隠された真実は少しだけ重い

 父と母……所謂、両親という存在は子供にとってとても大切なモノだ。

 両親からの接し方によってどう成長するかが決まるくらいに、子供ながらに心の平穏を保つために必要不可欠な存在と言っても過言ではない。


 しかし龍一にとって、両親という存在は負の側面しか抱えていなかった。


『どうして君のような人間と僕は……』

『うるっさいわね。そんなの知ったこっちゃないわよ。つうかアンタがあたしに仕込んだからこいつが生まれたんでしょ? どうにかしなさいよ』


 父は普通のサラリーマン、母も普通の会社員だったが……父はまだ良い、母に関してはとんでもない男狂いだった。浮気は当たり前で、関係を持った男が数多く居たようだ。


 それが発覚してから母は開き直り、父にも龍一にも最低な言葉を投げかけるようになる。母は龍一を生んだことを黒歴史のように語り、父も自分の息子のはずなのに母の血を継いでいるからと遠ざけ……龍一の家庭環境は本当に最悪だった。


『君を息子とは思いたくない』

『アンタを息子だなんて思いたくない』


 そんな幼少期を過ごせば誰だってその心は歪んでしまう。

 自分を顧みない父のことは嫌いだったし、弱い男を見下し息子さえもゴミのように扱う母のことはもっと嫌いだった。そんな母を見ていれば、所詮女なんてと龍一も考えてしまう。


 結局二人とも病で早々に他界し、引き取られた父方の実家での扱いも良かったとは言えない。父の両親からすれば息子を裏切り続けていたことを隠し、それが発覚してから態度をいきなり豹変させるような女だ。そんな女の血を継いだ龍一の顔を見たくないと考えるのも無理な話ではなかった。


『龍一、お金は送るから一人で暮らしなさい』

『本当は一緒に住みたいのだけど……ごめんなさいね』


 よくもまあそんな嘘をべらべらと並べ立てるものだと龍一は笑ったのをいまだに憶えている。本来ならば龍一の元居た世界だとここまで劣悪な環境で放置されることは早々ないだろう。しかしこれが龍一に隠された過去であり、漫画を読むだけでは知ることが出来なかった事実だった。





「……うあ?」


 小鳥の鳴き声が聞こえて龍一は目を覚ました。

 ボーっとする頭で辺りを見回し、ようやく昨日のことを思い出した。静奈の家にお邪魔して料理を振舞われ、その後に彼女の部屋で関係を持った。


「……………」


 正直なことを言えば、やっちまったなと他人後のようにも感じた。

 この世界における本来の流れ、それはもう完全に修正不可能なところまで進んでしまっている。龍一が静奈と関係を持つのはある意味決定事項と言えばそうなのだが、二人の関係性があまりにも違いすぎる。


「……くくっ、まさかこんなことになるなんてな」


 今でも瞳を閉じれば思い出せる。

 自分の腕の中で美しく乱れていく静奈の姿を、自分の手で段々とその体に快楽を叩きこまれる静奈の姿が何度も蘇る。いつもと同じで、どこかの女を抱くのと何も変わらない……しかし、彼女の姿に何とも言えない安心を感じたのは本当だ。


『もしも龍一君が話してくれるその時が来たら、私はそれを聞きたい。龍一君は言ったわよね? 私は汚れない白だって、だから安心してほしいの。どんなことがあってもあなたの傍には変わらない色があることを。不安な色を塗り潰す強い色がいつだって傍に居るから』


 彼女の真っ直ぐな瞳で紡がれた言葉、それも頭の中で木霊し続けている。

 まるで龍一の全てを肯定し、龍一の全てを受け止め、龍一と共に歩いていくのだと伝えてくるかのようだった。


「……静奈……か。本当にヒロインだよお前は」


 どうしてあんなにも良い子をエロ漫画のヒロインにしたのかは疑問だが、普通に少年誌のヒロインとしても大きな人気を博しただろうと龍一は思った。

 それから体を解すように伸びをしてから立ち上がった。そして、何を考えたのか龍一はこんなことを口にした。


「朝食作るか」


 その時、どこかで火山が噴火……することはなかった。だが龍一がこんなことを言うのはハッキリ言って異常である。基本的に彼は朝食は作らず、コンビニで軽くパンを買う程度だ。そんな彼が朝食を作るなんて口にしたのだから大事件である。


 まずは米をレンジで焚き、茶碗に移して卵を乗せて醤油をかける。そのまま掻き混ぜて朝食のお供である卵かけご飯の完成だ。


「……うめぇ」


 簡単に作れるとはいえ、この卵かけご飯はやはり美味しかった。

 それからすぐに食べ終え、学校に向かうための準備を済ましてアパートを出た。


「……つうか、久しぶりに懐かしい夢を見たな」


 龍一がそう言ったのは今日見た夢だ。

 幼い頃から続く両親との思い出……否、思い出などという言葉とは程遠い最悪に近い思い出だ。


「普通こんな家族関係あり得ねえだろ。そこまで漫画ってわけか?」


 絵に描いたような劣悪な家庭環境だった。

 龍一が歪む原因になったのも頷けるが、だからと言って自分がすることが正しいと思うわけでもない。今のところ犯罪に近いことはしていないが、それでも誰もが同調してくれるような生き方はしていない。


「……ふわぁ」


 大きな欠伸が漏れて出た。

 これから学校に向かうわけだが、特に静奈とどんな顔をして会えばいいのかなんて考えていない。龍一にとって静奈の存在は確かに少し特別に思えるが、だからといって接し方を変えるようなことするつもりはない。あくまでクラスメイトとして、あくまで友人として、あくまで関係を持った男と女として。


「……?」


 学校までの道を歩いていた時、見覚えのある姿が見えた。


「……あ」


 艶のある黒髪を揺らして彼女は龍一を見た――静奈だ。特に待ち合わせをしていないのに、彼女はまるで龍一を待っていたかのようにそこに居た。

 目が合った途端、彼女は満面の笑みを浮かべて龍一の元に駆けだした。


「龍一君おはよう!」

「おっと……」


 待ち焦がれていた想い人に飛び込むように彼女は龍一に抱き着いてきた。受け止めた龍一を見上げ、静奈は頬を僅かに赤く染めて微笑んだ。正に万人を魅了するようなその笑顔に、龍一も知らず知らずに笑みを零す。


「ったく、いきなり抱き着いてくる奴があるか」

「良いじゃない別に。昨日別れてからずっとこうしたかったんだから♪」


 どうやら昨日の出来事が静奈の中で大きく枷を外したらしい。彼女は恋を知らないと言ったが、順序を飛ばすように体の関係を持ったことで色々と変化を及ぼしたのだろう。それは決して悪い変化ではなく、彼女が龍一に対して壁を完全に取っ払った証でもあった。


「こんなところ誰かに見られたらどうするんだ」

「別に見られても私は気にしないわ。あぁでも、龍一君に迷惑は掛けたくないから残念だけど離れるわね」


 離れるとは言っても傍から居なくなるわけではない。彼女は抱き着いた状態から離れただけで、至近距離でお互いに見つめ合うのは変わらない。昨日の出来事を通して変わってしまった秘密とも言える関係だからこそこんなにも距離が近い。


「龍一君、こうして見つめ合うのも素敵だけど行きましょ?」

「あぁ」


 そうして共に歩き出した。

 隣を歩く静奈をチラッと見てみるが、やはりあまり変化は見られない。ただ一皮剥けたと言えば良いのだろうか、どこか女として一回り成長した風にも見える。


「? どうしたの?」

「いや、昨日の夜を思い出しただけだ」


 ニヤリと笑って龍一がそう言うと、静奈も思い出したのかあっという間に顔を赤くした。視線を逸らすかと思えば、彼女は龍一を見つめたままだ。瞳を僅かに潤ませ、口元に指を当ててこう口にした。


「私も……昨日寝るまでずっと思い返していたわ。いやらしいことのはずなのにどうしようもなく幸せだったのよ。まるで自分の中の何かを変えられたような感覚だったけど嫌ではなかった……相手が龍一君だったから」

「そうか。嬉しいことを言ってくれるな」


 周りに人が居ないことを確認し、龍一は静奈を腕の中に抱いた。その拍子に豊かな胸に手を添えると、あっと彼女は声を上げたが決して振り払うことはせずに龍一にされるがままだ。


「もう……ここは外よ?」

「その言い方だと家とかなら好きなだけしていいのか?」

「えぇ。とことん触ってほしい」


 思った以上に彼女を龍一は変えてしまったらしい。何度も言うが見た目に変化はなく誰も気づくことはないだろう。それでも確かに変わってしまった彼女の何か、それは果たして表面化することで多くの人に知られるのか……それはまだ、龍一にも分からないことだった。


『アンタを生まなければ良かった』

「……ちっ」


 呪詛のように蘇る母の声、小さな舌打ちに静奈が不安そうな顔を浮かべたことを龍一は気づいていなかった。

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