第8話 白銀の塔へ
船が飛ばした水しぶきが顔に当たる。
「冷てっ」
新太は思わず目を細めた。袖口で顔に飛んでくる水しぶきを拭く。だが、なおも細かな水しぶきが飛んでくるのはさけられない。新太は苦い顔で海を見つめた。海は穏やかに波打っている。
アースラから貰った船は滑るように海上を進んでいく。櫂も櫓(ろ)もエンジンもない。子ども五人が乗って、少し余るくらいの木製の船だ。アースラいわく、命令すればいかようにも進む船らしい。不思議な船だ。新太達は、銀の塔を目的地として、真っ直ぐ進んでいく。
新太達が目指す白銀の塔は、今は、針のような細さと大きさだ。だが、そのうちどんどん大きくなるだろう。新太は緊張と不安と興奮で胸が痛んだ。
一番前に座る喜一が振り返り、
「すごいね、アラタ! この調子なら、あっという間だね!」
「ああ。期待してろ!」
新太の前に座る子ども達もどことなく緊張している様子だ。みな、一様に顔がこわばっている。なかには緊張からなのか、船に酔ったのか、船から顔を出し、下を見ている子もいた。新太はプッと吹き出し、
「そう緊張するな。ここまで来たんだ。あとはなるようになるだろ」
「うん! そうだよ、みんな、リラックスリラックス。緊張してもいいことないよ」
喜一がガッツポーズをとる。子ども達は互いに顔を見合わせて、ほんのわずかに笑みを浮かべた。それを見て、新太は心配する。アヴィンサが近づいているのだ。無理もない。
思えば、アースラにアンタカラから脱出すると約束しては来たものの、どうやって脱出するのか、手立てはない。アヴィンサを説得するのか、それとも打ち倒すのか、はたまた打ち倒すとしたら一体、どうやって……など、課題は満載だ。今さらながら何も考えずにでてきたことに気づく。新太はわずかに悔やんだ。せめてアースラに聞いておけばよかったと新太は思い、頭を抱えた。
新太が思い悩んでいる間に、どんどん白銀の塔は近づいてくる。今では、太鼓バチくらいの大きさだ。雲に突き刺さるように、はっきりと尖った塔の頂点も見え始める。その雲の下に、塔を囲むように無数の黒い鳥らしきものが飛んでいるのが見えた。新太はなんだろうと思い、目をこらす。
喜一が指をさし、
「アラタ! あれ、ヘン!」
「ん? なんだ?」
新太は身を乗りだし、さらに目をこらす。よく見れば、鳥に手足が生えている。
「人?」
徐々に船が近づきよく見れば、成人男性くらいの大きさの人間の背中に、コウモリのような翼が生えている。だが、肌は真っ黒で顔もない。新太は昔、映画で見たガーゴイルを思い出した。そのガーゴイルが、塔の周りを縦横無尽に飛んでいるのだ。
「いやっ! なにあれ!」
「うげげっ、悪魔だー!」
子ども達がのけぞり、おっかなびっくり悲鳴をあげる。新太は舌打ちした。
「頭下げろ! このままやり過ごすぞ!」
新太の号令で子ども達は一斉に頭を抱えて船の床に張りつく。新太も頭を抱えた。ただ、喜一だけがぼんやりと空を見ている。
新太はそれに気づいて、小さな声で、
「おい、喜一、何やってんだ。頭下げろよ」
「うん、でも、なにかヘンだ」
「へん?」
新太もつられて空を見る。見れば、塔の近くで、台風の目のように雲がぐるぐると渦を巻いている。その周りにガーゴイルが集まっていた。
「なんなんだ、あれ……」
新太がぼんやりと空を見上げる。それにつられて、子ども達も顔をあげ、空を見始めた。
先ほどまでの快晴が嘘のように、空一面に薄暗い雲が覆っている。時々、雲の中に光る雷が見えた。新太は思わず息を飲む。
ついさっきまで一つだった台風の目が、二つ、三つと増えている。気づけば、無数の台風の目が空いっぱいに広がっていた。ガーゴイルたちも、ギャアギャアと何かを警戒するように騒ぎ立てる。
新太はしらずつばを飲みこんだ。他の子ども達も何が起こるのだろうと、体を寄せ合い、固唾をのんで見守っている。
雲の渦巻きの下に集まっているガーゴイルの集団が、耳をつんざくような叫び声をあげ始めた。新太や子ども達は思わず耳を塞ぐ。
雲が動き始めた。渦巻きがほどけ始め、稲光とともに光があふれだした。そのあふれた光の隙間から、円柱形の大きな白い石がのぞき見える。
「なんなんだよ……」
ガーゴイルたちが鳴き声をあげながら、円柱の石の元に集まり始める。石は徐々に姿を現わそうとしていた。ずるりと生まれ落ちた時、新太は理解した――柱だ。凹凸のある円柱の白い柱が雲から誕生したのだ。
「柱だ! 降ってくるぞ!」
新太がかけ声をあげた瞬間、空から巨大な柱が降ってきた。家三軒分の大きさだろうか、柱を支えるために集まったガーゴイルたちも支えきれずに、巻きこまれて一緒に落ちていく。ドーンッと天上から地面を巨大なカナヅチで叩いたような音をたて、巨大な柱は海に飲みこまれていく。それとともに、波同士が衝突し、砕け散った。海がうねり、白い泡とともに、荒波が立ち始める。
沈んだ柱の余波に当てられて、新太達の船も左側からくる大波に乗った。右側に大きく傾き、流される。
「きゃあっ!」
「わああっ!」
新太や子ども達は必死に船のへりや底にしがみつく。ザブンッという波の砕ける音とともに、船はなんとか海面でバランスをとる。だが、ほっとしたのもつかの間、今度は引き潮がやってきて、新太達の船をもてあそぶかのように左に急激に引っぱっていく。
「うわあああっ!」
海面に漂う枯れ葉のように、船は寄せては返す波によって翻弄される。自然に起こりうる力に新太はなすすべもなかった。ただ、船のへりに張りつき、このまま災厄が過ぎ去るのを願うばかりだ。
だが、アースラの魔術がかかった船は、波に流されながらも軌道を修正し、銀の塔を目指して少しずつ進んでいく。今では銀色の塔に刻まれた蔦の模様もはっきりと見える。
もう少しだ!と新太は思った。祈る気持ちで空を見上げると、船の真上の渦巻き雲から、同じように視界いっぱいの白い柱が生まれ落ちようとしているのが見えた。新太は一気に青ざめる。
「は、走れ走れ走れ、船っ! スピード上げろ!」
新太のかけ声とともに、船はぐんっと速度を上げた。衝撃で男の子が後ろに倒れる。女の子や喜一は、風と波しぶきをさけるように、顔を伏せながら、腕で目元を隠す。
「アラタ、なに?」
「上見ろ、上! 押しつぶされるぞ!」
喜一と女の子は空を見上げ、顔色を変えた。一心不乱に祈り始める。
「お、お願い! 船さん! 早く進んで!」
「フネ、フネ、フネー! 自己最速ベスト記録でお願い!」
子ども達にこわれて、船はさらに速度をあげる。
「皆、頭を下げろ!」
ビュンビュンと水面を切る水切り石のように、船は海面を飛ぶように走る。子ども達は、身を屈め、ひたすら無心で逃れる時を待った。
ふいに、ドッ!と真後ろから大きな音の衝撃が体を貫いた。抜けたんだ! そして、柱が落ちたんだ!と新太は思った。それとともに、奇妙な浮遊感を感じた。頭の上が海になり、そして、空に戻る。柱が落ちた衝撃で高波が発生し、船がのりあげ、そのまま一回転したのだ。
船はザンッと綺麗に着水して、なんでもないように蛇行しながら進んでいく。新太と子ども達はしばらくの間放心状態になり、皆で顔を見合わせて笑った。
「っていうか、今のすげえ」
「くるんってひっくりかえったね!」
新太が後ろを振り向くと、大きな白い柱が、泡をたてながら、海中に飲みこまれようとしている。余波で目の前の波が大きくせりあがったが、新太達は意に介さなかった。さっきの経験の衝撃が大きすぎたのだ。
空からはいくつも柱が生まれ落ちたが、その衝撃波も船は上手くすりぬる。波間をぬい、すいすいと白銀の塔へ近づく。今や塔は目前に迫り、積みあげた白いレンガの隙間が見えた。
船は塔の入り口にある階段下に横づけになった。新太がまず船から降り、子ども達に手を貸した。そうこうしている間に、喜一がジャンプして、階段に降り立った。
子ども達に手を貸し終え、新太は背筋を伸ばした。海を見つめる。
渦巻き状の雲からは以前、大きな白い柱が生まれていた。だが、白色の四角いブロックや平たい板を持っているガーゴイルもいる。どうやら柱以外にもブロックや板など色々生まれているらしい。
喜一が横にきてぽつりと、
「町が再建されるみたいだね」
「……そうだな。急がねえと」
新太は踵を返し、海に背を向けた。子ども達にケガはないか確認すると、気合をこめて、
「よし、お前ら、ここからが正念場。最後の砦だ。気を引きしめていこうぜ!」
「うん! アースラさんも、ジンも助けて、みんなで一緒に脱出しよう!」
「おーっ!」
新太は海を見返した。アンタカラは再建されようとしている。ということは、アヴィンサは再び、子ども達をアンタカラに招き入れ、アンタカラの海に沈めようとしているのだ。
新太は両手で自分の頬と太ももを叩いた。気合を入れ、子ども達を振り返る。
「さあ、行こうぜ、皆! これが最後の砦だ!」
子ども達は興奮したようなどこか不安を打ち消すような様子で、雄たけびを上げた。
そんな子ども達を見つめ、新太は塔に向かって一歩をふみだす。
もう二度とここには戻らない、そんな覚悟を込めながら――
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