15話

 それから1年の月日が流れる──春樹がパソコン仕事をしていると、自分の部署の課長が横から「春樹君」と声を掛ける。

 

 春樹は立ち上がり課長の方に体を向けると「はい、何でしょうか?」


「ここの所、景気が悪くてね。この課を少ない人数で回そうと思っている。君には悪いが、しばらくの間、第二課の方に回ってくれないか?」

「今からでしょうか?」

「いや、午後からで良い」

「分かりました」

「仕事の内容は教育係の中村主任に聞いてくれ」

「はい……」


 課長は春樹の返事を聞くと、自分の席の方へと戻っていく。春樹は納得いかない様子で不安げな表情を浮かべ見送っていた。


 ※※※


 ──午後になり、春樹は第二課に向かった。すると30代ぐらいのオールバックの男性が春樹に近づいて「春樹君?」


「はい。よろしくお願いします」と、春樹が頭を下げるが、男性は冷ややかな目で春樹をジッとみるだけで返事をしなかった。


 男性は春樹に背を向けると「早速、やって貰いたいことがあるから付いてきて」と、素っ気なく言って歩き出す。


「あ、はい」


 春樹は慌てた様子で返事をしながら歩き出した。


「──春樹君ってさ、〇大だったよね?」

「はい、そうです」


 同じ会社とはいえ、関わりのなかった男性に、いきなり大学を聞かれ春樹は不思議に思ったようで眉を顰めた。


「ふーん……」

「あの……何か?」

「何でもないよ」

「そうですか……」


 ※※※


 男性は結局、名乗りはせず、ろくに説明もしないまま春樹に仕事を押し付けていた。春樹は休み時間に入ると周りの人から、男性は中村主任であることを教えて貰っていた。そして中村主任は自分より優れた人には厳しい事も……それを知った春樹は先行きが不安の様で終始、浮かない顔で仕事をしていた──。


 仕事から帰り、夕食を食べ終わった春樹は、自室へ向かう。部屋に入ると大きく「はぁ……しんどい」と、ため息をついた。


 そこへ春樹の携帯電話が鳴り、春樹はズボンのポケットから携帯を取り出すと、「はい」と電話に出た。


「あれ? いつもより声が低くない? 疲れたの?」と、電話をしてきたのは朱莉だった。


「良く分かったね」

「だって、私の電話の時はいつも明るく出てくれるじゃない?」

「そうなんだけどね……さすがに今日の出来事は疲れちゃった」

「どうしたの?」


 春樹は歩き出し、ベッドに座ると「実はね」と、今までの事も含め話し始めた──。


「あぁ……それは疲れるわ」

「でしょ?」


 朱莉は何やら考え事をしているのか返事をしなかった。少しして「──じゃあ転職したら?」


「え?」

「元の部署に戻れる感じではないんでしょ? だったら、辞めちゃいなよ」

「でも……」


 春樹は踏み切れない理由があるようで、歯切れが悪い言い方をして黙り込む。


「やりたい仕事でもあるの?」

「いや、まったく……」

「じゃあ、収入を気にしてるの? じゃあ、お父さんに頼んでまた恋愛相談所をやってみたら? それで転職するか、続けるか決めれば良いじゃない?」

「うーん……」


 朱莉は春樹が考え始めたのを察して、黙り込む──少しして口を開けると「ハル君。君はもう一人じゃないよ? 私が居るじゃない!」


 春樹はそれを聞いて、ようやく口を開け「ありがとう、考えてみるよ」


「うん」

「ところで何の用事だったの?」

「うぅん、大した用事じゃないの。ただ声が聞きたいな~……って思っただけだから」

「そう。俺もそう思っていたから、助かったよ」

「ふふ、良かった。じゃあ、おやすみなさい」

「うん、お休み」


 春樹は電話を切ると、ジッと携帯を見つめ「さて……どうするかね」と、呟く。春樹はまだ迷っているようだった。

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