腹が減ってはなんとやら

 学校からの帰り道、龍一は隣を歩く静奈とチラッと見ながらどうしてこうなったのかを考えていた。これから彼が向かうのは静奈の家……そう、夕飯に招待されたのである。


『ハンバーグとか作ってあげるわよ!』


 以前口にした肉じゃがは本当に美味しかったと龍一の記憶に残っている。誰かに作ってもらうか、まかり間違って自分で料理をしない限りはインスタント食品漬けの毎日を送っていた。だからこそ、静奈の手料理は龍一の心に響いた。


「ふふふ~ん♪ ふんふんふ~ん♪」


 学校から出て途中から合流してからずっと静奈はこの調子だ。

 僅かに頬を上気させ、上機嫌に鼻歌を口ずさみながら歩いている。それこそ、目の前の電柱に向かって一直線だ。


「静奈」

「きゃっ!?」


 そんな風に注意を彼方に飛ばしていた静奈の肩を掴んだ。静奈としては突然肩を掴まれたのでビックリする形だが、ビックリしたいのはこっちだと龍一は大きなため息を吐く。


「あ、あの……龍一君?」


 さっきよりも更に頬を赤くした静奈はどこか期待を滲ませる目を龍一に向けた。龍一は無言で目を電柱の方へ向けると、首を傾げた静奈もそちらに目を向けてあっと声を漏らした。


「ご、ごめんなさい……」

「ボーっとすんな。目の前で怪我されると気分悪いからな」


 龍一の言葉に下を向いた静奈だったが、肩をポンポンと龍一が叩くと嬉しそうに笑顔を浮かべそのまま歩き出した。少しだけ静奈に遅れる形で付いていく龍一はその背中を眺めながら考えていたことがある。


(……本当に何もかも変わっちまった気がする)


 何度目になるか分からないが、龍一と静奈は本来相容れない二人だ。

 今の段階での判断になるが、静奈との仲はかなり良いと言ってもいい。こうやって家に呼んでもらいご飯を御馳走になるだけでも本当に変化を及ぼしている。


『あなた……最低よ!』

『くくっ、最低なのは分かってるさ。これからお前は、そんな最低な奴の手で変えられちまうんだぜ?』

『……宗平君……っ』


 漫画において、初めて龍一が静奈に手を出した時のシーンだ。

 あの時の静奈は間違いなく龍一に対して嫌悪を滲ませた瞳を向けていた。龍一は逆にその視線に燃えるように、全力で屈服させてモノにすることを決めた瞬間でもあった。


「龍一君? 何を考えてるの?」

「……いや」


 別の世界でお前が凌辱されることを思い返していた、なんてことも当然言えるわけがない。


「なあ静奈、本当に良いのか?」

「もちろんよ♪」


 綺麗な微笑みで静奈はそう言葉を返した。

 実を言えば、静奈の家には行かない方が良いなんて考えはなかった。美味い飯にありつけるのは嬉しいことだし、静奈と咲枝という綺麗どころと過ごせるのも悪くないと思っているからだ。


(結局は俺も龍一ってことだ。今の俺に寝取る趣味はないし誰かの大切を奪う気もない。だが……静奈のような良い女をモノにしたい気持ちは悔しいがあるんだ)


 千沙とも咲枝とも、今まで関係を持ったどの女とも違う何かを静奈に対して感じることがあるのだ。


「お母さんには言ってないけれど、いきなりでも喜んでくれると思うわ」

「昨日の今日だぜ全く……」

「ふふ、観念しなさいよ龍一君」


 どうやら諦めるしか龍一に道はなさそうだ。

 それから静奈に付いていく形で彼女に家に辿り着いた。アパート暮らしの龍一とは違って立派な一軒家である。外観に関しては漫画でチラッと見たが、こうして実際に目の前に立つと本当に立派な家だと分かるのだ。


「この間は近くまでだったけど実際にお邪魔するのは初めてだな」

「そうね。さ、どうぞ」


 静奈に促される形で龍一は家の中に入った。

 玄関からでも感じる温かさのようなものを感じると同時に、そう言えばこの家の色んな場所で静奈を犯す描写があったなと思い出した。静奈の私室、リビング、ベランダ、トイレ、お風呂、廊下、そしてこの玄関も全てその描写があった。


「龍一君?」

「……っと悪い」


 変に考え事をするとすぐに静奈は気づいてしまう。流石に考え事まで見透かされることはないのだが、それでも彼女の鋭さは甘く見れないのである。それからリビングに向かい、簡単にではあるがジュースを静奈は出した。


「サンキュ」

「どうぞ♪」


 コップを手に取り蜜柑ジュースを飲む。冷たい感覚が喉を通り気持ちが良い。そうやってジュースを飲む間もずっと静奈はニコニコと龍一を見つめていた。流石に見つめ続けられるのも居心地が悪く、それを指摘しようとしたその時だった――ピンポンとインターホンが鳴ったのだ。


「お客さんかしら……ごめんなさい、待っててね」

「おう」


 来客の対応に向かった静奈を見送り再びジュースを飲むのだが、ドアが開いているせいか玄関からの会話が聞こえてきた。


「どうしたの?」

「あぁいや、ちょっと夕飯のお誘いに」


 静奈と話す相手は男で、龍一はその声に聞き覚えがあった。その声は静奈の幼馴染である宗平のモノだ。どうやら静奈を夕飯に誘いに来たようだ。幼馴染だし家が近いこともあってこれくらいは昔から普通にある光景なのだろう。とはいえ、今回に関しては間が悪かったとしか言えない。他人事とは言えないが、静奈が断るだろうことは龍一にも分かっていた。


「ごめんなさい。また別の機会に誘ってくれる?」

「え? あぁ分かった……誰か来てるのか?」

「どうして?」

「靴が……」


 どうやら宗平は龍一の靴に気付いたらしい。

 まあこうして宗平が訪れることは予想外だったので靴を隠すなんてことも当然していない。そんな窮屈なことを静奈もしろとは言わないだろうし、龍一もそこまで気を割くつもりはなかった。


「別に関係ないでしょう? 要件は終わり? それじゃあね」

「っ……待てよ静奈!」

「なによ」

「最近の静奈おかしいだろ! なんで……なんでそんな変わったんだよ!」

「……私は別に何も変わってないのだけど」


 宗平の言葉が何を意味しているのか龍一には分かる。のんびりとソファに座ってジュースを飲む龍一は他人事だが、そうやって声を荒げることは静奈にとって気分の良いモノではないだろと言いたい気分だった。


(ま、その原因は俺なんだろうけど)


 一応、龍一はすぐに動けるようにしていた。

 彼らの会話は終わらず、宗平の語気はもっと強くなっていった。どうして、何があったんだとズケズケと静奈に踏み込むように。


「ねえ宗平君」

「何だよ……」

「どうしてそこまで言われないといけないの? あなたは私の何なの?」

「……は?」


 宗平の呆気に取られた様子が伝わって来るかのようだった。

 あくまで静かに、あくまで冷静に、静奈は宗平に言い聞かせるように言葉を続けた。


「私が誰とどんな人付き合いをするか、それを決めるのは私自身よ。それを他人にどうこう言われる筋合いはないわ」

「他人って……幼馴染だろ俺たちは」

「そうね。でも幼馴染だからって何でもかんでも言われてはいそうですかなんて言えない。ねえ宗平君、心配してくれるのは嬉しいわ。けど余計なお世話よ」

「っ……静奈!」

「帰って、これから夕飯の用意をするから」


 バタンと、扉が閉まる音が聞こえた。

 流石にあそこまで言われて扉も閉まったのだ。宗平はそれ以上何も言えないのか再び扉を開けてくることはなかった。


「お待たせ……ってあら、どうしたの?」

「……あ~」


 リビングの扉の前で待機していたのがバレてしまい、龍一は頬を掻きながら視線を逸らした。静奈はその意図に気付いたのか、クスッと口元に手を当てて笑ったがすぐに表情を曇らせた。


「悔しいわね。何も龍一君のことを知らずにあんな風に言うなんて」

「案外知ってるからこそだろうがな」


 静奈に宗平の言葉は届いていない、この世界でも元の世界でも静奈の状態に限らず声が届かないのは何の皮肉だろうか。顔を下に向けたままの静奈、龍一は彼女の顎に手を当ててクイッと顔を上げさせた。


「っ!?」

「顔を上げろ。俺は何も気にしちゃいねえ、俺がそう言うならそれで良いだろ」

「……龍一君」

「……ったく」


 相変わらずの暗い表情の静奈を見て、龍一は彼女の背に手を回した。千沙や咲枝の時もこうすると彼女たちは落ち着いていた。それをしようと思ったのだが、流石にこれは違うかと思い直す。


 手を離そうとしたその時、静奈が体を前に出すようにして龍一に抱き着いた。


「静奈?」

「……抱きしめてよ。やめないで」


 龍一は目を丸くしたものの、静奈の要望に応えるように背中に腕を回した。

 腕の中に居る静奈は吐息を零し、顔を上げて龍一の顔をジッと見上げる。その綺麗な瞳は全てを吸い込みそうなほどに澄んでいた。


「やっぱりこうやって抱きしめられるのは安心するわね」

「ま、千沙も咲枝もこうすると安心するって言ってたな」

「……減点よ龍一君」

「何がだよ」

「減点よ減点……でも、嬉しさの方が大きいから加点してあげる」


 そう言って静奈は龍一の胸元に顔を押し当てた。しばらくそのままの状態が続き、それは咲枝がその後すぐに帰ってくるまで続いた。







『最近の静奈おかしいだろ! なんで……なんでそんな変わったんだよ!』

『何も変わってないわ? ただ彼の素敵な部分に気付いただけ、私……染められちゃったの。ねえ宗平君、彼って凄いのよ?』


 同じ言葉でも、返って来た言葉はこんなにも違っていた。




【あとがき】


次回、動きます。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る