眠っている才能

「……なんかやけに視線を感じるな」


 大きな欠伸を噛み殺しながら龍一は小さく呟いた。

 二限目の授業が終わった段階なのだが、休み時間の度に視線を感じるのである。何となくだがこの視線について心当たりがある龍一はため息を吐く。


「主人公からか……」


 確証はないが、大よそ合っているだろうと龍一は思っている。

 この世界における主人公の名前は篠崎しのざき宗平そうへい、モブと見間違うような外見的特徴のない見た目と言ったらそれまでだが……まあ基本的に主人公というのはそういうものだろう。


「トイレ行くか」


 そう呟いて席を立つとやはり視線を感じた。

 教室から出る際にチラッと盗み見たが……バッチリ篠崎と目が合うのだった。それもこれも全て静奈が話しかけてきたことが影響しているのだと思われる。


「……ふぅ」


 用を足しながら龍一は改めてこの世界のことを考えた。

 今の時系列はまだ四月、確か物語が始動するのは夏休み前だったはずだ。夏休みが始まる直前に龍一と静奈は関係を持ち、長い休みの中で徹底的に静奈は龍一好みの女に仕立て上げられるのである。


「人間変わるもんだよな」


 静奈の見た目は正に大和撫子、そして清楚とは反するドスケベボディの女の子だ。そんな子が夏休みが明けた段階で髪を金髪に染め、服装すらも校則ギリギリの際どいモノに変化する。


 描いていた絵師の能力が高いのか、どちらも綺麗に描かれていた。とはいえ、今の龍一の好みは圧倒的に今の静奈である。記憶を取り戻す前は派手な女が好きだったのだが、記憶を取り戻した彼の好みは清楚な女の子だった。


「ま、だからって何も関係ねえけど」


 物語の始動が夏休み前、つまり篠崎と静奈が付き合いだすのは夏休み前だ。先ほど静奈が篠崎とはそんなのでは、そこまで言いかけた言葉の意味はこれになる。彼女はまだ篠崎への恋心に気付いていないのだ。

 用を足してトイレを出た龍一だが、廊下を歩く間常に生徒たちは龍一を避けていく。既に見慣れた光景だが、悲しいことにもう龍一は慣れてしまっていた。


 そんな龍一でも、話しかけてくる相手は当然居るのだが。


「よ、ウンコだったか?」

「ちげえよ」


 クラスに戻った龍一に同じような派手めの男子が話しかけてきた。

 彼の名前は伏見ふしみまこと、同じはみ出し者の気が合う友人だ。ここまではみ出し者と言葉を使っていたが、龍一もそうだし真も学力はそれなりだ。どうしたことか、彼らはそれなりに基本スペックは高いのである。


「竜胆がお前に話しかけるの珍しくね? もしかしてやったのか?」

「何もやってねえよ」


 真のストレートな言葉に龍一はめんどくさいと言わんばかりの表情で答えた。

 他の連中ならいざ知らず、真ならこんなことを聞いてくるとは予想していた。仲間内でも不思議だと思われるくらいには、やはり龍一と静奈は接点がないように見られているのだろう。


「もしお前が落としたのならおこぼれに預かろうと思ったんだけどよ。同学年であれほどの美人はそう居ないしな」

「相変わらずだなお前は……」


 下半身に従って生きているような奴だなと龍一は思ったが、つい先日まで自分もそうだったので馬鹿には出来なかった。弁解というわけではないが、静奈との間には本当に何もないので特に伝えることはない。

 真も龍一の様子から本当に何もないんだなと察したようでこの話は終わった。


「ところで龍一、近いうちにあのクラブでパーティするんだがどうする?」

「……あ~」


 あのクラブとは龍一が千沙と出会った場所のことだ。

 定期的に大勢の男女が集まって開かれるパーティで……まあ気の向くままに気に入った相手をお持ち帰りしたり、或いはその場でみたいな怪しげなパーティと言えば想像が出来るだろう。


「いや、しばらくいいかな俺は」

「マジかよ?」


 龍一の返答に真は心底驚いたように目を大きくした。この段階で龍一がどう思われているのか良く分かるが、記憶を取り戻してからあまりそういった場所に行く気は失せていた。


「あの性欲魔人のお前が? 明日は槍でも降るのかね?」

「流石に失礼すぎるだろ」


 真は悪い悪いと笑った。


「なんつうか雰囲気変わったなお前。前のお前も良いと思うが、今の方が色んな意味で良いと思うぞ?」

「それ千沙にも言われたわ」

「やっぱりか。お前のことを良く知ってる人間ならそう言うんじゃねえか?」

「……ふむ」


 別に話し方が変わったわけでもないし、雰囲気なんてものは自分では分からないので何とも言えない。不純な動機で知り合った友人とはいえ、真さえも千沙と同じことを言うのだから本当に龍一が纏う雰囲気は変わったのだろう。


「ま、なんにせよ参加したくなったら言ってくれよ?」

「分かった」


 絶対に行かないだろうがな、そんな言葉は飲み込んだ。

 それから時間が経って放課後になった。終礼が始まっても机に突っ伏して寝ていたせいか、既に教室に残っているのは龍一だけだった。


「……誰か起こしてくれても……って、あり得ねえか」


 もしも自分が赤の他人なら龍一みたいな見た目の人間に話しかけようとは思わないのである意味正しい在り方だ。

 特に勉強道具の入っていない鞄を手に立ち上がった龍一だが、ふと一つの花瓶に目を向けた。綺麗な花が生けてあるが、その花に栄養を与えるための大切な水が汚れていたのだ。


「日直は何やってんだよ」


 基本的に花の水を変えるのは日直の仕事だが、今日の日直はその仕事をしなかったらしい。単に忘れていただけかもしれないので決めつけは良くないが、龍一はため息を吐いて花瓶を手に取った。


「……あれ? 獅子堂君?」

「あん?」


 花瓶を手に水を替えに行こうとしたところ、まさかのエンカウントだった。鞄を背負って現れたのは静奈で、彼女は龍一と花瓶を交互に見て驚いている。


「帰ったんじゃなかったのか?」

「あぁうん。忘れ物をしたの……獅子堂君はどうして花瓶を?」

「日直が水を替えるの忘れてたみたいでな。汚い水のままじゃこいつも嫌だろうし俺がやっとこうと思ったんだ」

「……………」


 龍一の言葉に静奈はこれでもかと目を丸くした。龍一の方もらしくない……というよりこんなこと今まで一度もしたことはなかった。だからこそ、そんな目で見られることに若干の居心地の悪さを感じる。


「俺がこういうことしちゃ悪いのか?」

「え!? ううんそんなことないわ! ただ意外だなって思っただけで……」

「思ってんじゃん」

「ごめんなさい……」


 素直に謝った静奈に龍一は笑った。

 そのまま静奈の脇を通り過ぎて水道の場所に向かうが、静奈も鞄を置いて付いてきたではないか。


「なんで付いてくるんだよ……」

「なんとなく……かしら?」


 やりずらいことこの上ない、そう思いながら龍一は彼女の同行を許した。

 目的の場所に着くと、一旦花瓶を置いて龍一は腕まくりをした。小麦色に焼けた肌と力強さを思わせる太さの腕が姿を現した。


「……………」

「……………」


 お互いに何も言わず、静寂の時間だけが流れていく。

 綺麗な水に差し替え、心なしか花の方も元気を取り戻したように見える。一仕事したなと満足そうな笑みを浮かべた龍一だったが、またしてもボーっとしたように静奈が目を向けていた。


「……噂って当てにならないのね」

「噂?」

「えぇ。うちの高校始まって以来の不良とか、素行の悪さは天下一品とか……結構言われてるけど」

「別に間違ってねえぞ?」


 その囁かれている噂は特に間違ってはいない。単純に静奈が龍一のことを知らないだけだ。彼がどんなことをしてきたか、どんな風に過ごしているかを全く知らないからこそそう言えるだけなのだ。


「……でも獅子堂君はとても優しい人だと思うわ」

「やめとけ、俺はそんなんじゃない」

「ふふ、私が勝手に思わせてもらうわ。優しくない人はそんなことしないもの」

「っ……」


 本当に調子が狂うなと、龍一は頭を掻いた。

 少しだけ警戒心を植え付けるように、或いは自分がどんな存在なのか知らしめるために龍一は静奈を壁に追いやった。


 ドンと音を立てて静奈の横に手を添えた――壁ドンというやつだ。


「し、獅子堂君……?」

「あまり信用しすぎるなよ。襲っちまっても知らねえからな」


 ニヤリと、龍一は悪童のような笑みを浮かべるのだった。

 しかし、そこで一つおかしなことが起きた。それは静奈は逃げたりせずに、頬を赤くして真っ直ぐに龍一の目を見つめ返していたのだ。


「……あ」


 っと、そこで龍一はある一つの設定を思い出した。

 静奈は確かに龍一に襲われて落ちていく女だが彼女にはとてつもないマゾとしての才能が眠っている。それも覚醒することで漫画のような展開になるのだが……龍一はまさかなと頭を振った。


「それじゃあ俺は帰るからな。お前もとっとと帰れよ?」

「え、えぇ……」


 何やらヤバいスイッチを押したような気がする……龍一は帰り道を歩きながらそんなことを考えていた。

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