第38話 残っていた想い
≪片瀬SIDE≫
「うふふ。うふふふふ」
「どうしたんだい? そんな嬉しそうに笑って」
「うふふ。ちょっと今日は夢見が悪かったのだけど、この子を抱っこしてたらとても、とっても幸せな気分になったからよ」
自分の息子が腕の中でスヤスヤと眠り、リビングのソファーに座っている私の横には最愛の夫がいる。
それだけでなんて幸せなんだろうか。
「へ~。悪夢でも見たの? どんな夢だったんだい?」
「あらやだ、酷いわ。悪夢の内容を聞きたがるだなんて。でもいいわ。だって所詮夢ですもの」
「おやっ、教えてくれるの?」
「ええ。でも気分を悪くしないでね」
「する訳ないさ。ぼくから聞いたんだもの」
「ならいいわ。……あのね。あなたとこの子が私の前からいなくなる悪い夢よ」
「……夢、か」
「あなた?」
夫の不思議な反応に私は首を傾げてしまう。
この反応は一体……?
「君はそれを夢だと、そう思っているんだね?」
「ええ、当たり前でしょ? なにせここにあなたがいて、この腕の中にこの子がいるんですもの」
「……そうだね。ぼくにもその子を抱かせてもらってもいいかな?」
「もちろんよ」
私が独り占めする訳にもいかないからね。
でもすぐに返して欲しいわ。
そう思っていたのに、何故か夫は子供を抱きかかえて立ち上がると、背中を見せたまま話しかけて来た。
「ごめんな、美琴」
「あなた?」
何故急に謝りだすの?
「君を1人にしてしまって、本当にごめん……」
「ど、どうしたのあなた!?」
突然肩を震わせ、声もくぐもった声になり、まるで今にも泣きだしそうな様子の夫に、私は驚いてしまう。
「もう、分かっているんだろ?」
「な、何のこと?」
「君が今言った悪夢こそが現実で、今この時この場所こそが夢なんだ」
「何を言っているの?!」
ドキンっと心臓がはねて呼吸が苦しくなる。
分からない。あなたの言ってることが、
「今ここにいるぼくらは、幻に過ぎない。現実ではとっくの昔に死んでいて、もう君の前にはいないんだ」
「ふざけたこと言わないで! あなたもその子もここにいる。ここにいるじゃない!!」
いつの間にか振り出していた雨の音がうるさく感じる。
シトシトと優しい雨音のはずなのに、妙に部屋の中に響いてしょうがない。
「ああ。あとほんのわずかの奇跡だけどね」
「どういう、こと……?」
「ぼくらは君の中に残っていた残骸だった。本来であれば君の前に現れることなんて出来なかったけれど、気が付けば君と会える奇跡が起こっていたんだ」
「じゃ、じゃあ本当に、あなた……なの?」
震える声で問いかけると、夫はゆっくりと振り返り、私に微笑んでくれた。
「ああ。久しぶりだね美琴」
「あなた!」
間違いなくあの人だ。
夢でも幻でもない、本当の夫。
そしてなにより、夫の腕に抱えられている子供は本物の私の赤ちゃんだ。
ああ。ああ……やっと、やっと私は再び会う事が出来たのね。
私は2人を抱え込むように抱き着き、もう2度と離すものかと強く力を込める。
「ごめんな美琴。1人で寂しい思いをしただろう?」
「いいの。いいの! こうしてまた会えたのだもの。そんな事、もうどうだっていいわ!」
他の事もどうだっていい。
腕の中に夫がいて、すぐ目の前に私の赤ちゃんがいる。
私の赤ちゃんはこんなにも可愛らしい顔をしているのに、どうして似ても似つかない他の赤ちゃんに目移りしていたのかと思うほどだ。
「駄目だ、美琴。言っただろ? 今こうしてここにいられるのは、あとほんのわずかな間だけなんだ」
「嫌! 嫌よ! そんなの嫌! お願い、私を1人にしないで……。私もあなた達と一緒に連れていって……」
「ごめん、それは無理なんだ」
夫の輪郭がぼやけだし、部屋全体にはまるで水滴にでも当たったかのような模様が次々と浮かび上がってきた。
「もう……時間のようだね」
「そんな……。無理よ。あなたが、息子がいない現実に1人で生きるのなんて、到底無理よ……」
目からとめどなく涙が溢れ、絶望が私の心を埋め尽くしていくのを感じた。
2人のいない現実に戻るくらいなら、夢の中でずっと一緒にいたい。
あの頃のように幸せな日々にずっと浸っていたいのよ!
「美琴、ぼくらの分まで幸せに生きて欲しい。泣いてくれるほど想ってくれるのは嬉しいけど、ぼくらに縛られるせいで君が不幸に感じるくらいなら、いっそのことぼくらを忘れてくれないか?」
「出来る訳ないでしょ! 私は……私は……2人のいない現実なんて考えられないもの……」
泣きじゃくる私を見てしょうがないなとてでも言う様な顔で、夫はこちらを見ていた。
「ありがとな美琴。でも君が辛そうに生きるのはぼくらだって辛いんだ。君が現実でどれほど辛かったのかなんてぼくらには想像もつかないけど、せめて笑って生きて欲しい」
「えっ……?」
「見守る事すら出来ないぼくらだけど、もしもまた会えたらどんな風に生きていたか教えてくれないか?」
「……ずるいわ。そんな言い方、ずるいじゃない……」
そんな風に言われたら、次にまた会える時までちゃんとした生き方をしないといけないじゃない。
夫が、息子が、自慢の家族だって言えるよう生きないといけないわ。
「ごめんね。何度謝っても謝り足りないくらいだけど、でも最後にこれだけは言っておくね。
ぼくらを、泣くほど愛してくれてありがとう」
「だぁ!」
「うっ、あっあっ、うわああぁぁ」
世界は光に包まれて消えていき、2人もその光に呑まれていってしまう。
最後に見えた2人の笑顔が、私の心に深く刻み込まれた。
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