12話

 数年後──春樹は無事に大学を卒業し、中小企業に就職する。その間、何人かの女の子に告白されるが、付き合う事は無かった。またいつかどこかで、朱莉に会えるかもしれない。そんな想いをまだ引き摺っているのかもしれない。


 春樹は毎日同じ繰り返しの日常に嫌気がさしているのか、疲れたような表情で会社に向かう電車を待っている。その時、黒色のスーツを着た女性が春樹の前を横切った。フワァッと、朱莉と同じ香水の匂いがしたからか、春樹はその女性に目を向けた。

 

 女性が突然、ピタッと足を止める。クルッと春樹の方へ体を向けると、「あ……」と、声を漏らした。


「え……」


 朱莉は目を丸くして、春樹を見つめる。春樹も目を丸くして、嘘だろ……こんなドラマや漫画みたいな事あるのか? と言いたげな表情をしていた。


「わぁ……春樹君!」と、朱莉はあの頃と変わらない可愛らしい笑顔で、春樹に近づく。


「朱莉さん! お久しぶりです」

「本当、久しぶりね! こんな所で出会うとは思わなかったから、ビックリしちゃった」

「俺もです!」

「──んんっ!」と、中年の男が咳払いをすると、春樹は辺りを見渡す。


 周りの人達は、二人が大声で話を始めたので、チラチラと迷惑そうな顔で見ていた。二人は会釈して、邪魔にならないように端に移動する──。


「えっと……春樹君、私があげた香水、まだ使ってくれてるんだ」

「え?」

「さっき通った時、微かに匂いがしたから」

「あぁ。はい、もちろん! あれは朱莉さんとの思い出の品なので、大事に使わせて頂いていますよ」


 朱莉は春樹の言葉に照れ臭くなったのか、髪を撫でながら「ありがとう……その匂い、一番好きな匂いなんだ」


 そして髪から手を離すと「ところで相談所の方は順調?」


「あ、いえ。そのこと何ですが、辞めちゃいました」

「え、何で?」

「こうして普通に女性と話せるようになりましたから」と、春樹は苦笑いを浮かべる。


 その様子から、嘘ではないが、肝心の朱莉が居なくなったからだと話せなくて、後ろめたさのようなものを感じているようだった。


「そう……残念ね」

「あ、でも。朱莉さんさえ良ければ、無料で相談に乗りますよ?」

「んー……」

 

 朱莉が口に指を当て、考えている仕草をすると、電車到着のアナウンスが聞こえてくる。


「あ、電車が来ちゃった! ごめんね。いまの話、考えておくから」と、朱莉は言って、春樹に向かって手を振ると、到着した電車の方へと行ってしまった。


「考えておく……か」


 それはまた、誰か好きな人が居る可能性があるという事。春樹は少しでも朱莉を繋ぎとめたくて、相談に乗ると言ったのだろうが、自分の言葉に後悔しているのか、複雑な表情を浮かべて朱莉を見送っていた。


 ※※※


 その日の夜。春樹は家に帰るとダイニングに入り「ただいま」と、声を掛ける。部屋には康夫しかおらず、誰かと携帯で電話をしていた。


「あ、はい。予約ですか」

「恋愛相談所の予約かな?」と、春樹はボソッと言って、邪魔にならない様に、静かに洗面所に向かって歩き出す。


「え、日曜ですか? えっと……少々、お待ちください」

「春樹」

「なに?」

「今度の日曜日、空いているか?」

「別に特に用事はないよ」

「じゃあ決まりな」と、康夫は言って、携帯を耳に付ける。


「おいおい、決まりッて何だよ」

「俺の代わりに相談所に行ってくれ」

「はぁ?」

「俺、その日に友達とゴルフなんだよ」

「まじか。どうせそんな事だろうとは思ったけど」

「だから頼むよ」

「分かったよ。仕方ないな」


 康夫は嬉しそうにニコッと笑顔を見せると、「あ、もしもし。私の代わりに息子に行かせます」


「ちぇ! 今週は家でのんびりゲームでもしようと思ったんだけどな」


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