【裏切られて不幸のどん底に落とされた気分だったけど、こんな結果に終わってくれるなら、人生捨てたもんじゃないと思える】

 それから一年の月日が流れる。


「えー、忙しいところ悪いが、皆あつまってくれるか?」と、康夫が所属する課の課長が職場の人に声を掛けていく。


「――皆、集まったかな? ちょっと急なお願いだが、急に注文が増えて今日、残業を二時間。二、三人していって欲しいのだが、誰か残れる人居るかな?」


 この職場は女性が多く、真奈以外は既婚者だった。急な残業が対応出来る人は少ない。男性陣は康夫を含め既婚者は居ないが、そのせいもあるのか残ってまで働こうという人は少なかった。結果、辺りはシーン……と静まり返り、誰も名乗りを上げなかった。


「誰も居ないのか?」と、課長はこの状況にイライラしたのか、少し強い口調でそういった。


「それじゃ……私がやります」


 その空気を察したのか、真っ先に真奈が声を上げる。


「おぉ、そうか。ありがとう。あと一人だけでも良い。誰か居ないか?」


 このまま黙り込んでいても仕事が遅れるだけだ。そう察したのか康夫は手をあげ「俺が残ります」


「これで決まりだな。それじゃ皆、戻って良いよ」


 職場の人たちが、安堵の表情を浮かべ、それぞれ持ち場に戻っていく――。


「高橋君、林さん。頼んだよ」

「はい!」

 

 ※※※


 終業時間となり職場の人たちが帰っていく――残っているのは手をあげた二人だけとなった。


「それじゃ、サッサと終わらせようか」

「はい」


 二人はまず、他の課で作った部品の受け入れ検査から始めた――。


「あ~……またこのピン、折れてる! 最近、第二課の品質、落ちていません?」と、真奈さんは言いながら、部品を不適合置き場に置く。


「それとなく言っておくよ」

「お願いしますね。それに第二課だけじゃなく、この課だって――」


 真奈は急に残業になった事が不満だったのか、いつになく愚痴をこぼし始める。仕事に慣れて来て、違う仕事も任されるようになったから、色々と不満に感じることがあるのだろう。康夫はそれを黙って聞いていた――。


「あ、愚痴ばかり言って、すみません」

「大丈夫、ストレス発散も必要だよ」

「ありがとうございます」

「だけど本人とかに言っちゃ駄目だよ」

「しませんよ~。私は人見知りですし、言うのは高橋さんだけです」

「え、俺だけ?」

「あ! な、なんでもないです」


 真奈はポロッと漏らした一言が恥ずかしかったのか、康夫から視線を逸らすように俯きながら、検査を再開する。そんな彼女の姿が可愛らしく思えたのか、康夫も照れくさそうに俯いていた。

 

 ※※※


 それから数日が経つ。結局、残業があった日は何もなく終わった。だけど康夫はあの日から、真奈の事を目で追うようになっていた。真奈の方も何だか様子が変わり、康夫にだけ積極的に話しかけてくるようになっていた。

 

「高橋さん! おはようございます」と、真奈は挨拶をしながら、遠慮深げに俺の腕にソッと手を当ててくる。


「おはよう」と康夫が返すと、円らの瞳を細めて、ニコッと嬉しそうに微笑んでいた。


 同姓でさえ見せた事のない仕草に、自分だけに向けられた愛情だと感じているのか、康夫は、ますます彼女に惹かれているようだった。

 

 ――そんな日々を過ごしていたある日こと、康夫は課長に呼ばれ会議室へと向かった。会議室のドアを開けると、課長は静かに一点を見据えて座っていた。


「失礼します」

「忙しいところ悪いね。向かいに座ってくれ」

「はい」


 康夫は返事をすると、向かい側に座る。


「話って何ですか?」

「――非常に言いにくい話なんだが」


 課長は本当に言い出しにくい様で、そう言って言葉を詰まらせる。シーン……と静まり返る会議室に、時計の音だけが鳴り響く。それが余計に康夫を緊張させているようだった。


「最近、うちの会社が落ち込んでいるのは知っているか?」

「はい」

「そうか……実はその……リストラの話が出ている」

「え……」


 その話を康夫にするという事は――。


「俺がその対象者に?」

「――あぁ」

「嘘だろ……」


 康夫は他の社員と比べて頭が良い方ではなく、力も他の男性に劣る社員だった。だが高校を卒業して、10年間。決められた休み以外は休むことなく働き続け、他部署を転々とさせられても、黙って働いていた。


 そんな中、必死にコミュニケーションを取って、会社に貢献をしてきた人物の一人である。それなのに、この結果で怒らない訳がない。康夫は奥歯を噛みしめ必死に怒りを抑えているようだった。


「君はまだ若い。それに独身だ。他の会社に行ってもやっていけるだろう。次も紹介するし、退職金も多く出るそうだ。考えておいてくれ」


 課長はスッと立ち上がり、そう言い残すと直ぐに会議室を出て行った。


「くそったれ!!」と、康夫の大声が会議室に響く。康夫は頭を抱え、必死に涙を堪えているようだった。


 ※※※

 

 それから何も返答せずに過ごしていると、康夫の仕事はどんどん減らされていた。康夫を辞めさせるためか、それとも本当に仕事が減っているのか、それは分からない。


 だけどもう康夫は精神的に限界のようで、自分の席に座っている課長の方へと歩き出す――。


「課長」

「何だい?」

「例の話を進めたいです。どうしたら良いですか?」

「そうか……分かった」

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