第2話 かつての記憶

 宇宙世紀に転生する前の人格、田原総一郎としての人格について、否、私自身についてお話ししなければなりません。

 私は人類がおかした旧世紀最大の罪である、第二次世界大戦の最中に生を受けました。この戦争の始まりを日本の視点から厳密に定義する事は難しいでしょう。この戦争の終結、すなわちポツダム宣言の受諾、1945年の8月15日の当時、私は11歳でした。

 この時代、私たち日本人は今日のジオンの若者のように、死を当たり前のものとして受け入れ、戦争によって死ぬ事を最大の名誉としていました。11歳の子供がそのような事を考えるなど、今の地球でも、比較的裕福な地球近隣のコロニーでも考えられない事でしょう。しかし、私が育った当時に日本ではこれが当たり前でした。今の子供たちがアムロやカミーユを英雄視するのとは比べ物にならないくらい、戦争で戦い、名誉の中で死ぬ事は誰もがみな憧れたのです。

 戦争が終わり、私達の世界は一変したのです。昨日まで、「鬼畜米英」という宇宙世紀の教育では信じられないような言葉でアメリカへ対する敵対心を掻き立てらた私達は、ある日突然、教科書の中の愛国的な記述を教師の指示によって自ら黒塗りにしました。

 昨日まで、石油エンジンによる動力と空気による滑空だけを頼りにする飛行機相手に、竹を斜めに切ったまるで原始人のような武器で戦う事を教育された私達は、軍国的な事は一切禁止すると言う名目の元、空手やら剣道やら柔道だと言った物も禁止されたのです。

 宇宙黎明期のジオンにおいて、コロニーの未発達の安全性と経済的不安定から空気や水すらも厳密な管理を余儀なくされ、多発する事故によって失われる命の儚さから「死」を見つめる言論が支配的になった事も、私からみればその実感をよく理解できます。人は僅かなきっかけさえあれば、戦いに命を捨てる事など容易にできるのです。「軟弱者」である私がこういう事を言うのはセイラさんには意外に思えたかも知れません。しかし私が「軟弱者」であろとしたのは「死」を当たり前の物として受け止めた事があるからこそ、そしてその植え付けられた価値観が一夜にして覆った経験を持つからこそ、その無意味さを感情として身につまされていいたからでした。

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