第3話
だから「なんか、無理」な、心が死にそうな時にあれこれ言っても無理なのだ。
今日は朝から部屋にこもって、多分ずっとゲームをしているのだろう。でもゲームに逃げているのではなく、ゲームに救われている。その感覚を一番よく知っているのは、私だ。
「そうか、ひとまず元気ならいい。俺は詳しくないし任せるよ。金が必要なら、またメールで金額入れといて」
「ちゃんと相談したいんだけど」
「今日明日には無理だよ。この電話も嘘ついて抜けてしてるくらいなのに……ああ、ごめん、もう無理だ。じゃあ」
どこをどう切り取ったら、『ひとまず元気』になるんだ。
項垂れてソファに寝転がり、長い溜め息をついた。まあそれでも『また学校行かなくなった』と一報を入れれば慌てて電話をかけてくる程度には、気に掛けているのだろう。少し、安心はした。
――そんなの、養育費払ってくれるだけで感謝しないと! 今って、養育費払わない男が多いんだよ?
いつだったか、同じアパートの人になんとなく話したら説教されて後悔した。
離婚理由は、割とよくあるものだろう。「妻が子供に掛かりきりで寂しくて魔が差した結果の浮気」だ。ただ我が家の場合は「(不登校の)子供」だった。
直哉が一度目の不登校になったのは中一の四月、本人曰くこれといった理由はないらしい。ただ漠然と「なんか、無理」と思ったらもうだめになってしまった、と言った。
両親を反面教師にして、将来を限定するような期待は掛けなかった。基本的には自由に好きなことをのびのびとさせてきたし、夫にはそれを叶えてくれそうな相手を選んだつもりだった。
だから目に見えた理由もないのに、私と同じ「なんか、無理」が発動するなんて思いもしなかった。一度目は狼狽え、混乱して、因果応報だと凹んだ。
でも考えてみれば、因果応報なら直哉にとってはひどい話でしかない。何もしていない直哉がなぜ私の罪を……だめだ、こういうのを考えると長くなる上に終わりがない。
一息ついてソファから起き上がり、書斎へ向かう。
両親の教育には確かに偏りはあったが、全てを恨んでいるわけではない。大切な一人娘に「できる限り良いものを与え、より上を目指すよう育てたい」と願うのは大それたことではないし、受験人生を歩み続けて大人になった国民はごまんといる。
首を回しつつ椅子に座り、パソコンへ向かう。回復の過程で私が手に入れた武器は、小説だった。自動車学校へ向かう電車の中でいつものように小説を読んでいた時、ふと自分にも書けるような気がしたのだ。
勢いのまま書き始め、初めての原稿を応募したのは二十五歳の時。近くのスーパーで惣菜を作るアルバイトを週一で始めていた頃だ。それから三年か、送り続けた小説が運良く評価されたのは、一緒に働いていた先輩がオープンしたカフェのスタッフになった頃だった。
三歳年上の清一郎と会ったのは二十九歳、一冊目の書籍を出版したあとだった。父の部下で検察官の割に……は失礼か、鷹揚な性格で尊大なところがなかった。
――一単位も取らなかったの? すごいなあ、徹底してるね。
まさか感心されるとは思わなくて驚いたが、そんな人だから父も家に連れてきたのだろう。まあ「そんな人だから」、上司の娘と結婚していながら浮気もできたのだろうが。
それはともかく、以来粛々と書き続けて、受賞から二十年近く経つ今もどうにか(本当にどうにかだが)生活を維持できている。離婚する時も、この武器のおかげでためらわなかった。ためらうべきだったのかもしれないが。
でもこの武器は、私が一人で作ったものではない。素材を集めて下地を作ってくれたのは、両親の教育だ。走り始めれば、自ずと分かってしまう。私の文才は、決して天賦のものではなかった。
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