静奈にとって龍一とは
目に見える変化ではないが、静奈には確かな心境の変化があった。龍一との関係を急いで進めてしまった感は否めないが、それでも彼女は幸せだった。今朝、龍一に会った時に口にしたが昨夜のことを忘れることが出来ない。少し気を抜けば頬が緩んでしまい、友人たちにどうしたのかと心配をされるのを繰り返す。
(……龍一君)
もうずっと、彼女の頭の中には龍一のことばかりだ。
確かに荒々しく抱かれたことは間違いないが、彼はずっと静奈のことを気に掛けてくれていた。最初に感じた痛みはあったものの、それ以降は龍一の手際の良さに声を抑えるのに必死だった。
「……っ!?」
つい、思い出してガタンと音を立ててしまった。
生徒のみならず授業を担当する先生にすら心配をされたが、当然こんなことで取り乱したと言えるわけもなく静奈は静かに頭を下げることしか出来ない。
「静奈? 本当に大丈夫?」
「大丈夫よ……ごめんなさい」
恥ずかしい、けれどもすぐに恥ずかしさを塗り替える嬉しさが心を満たす。龍一の席は後ろの方のため、彼の顔を見るには振り返らないといけない。流石に授業中なのでそれは叶わず、静奈は何とも言えない悶々とした時間を過ごす。
しかし、そんな中で思い出すのは龍一のあの表情だった。
(……龍一君はどうしてあんな顔をしたのかしら)
龍一に抱き着いた時、胸を揉まれながらも抱きしめ返されて幸せのおかわりをもらった時のことだ。彼は何かを思い出すようにイラついた様子で舌打ちをした。その時は流石に静奈の何かが気に障ったのかと不安になったが、どうもそうではないらしく静奈は安心した。
『……っと悪い。良い女を抱きしめてる時に浮かべる顔じゃなかったな』
そう言って謝ったが……まだ静奈は彼の心に踏み込めてないのだと悔しかった。昨晩に彼と交わっていた時にも、ふとした拍子に今の彼から感じる優しさを削ぎ取った目を見ることがあったのだが、おそらくそれに連なる何かなのだと予想する。
(……そうね。慌てる必要はない。私は私、何にも染まらない私の色で龍一君の傍に居るのよ)
何にも染まらず輝きを放ち続ける色、それを龍一から伝えられてから静奈の心に刻まれた言葉だった。龍一は闇の部分を隠してはいない、だからこそその闇すらも照らすことが出来ればそれで良いと静奈は考えたのである。
「それじゃあ日直、号令を」
「うっす。起立、礼」
ぶっきらぼうでやる気のない声が響いた。
先生は面白くなさそうな顔をしていたが静奈はクスッと笑みを零す。今の声で分かるように今日の日直は他でもない龍一だった。
授業が終わったことで龍一の元に行こうとした静奈だったが、友人の一人がトイレに行こうと言ったので付いていくことに。
「ねえ静奈、本当に今日どうしたの?」
「どうしたのって?」
友人――彼女は
「本当に何もないのよ?」
「獅子堂のことばかり気にしてるっぽいのに?」
「っ!?」
ビクッと静奈は夕陽を見た。
夕陽はその反応だけで分かったのか、ニヤリと笑って静奈の肩に腕を回す。二人はそのまま引っ付いて歩き始めた。
「あの時私も獅子堂と初めて話したけど雰囲気変わってたし……うんうん、ああいう感じのワイルドなイケメンなら悪くないよね」
「そうよね! 龍一君は凄く良い人なんだから! ……あ」
「……言うねぇ静奈」
つい我を忘れてしまったと静奈は顔を赤くした。とはいえ、こうやって少しでも龍一のことが伝わるのは良いことだと思っている。まあそれで僅かに嫉妬しないかと言われれば話は変わるが、彼が良い人なのだと周りに伝わってほしいと考えているのは本当だ。
「にしても意外だなぁ。静奈は篠崎のことが好きなのかなって思ったけど」
「どうして?」
「どうしてって結構面倒とか見てたじゃん。流石幼馴染、長年積み重ねた時間は伊達じゃないって思ってたんだけど」
確かに思い返してみれば宗平のことはよく面倒を見ていたようなものだ。彼とは本当に仲が良かったし、家族ぐるみの付き合いもそれなりだ。しかし、最近はあまり彼のことを考えることはなくなった。それ以上に龍一のことばかり考えているからだ。
「宗平君は確かに仲の良い幼馴染だわ。でも……そういう関係にはならないんじゃないかしら。そもそも私には彼を幼馴染以上に思えないのよ」
「なるほどねぇ。それ以上に獅子堂のことが気になるわけだ」
「そうね。その通りだわ」
まあそれ以上のことをしたわけだが、それを伝えると流石に夕陽も驚いてしまうことだろう。静奈としても体を交えたことを公言するつもりは一切ないが、ニヤニヤと頬が緩みまくっている自分を見られて察せられないか不安ではある。
それからトイレを済ませて戻って来た静奈だが、相変わらず龍一の方へと自然と目が向く。今日は真だけでなく、他にも二人ほどいつもより多く龍一を囲んでいた。彼らもクラスメイトで良い噂を聞かない二人だったが、龍一と知った今となっては静奈にとって怖い相手ではない。
「何の話をしているの?」
静奈は普通に声を掛けた。
「お、お姫様がやってきたぜ?」
「最近二人が一緒なのを良く見るよな」
どうやら彼らからも静奈が龍一と一緒に居るのは珍しいらしい。新たな二人組の内一人が静奈に手を伸ばしたが、静奈はその手を叩くようにして体に触れるのを防ぐ。
「おっと手厳しいな」
「いくら龍一君の友人? とはいえ軽々しく触れてほしくないわね?」
「ふ~ん? くくっ、まあ龍一が怖いからやめとくぜ」
どうやら本当にそれ以上静奈にちょっかいを出すつもりはないらしい。
静奈の視線はとても鋭く、体に触れるなと言った言葉に嘘はない。彼女が触れるのも触れられるのも許すのは、身内と同性を除けば龍一だけなのだから。
「ま、俺に免じてあまりちょっかいを出さないでやってくれな?」
「お~けい」
「ういうい」
「……ほんと、お前変わったな」
龍一の気遣いに静奈は分かりやすく嬉しさを表情に表した。
しばらく五人で雑談をした後、席に戻る時に宗平の視線を感じ目が合ったが……やはりそれだけだった。誤解がないように言うなら静奈は決して宗平に無関心というわけではない。ちゃんと幼馴染として大切に考えてはいるが、優先順位が入れ替わっているだけに過ぎない。
時間は流れて放課後、当り前のように静奈は龍一の傍に居た。
日直としていつかのように花瓶の水を変える彼の背中を見つめていた。筋肉質な大きな背中、そんな彼が花を大切そうにする姿は本当にギャップの塊である。
「よし、花を入れてくれ」
「えぇ」
二人の共同作業、そのことに素敵だなと心の中で呟きつつ静奈は龍一と二人っきりの時間を楽しむ。学校なので滅多なことは出来ないが、彼と時間を共有するだけでも心が躍る。
(私……完全に龍一君に心を奪われてしまったわ)
漫画ならば目にハートでも浮かんでいるだろうと静奈は笑った。
さて、これから静奈は龍一と一緒に彼のアパートに向かうことになっている。また肉じゃがを食べたい、そんな呟きを聞いてしまったのだから静奈がそれを叶えないわけにはいかない。
だが、ある意味静奈にとって更なる出会いが待っていた。
静奈が初めて明確に心の中にモヤモヤを感じた相手、大学生の千沙も龍一の家に訪れたのだから。
「龍一~? 入るよ……ってあら、ここに女の子が居るなんて珍しいじゃない」
彼女は静奈を見ても特に表情に変化は見せなかった。まるで龍一がどんな関係を持っていても気にしないといった顔だ。
「だからお前、来るときは連絡しろって……」
「ごめんごめん♪ 別に今更だし良いじゃない」
仲の良い二人のやり取り、チクチクする胸を抑えつつ静奈もまた負けじと龍一の腕を抱くように身を寄せた。龍一は困ったように笑ったが静奈を安心させるように頭を撫で、千沙は可愛いじゃないと言葉を漏らした。
「初めまして、あたしは夜見千沙って言うの。あなたは?」
「私は――」
こうして二人は出会うのだった。
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