」
このままだと本当に帰れなくなりそうだと龍一は苦笑した。
それから静奈と別れ、彼女が家に入ったのを確認してから龍一は歩き始めた。そのまま帰るのも気が進まなかったので街に向かうことに。
「ここはいつ来ても賑やかだな」
基本的に街というのは夜からが本番だ。
朝や昼は息を潜め、夜になると色んな色を見せて騒ぎ始める。周りの人々はその光に集まる虫みたいなもので、酔っ払った男たちが客引きの女性に引っ張られている姿が良く見られた。
「あら、お兄さんもどう?」
そんな風に眺めていると一人の女性に声を掛けられた。
彼女の後ろに立つ建物は少し安めのバーだが、入り口に立てかられたメニューからは中々リーズナブルな値段だと見受けられる。
「俺は学生だがな?」
「気にしそうに見えないけどなぁ?」
「まあそれは確かに」
制服を着てはいるが、龍一の見た目は明らかに遊び慣れている風貌だ。故意に龍一が学生だと分かった段階で誘う側もどうかとは思うが、龍一としては特にそのつもりはない。しかしちょっとだけこの女性を揶揄いたいという気持ちはあった。
「アンタの方こそ、あっちで俺の相手をしてくれねえか?」
「っ……♪」
際どい服装の彼女の肩に手を置き、親指を向けた先はラブホテルだ。
女性は一瞬驚いたが、龍一の顔を見つめて頬を赤らめていた。おそらくこのまま押せば客引きを投げてでも龍一に付いてくるだろう。まあさっきも言ったように龍一にそのつもりは一切ないので、こんなクソガキに流されんなよと伝えて離れた。
「ああん……ねえお兄さん。本当に高校生? コスプレじゃないの?」
「なんでコスプレで制服を……まあそういうのも居るけどよ」
「だって漂う色気が半端ないもの、相手が高校生でも流されてしまえって女の本能が囁いたくらいよ?」
「そうか、そいつは光栄なことだな」
手を伸ばす彼女から離れるように龍一は歩き始めた。
近くの販売機でジュースを買い、渇いた喉を潤す。そんな中、ふと龍一はこんなことを考えるのだった。
(そう言えば俺、父親の両親は知ってるが母親の方は一切知らねえんだな)
今まで特に何も思わなかったが、よくよく考えれば母親の家族については一切知らなかった。まああんなアバズレだからこそ家の方から縁を切った可能性もあるし、あれだけ狡猾な女だったからこそ自分から縁を切った可能性も考えられる。
父の両親と同じく健在だとは思うが、それでも龍一にとっては少し考えただけでどうでもいいことだと首を振った。しかし、同時に思うのは何年経っても幼い頃の記憶は纏わりついてくるのだなと嫌になる。
「……頭じゃ分かってるのになんでこうも纏わりついてきやがる」
龍一の両親は既にこの世には居ない。もう随分と昔のことなのに顔も声も鮮明に龍一は思い出せるのだ。それだけ両親に対する憎しみと失望が大きいことを意味しているが、果たしてこの呪縛から龍一が解放されるときは来るのだろうか。
「帰るか。週末は集まるみたいだし、思いっきり羽目を外させてもらうぜ」
分かりやすいほどにくくっと笑った龍一は空き缶をゴミ箱に捨てて歩き出す。
「……?」
アパートに帰ろうと足を動かしたその時、龍一は一組の親子を見た。
父と母に挟まれるように幼い男の子が手を繋いで歩いている。どうやら外食の帰りなのか三人とも良い笑顔を浮かべていた。龍一には決してなかった温かな家族の光景に羨ましさは若干あっても、別に辛くなったりはしなかった。
(お前は俺みたいになんじゃねえぞ)
決して口には出さなかったが、龍一は心の中で呟いた。
そんな風にチラッと見ていたのがいけなかったのか、男の子は龍一に目を向けてヒラヒラと手を振った。すると男の子の両親はやめなさいと叱るように龍一から隠し、絶対に関わり合いになりたくないと足早に去って行く。
「……将来グレてこんな風になるんじゃねえぞ」
その言葉には少し哀愁が漂っていた。
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