遊ぼう
「もうお互い関わる必要もないからな。来月には出国するから会うこともない」
「日本を出るの?」
「もう日本には帰らないつもりだ。大学で海外の姉妹校と交流する授業があるんだが、それを通じて姉妹校からこちらに来ないかとずっと前から誘われてた。あっちの風土とか面白そうだから了承した。飯も上手いし物価も安い、美人も多い。ゆっくりセカンドライフを楽しむさ」
はじめて聞く笹木のユーモアに琴音は小さく笑い、自分も笹木の連絡先を削除した。見送りはいいと言われたのでVIPルームでの別れとなる。
結局信頼関係など築けなかったがそれはそれでいいと思っている。琴音と笹木は立場が違う。そこにかけてきた想いの長さも、どうしたかったかの目的も違っていた。それでも、あのギスギスした雰囲気がなくなっているのは琴音にとっては嬉しい事だ。
「正直、さっきの言葉が聞けるとは思ってなかった」
「私が今回の件に向き合って生きるって?」
「ああ。まだめそめそしてるかと思ってたけどな」
「してるよ、今でも」
微笑む琴音に、笹木は一瞬目を細めてじっと琴音の瞳を見つめた。琴音の瞳の中にある暗い闇のようなものを垣間見た気がしたのだ。見覚えがある、事件の事を調べていた時の自分と同じ顔をしている。
「……あのな」
「催眠療法は受けない」
なにかを言いかけた笹木の言葉を遮ってそう断言した琴音の表情は予想に反して穏やかだった。先ほどの闇を感じない、しっかりとした瞳。
「忘れることもできる、って言おうとしたんでしょ?」
「覚えてたか」
出会って二日目に言われた、記憶を忘れる方の治療。今の琴音には必要なのではないかと思ったがそれを遮ったという事は、琴音は自分で考え抜いてその選択肢を捨てたということがわかる。
「いいの。記憶をなくしても幸せになれなかったのは私が一番よくわかってる。だから、いい」
「本当にそうか?」
笹木の表情からは問いかけの真意は読めない。心配して言っている、というよりも最終確認をしているようだ。これ以上は本当に干渉しないという、最後の問い。
「いろいろ考えた。考えすぎて熱だしたくらい」
眉をハの字にして笑う琴音に、笹木もつられたように口元を緩める。
「ずっと不思議だった。何で残り一週間の時に急に思い出したんだろうって。オニワさんが村から出られないなら、村の外で見たオニワさんは完全に私の幻覚と記憶のリフレインでしょ。忘れたいはずなのに、何でって思ってた」
「答えは出たのか」
「たぶん思い出したかったんだよ、私。余計な人間関係切り離して、お金も増えて、それなりに自由な生活してると思うけど。でもね、本当に自由に生きてたのは間違いなくあの頃だったって思う」
――今日は何して遊ぶ? コッコは何がいい?
――え、えっとね。私、足遅いから、だるまさんが転んだ、がいいな
――よし、じゃあ今日はだるまさんが転んだをやるぜ! みんな止まる時のポーズは勇者戦隊な!
あははは、とみんなで笑った。何して遊ぶ、という話になると必ず全員やりたいことを自由に言っていた。性格の違いはあれど、皆が互いを尊重していた。大好きだったのだ、みんなの事が。人間関係が煩わしくて一人でいることを選んだはずなのに、いつも虚しさがあったのは寂しかったからだと今ならわかる。
「催眠療法で記憶をなくしても、きっといつか思い出す。それなら忘れる必要なんてない。今回の事を心の傷だって言うなら、この傷は私の物だよ」
琴音の言葉に笹木はしばし沈黙していたが、やがて穏やかにほほ笑んだ。だがその笑顔はなんだか泣きそうな顔にも見える。もう夜になっちゃうから帰ろうよ、と言った時の拓真の顔そっくりだ。
「君が自分でそう決めたなら、俺から言う事は何もない」
笹木はそのまま出口へと歩いて行った。じゃあ、とだけ言って振り返らずに店を出る。出会ったばかりの時と同じように。それを琴音は見送り、簡単に掃除をしてママにお礼を言うと店を出た。
多すぎる人の数が町に溢れている。スマホに夢中になりながら下を向いて歩く人をかわしながら最寄り駅へと歩いた。
ここは驚くほど時間が流れるのを早く感じる。以前何かで見たが、十代までは時間がとてつもなくゆっくり感じて二十歳をこした途端に早く感じるという。子供の頃はすべての経験が新鮮であらゆることに感動し、逐一考え、すべての情報を吸収する。大人になるといらない部分は切り捨て、同じ毎日を繰り返し、記憶に残らないものが多すぎる為時間を早く感じる。
きっと残りの人生もあっという間だ。その中で、ふと村に行きたくなる瞬間があるかもしれない。もしかしたら幸せの絶頂の時にとんでもない形で罰が返って来るかもしれない。それでも。
――コッコ、今日は何して遊ぶ?
いつも自分に聞いてくれた。だから自分で考えて選ぶこと、決定することができた。大人の言うことを聞いていればいい、というスタンスだったあの村や親と違って、年の近い子供が集まればちゃんと自分たちで考えて自由を手にしていた。感謝してもしきれないくらいだ。日和だけではない、拓真達全員に。
――ねえ、かくれんぼしようよ。私上手いよ、隠れるの
日和の声がする。これはいつの記憶だろうか? それとも日和がいるのだろうか? わからない。今後の人生で自分は日和に何をすれば償えるのか考えても考えても答えは出なかった。
琴音にできるのはいつだって日和に嘘をつかず正直に自分の気持ちを言う事くらいだ。今も遊ぼうと誘ってくれている。それなら今の気持ちを言おう。
「……ごめん、今日は遊べないんだ。また今度ね」
今はまだそっちには行けない。でも、きっといつかそっちに行くから。切ない思いが胸にこみあげる。例え食われるとしても、いつか。絶対に。
「そっか。じゃあ先に遊んでるね」
「え?」
はっきりと聞こえた日和の声。勢いよく振り返るが日和の姿はない。周囲を見渡してもどこにもいない。
――今のは、本当に幻聴? それとも……
さあ、っと風が吹いて琴音の髪や服を揺らす。すっかり残暑が抜けて涼しくなったはずの風がやけに生ぬるく感じた。あの時と同じ、神社を開けた時のように。
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