静奈は何を思う
龍一が記憶を取り戻してから数日が経過した。
あれから特に変わったことはない……とは言えなかった。どうもあれから頻繁に静奈が声を掛けてくるようになったのである。
龍一から声を掛けることはほぼないが、その差を埋めるように静奈が近づいてくるのだ。教室に入った際龍一を見ると静奈はすぐに歩み寄り、おはようと声を掛けて戻っていく。それを鬱陶しいとは流石に龍一も思わないが、こんな自分に絡んでもいいことなんてないのになとため息を吐く日々が続いていた。
「……?」
そしてある日のことだった。
トイレからの帰り道、廊下の曲がり角で静奈を含めたクラスメイトの話声が聞こえた。
「ねえ静奈、アンタ獅子堂に何かされたの?」
「どうしてそう思うの?」
「いやだって最近おかしいじゃん。今まで特に話なんてしなかったのにアンタから近づいて……怪しいって思うよ?」
出来れば本人に決して聞こえない場所で話してほしかったと龍一は苦笑する。面倒だが少し時間を潰してくるか、そう思った龍一は足を止めた。何故なら静奈が厳しい声音で口を開いたからである。
「別に騙されたりなんかしてないわ。私はただ、ありのままの自分で獅子堂君に接しているつもりよ。確かに彼は色々と噂はあるし否定はしなかったわ。でも、だからって遠ざける理由にはならないと思うのよ。同じクラスの仲間だしそれに……ううん、とにかく――」
それからもずっと静奈は龍一のことを必死に伝えていた。しかし当然のことながら簡単には彼女たちには伝わらない。街中で静奈を助けたことも、花瓶の水を変えたことも知っているのは静奈だけだからだ。
「ま、いい加減ここで待ってるのもあれか」
ガシッと頭を掻いた龍一は角から体を出した。
するとこちらに体を向けている静奈は気づかないが、彼女が顔を向けている友人たちはみな龍一の存在に気付いた。
「あ……獅子堂」
「え?」
サッと静奈が振り向いた。
彼女は龍一を見てパッと目を輝かせたが、どうしてそんな顔を向けられるかが龍一には理解できない。本来彼女が龍一に向けるべき顔はそうではなく、嫌悪を滲ませた表情なのだから。
実を言えば龍一はあれから色々と考えた。
もしかしたら寝取られというのは表だけで、本当は今のように静奈は龍一に対して好意的だったのではないかと。しかし絶対にそうではなく、本当に静奈は龍一のことを嫌っているのは間違っていない。つまり、今この段階で本来のルートから少し外れているようなものなのだ。
「獅子堂君、トイレの帰り?」
「そうだよ。用を足した帰りに噂されてたから顔を出しづらくてな」
そう言って龍一が目を向けると、話を始めた彼女たちは気まずそうに顔を伏せた。別に睨んでいるわけでもないのにビビっているその様子に、やはり龍一はため息を吐いてしまう。
「別に怒っちゃいねえ。そう思われるのも仕方ねえと思ってるからな。髪も黒く染めてピアスとか取れば怖がらないでもらえるか?」
「え? ……う~ん、どうだろ」
「獅子堂が黒髪って似合わなくない?」
「……ハッキリ言うなお前ら」
だが、おかげで彼女たちも警戒は少し解けたらしい。
まだ一定の恐れというものは瞳から感じるが、やはり話してみると龍一の変化は良い意味で受け止めてもらえるようだ。
「必要以上に関わらないからな。そう言う意味では竜胆にもいつも通りしてもらいたいもんなんだが」
「そうは言っても獅子堂君のこと知ってしまったもの。私、あなたと話しててとても楽しいのよ?」
「マジかよ趣味悪いぞ?」
「そうかしら?」
息の合った二人のやり取りに、友人たちも揃って笑みを零していた。
さて、こうやって静奈と話をしていると決まって感じる視線がある。だが今回は特に何も龍一は感じなかった。
「どうしたの?」
首を傾げて聞いてくる静奈だが、その原因が彼女にあるとも言いづらい。
「なんか、印象違うね」
「うん。しかも獅子堂って強面だけどイケメンだしね」
「今更気付いても遅いぜ?」
「あっはっは、何か言ってらこのナルシスト」
「……………」
「ぷふっ!」
もう先ほどまでの雰囲気は微塵も感じられなかった。
今まではとにかく他人を見下すように、或いは威圧するように、そして女は品定めするような目を向けていた龍一がころころと表情を変えるのだ。それは物珍しさも相まって龍一という人間の変化をこれでもかと示す結果になった。
「先に戻ってるね~」
「えぇ」
静奈を置いて友人たちは去って行った。
……何故お前は残るんだ。そんな目を向ける龍一を見て静奈は笑った。
「そんな目で見なくても良いじゃない」
「……最近、なんでお前は俺に話しかけてくるんだ?」
それは素直な問いかけだった。
まさか真っ直ぐ聞かれるとは思わなかったのか、静奈は目を少し見開いた。しばらくして龍一を見つめ返しながらこう答えるのだった。
「分からないわ。ただ……今まで話してなかった獅子堂君のことを知ったからだと思うの。なら、もっと知りたいと思うのはおかしなことじゃないでしょ?」
「……分からん」
全然分からなかった。
静奈は頬を膨らませていたが、それもまた知らなかった彼女の表情を知った瞬間でもあった。薄く笑った龍一を見て静奈も表情を崩し、楽しそうに笑うのだった。
「いい加減戻るぞ。授業に遅れるのも嫌だしな」
「そう言うセリフ、本当に似合わないわ」
「うるせえっての」
少なくとも、静奈とのやり取りを嫌とは思えなかった。
そして、更に龍一のことを知られてしまう出来事が放課後に起きた。
「獅子堂君?」
「……本当によく会うな」
ジトっとした目を向ける龍一に静奈は偶然だと笑った。
二人が出会ったのは商店街、お互いにどうやら夕飯の買い出しに来ていたところをバッタリ出会ったようだ。
まあ龍一の場合買い出しと言ってもカップラーメンばかりを買ったわけだが、当然それは静奈にも見られた。
「カップラーメンばかりなのね?」
「馬鹿にすんなよ美味いんだぞ?」
「美味しいのは分かってるし馬鹿になんてしてないわ」
お湯を入れてたった三分待つだけで美味しい食事の完成だ。人類の英知とは本当に素晴らしいモノだと思えるほど、龍一はカップラーメンのお世話になっている。しかし、このカップラーメンの話が全ての始まりだった。
「獅子堂君は夜は何を食べるの?」
「カップラーメン」
「そうカップ……は?」
唖然としたように静奈が口をポカンと開けた。
どうしたんだと首を傾げる龍一だったが、静奈は言葉を続けた。
「夜にカップラーメンって……その、悪いとは言わないわ。でも体に悪くない?」
「良くはねえだろうな。つっても、もう何年も続いてるし」
「何年もって……」
「俺一人暮らしだからさぁ。訳があって両親は居ねえから料理をしようと思わない限り自然とこうなるんだよ」
「……え?」
そこで龍一はハッとした。
いくら事情の説明とはいえ、両親が居ないというある意味禁句とも取れることを伝えてしまったことを後悔した。龍一個人としては別に知られて困ることではない、しかし聞かされた側からすれば気分の良い話ではないのだから。
「っとすまん。いらんことを話したな」
「ううん……そんなことないわ」
そんなことあるじゃないかと龍一は苦笑した。マズいことを聞いてしまったというものと、両親が居ないと言ったことに悲しみを感じてくれているようだ。
つい反射的に龍一は静奈の頭に手を伸ばそうとして……肩に手を置いてポンポンと叩いた。
「そんな顔すんな。綺麗な顔が台無しだぞ? 笑っていろ」
「っ……獅子堂君」
流石はヒロインとも言うべき静奈は本当に心優しい女の子だ。
今日の出会いはなんてことはない偶然、それで終わるはずだった。しかし、立ち去ろうとした龍一の手を静奈は握ったのだ。
「待って」
「うん?」
何かを決めたような真剣な眼差しの彼女はこう提案するのだった。
「ご飯、作ってあげるわ。今から獅子堂君の家に連れて行って」
当然、龍一の返答は早かった。
「来んな」
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