肉じゃが美味い!

 日が暮れた頃、龍一はアパートに帰って来た。

 古ぼけたとは言わないがそれなりに年季の入ったアパート、彼にとってここが一番落ち着く場所と言っても過言ではない。しかし、今日に限っていつもと少し違う光景が広がっていた。


「ここが獅子堂君の住んでるアパートなのね」

「……………」


 ジッとアパートを見上げる静奈の姿に、龍一は大きなため息を吐くのだった。

 結局あの後、静奈は龍一に付いてきたのだ。ガシッと握られた手を離してくれず、無理やりに振り払っても良かったがあまり強いことはしたくなかった。そんなこんなで、半ば無理やりではあったが静奈の訪問が決まったのである。


(……こいつ、こんなに行動力あったんだな)


 漫画だけでは描かれない日常の風景、まさか原作が開始する前に彼女が龍一の部屋に訪れることになるなど予想出来なかった。いくら最近少し話すようになったとはいえ、一人暮らしの男の部屋に来る警戒心の無さに逆に心配になるほどだ。


「……やっぱり送っていくから帰れ」

「もうここまで来たのだからダメよ」

「お前なぁ……」

「……その……そんなにダメ?」


 龍一はまた大きなため息を吐いた。

 まあこうして彼の部屋に女性が訪れることはそこまで珍しくない。千沙を始め、多くの女性がここに来たことがあるのだから。


 静奈もその一人に過ぎない、龍一はそう割り切った。


「少し部屋汚れてるけどすまねえな」


 そう言って龍一は扉を開けた。

 ガチャッと音を立ててすぐ、目の前に広がったのはゴミ袋の山だった。山と言ってもゴミ屋敷ほどではないが、少なくとも静奈のような女の子からすれば衝撃を受ける光景だったみたいだ。


「……汚い」

「だから言っただろうが」

「少しじゃないでしょ!?」


 今までに比べたらこれはかなりマシなんだよと龍一は頭を掻いた。そのまま二人で部屋に入ったわけだが、まず初めに行われたのは当然ゴミ掃除である。


「これはそこ、それはそこね」

「おう」

「これは……捨てましょう」

「分かった」


 ほとんど静奈の命に従う従者のように、龍一は言われたことを素直にテキパキと熟していった。その姿に色っぽさは一切なく、二人ともただただ掃除に時間を費やしていた。そして、見違えるほどに部屋の中は綺麗になった。


「おぉ、高級住宅かよ」

「前が汚過ぎただけよ」


 感動した様子の龍一に、今度は静奈がため息を吐いた。静奈は龍一から目を外して買ってきた食材を広げた。本来なら静奈も食材の買い出しだったのだが、龍一の為に使ってくれるみたいだった。


「いいのか?」

「えぇ。母には急遽友人の家で料理をすることになったからって伝えたわ」

「……それでいいのかよ」

「いいのよ。さてと、それじゃあご飯の準備をするわね」


 綺麗になった炊事場に龍一以外の誰かが立っているのは新鮮だった。

 ついついジッと見つめてしまいそうになるが、龍一は手持無沙汰になってしまったことに若干の居心地の悪さを感じる。


「……ったく、なあ竜胆。何か手伝いは」

「獅子堂君は料理できないでしょ? 座ってなさい」

「……はい」


 並みの同年代よりも圧倒的に逞しい肉体を持つ龍一だが、彼も料理に関しては無力に等しかった。静奈に大人しくしていろと言われ、彼はその言葉に従うようにシュンとしながら腰を下ろすのだった。


「ふんふんふ~ん♪」


 鼻歌を口ずさみながら料理を作る静奈、龍一はジッとその姿を見つめていた。何度か目が合ったが、ニコッと静奈が笑みを浮かべて料理を続けていく。やがて、龍一にとって久しぶりとも言える手料理が目の前に広がった。


「……おぉ!」

「はい、簡単に用意したけどどうぞ」


 流石におかずをたくさん凝ってしまうと時間が掛かるということで、静奈が作ってくれたのは肉じゃがだった。美味しそうな香りを放つ肉じゃがを前に龍一の腹の虫が鳴った。お供は白米と味噌汁だが、それでも大変豪華な食事に見えたのは言うまでもなかった。


「……いただきます」


 ちゃんと手を合わせて、早速箸の先を肉じゃがに伸ばした。芋を掴んでゆっくりと口の中に運んだその瞬間、芋の甘さが広がり龍一は目を輝かせてパクパクと口の中に放り込んでいく。


「そんなに急いで食べると喉を詰まらせるわよ?」

「大丈夫だって……っ!?」

「ほら言わんこっちゃない」


 呆れた様子の静奈がコップを差し出し、龍一は急いでそれを飲んだ。ぜぇはぁと荒い息をする龍一の背中を擦りながら、やっぱり静奈は呆れた様子だがすぐに頬を緩めクスッと笑みを浮かべた。


「そんなに美味しかった?」

「めっちゃ美味いぞ。久しぶりにこんな美味い物を食った気がする」


 本当に美味しい、それは龍一の表情を見れば良く分かることだ。

 静奈も龍一と共に食事を始め、すぐに肉じゃがを含め白米と味噌汁はなくなった。肉じゃがに関してはほとんど食べたのは龍一だったものの、静奈もあそこまで美味しそうに食べてくれたからか終始笑顔だった。


「本当に美味かった……くくっ、将来竜胆と結婚する奴は幸せだぞ?」

「いきなり何を言ってるのよ……」


 顔を赤くした静奈を見て、悪戯心が芽生えたのか龍一は手を伸ばして静奈の腕を掴みその体を引っ張った。


「きゃっ!?」


 静奈の体をその太い腕で抱きしめたのだ。龍一にとって女を部屋に上げる目的は体しかない。しかし静奈に対してそう言う意味でこうしたのではなく、あくまで悪戯のつもりだった。


「次はお前をもらうか。なあ、俺の噂を知っててわざわざここに来たんなら襲われても文句はねえよな?」

「っ……あぁ……♪」


 やはり思ったより反応が違うなと龍一は訝しんだ。

 というよりも、どこかで静奈に似た反応をする女を抱いた記憶があった。考えても結局分からなかったので彼女の体を離す。


「なあ竜胆、俺は色んな女と関係を持ってる」

「っ……やっぱりそうなのね」

「あぁ。今会ってるのは一人だが……まあ俺はそんな奴なんだよ」


 あくまで優しく静奈に言い聞かせるように彼は言葉を口にしていく。


「肉じゃが、凄い美味かった。だけど、のこのこ一人暮らしの男の家に付いてこようとするな。俺だから良かったものの……っていうのもおかしい気もするが、お前ほどの女を欲しがる奴は大勢居る。隙を見せた瞬間食われるぞ?」


 ビクッと静奈は体を震わせた。

 その様子に龍一はそれでいいと苦笑し、財布からお金を取り出した。


「使った食材のお返しだ。受け取らないってのはやめろよ? 流石に俺でも心が痛むからな」

「……ふふ、分かったわ。受け取るわね」


 どんな形であれ、金の貸し借りなんてものは忘れないうちにスッキリさせておくに限る。夕飯を作ってくれただけであっても、同級生の女子に金を使わせるというのは流石に龍一も我慢ならない。


「にしても驚いたぜ? まさか、竜胆がこんなに行動力の塊とはな。普通はこんなことしないぞ」

「そうよね……でも、放っておけなかったのよ。もちろん獅子堂君からすれば迷惑だったかもしれない、でも……ううん、ごめんなさい。結局は私の我儘だったから」

「……おまけに優しすぎるな。その内絶対に騙されるぞ?」

「そ、そこまで間抜けなつもりはないわよ!?」


 コロコロと変わるその表情、美しさと親しみやすさを感じさせるのは流石ヒロインの貫録を感じさせる。それからしばらく話していたが、静奈を家の近くまで送っていくことにした。


「別に良いのに」

「だから何度も言わせんな。ほら行くぞ」


 龍一は先に部屋を出た。静奈も慌てるように部屋を出てきたが、すぐに龍一の隣に並んで同じ歩幅で歩き出す。


「……ねえ獅子堂君」

「もう来るんじゃねえぞ?」


 先手を打った言葉に静奈はぷくっと頬を膨らませた。どうやらまた来たいとでも言おうとしたのだろう。龍一としてもまたあの肉じゃがを含め、色んな料理を食べれるなら期待もするが……やはり線引きは必要だと考えている。だからこそ、今日のことは忘れていつも通りに戻る。それが正しいのだと静奈に言い聞かせた。


「……無理やり私を抱いたわ」

「おい、何出鱈目言ってやがる」

「間違ったことは言ってないわよ?」

「……………」


 確かに彼女の言ったとおりだ。興が乗ったとはいえ、龍一の太い腕に静奈が抱かれたのは間違いない。静奈の反応が少し怪しかったが恥ずかしい思いをさせた。


「これを学校で言ったらどうなるかしらね?」

「……強かじゃねえか」

「ふふ、それで……また来ても良いでしょ?」

「精々バレて変な噂を立てられても知らねえぞ?」

「分かったわ♪」

「本当に分かってんのかこいつは……」


 今度は龍一が呆れた目を静奈に向ける番だ。

 月明かりに照らされた静奈の笑みは美しく、少しとはいえ龍一は見惚れた。なるほど確かに、これは奪いたくなるはずだと龍一は人知れず思うのだった。


「……竜胆」

「なに?」

「また……な」

「! ……えぇ!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る