その七 宣戦布告の墓参り
太宰治賞に二回ほど応募した。
街を歩きながら感じる悪意を数取器でカウントして、それが100になったら無差別殺人を決行しようとする男の物語。
太宰治の小説が好きで、自分の暗部をさらけ出すような作品で錯覚デビューするならこの賞が良いとずっと思っていた。
原稿用紙を規定どおりに応募したら、三鷹の下連雀にある太宰治の墓に墓参りに行く。
昼間から缶チューハイを片手にアパートを出て、ジブリ美術館が井の頭公園の緑の中へ潜り、玉川上水に沿って三鷹駅の方へ向かう。
『風の散歩道』と呼ばれる、閑静な住宅街と石畳が玉川上水を挟む通りに出ると、そこにぽつんと小さな石碑がある。
太宰治が恋人と一緒に入水自殺をした場所だ。
太宰が入水自殺した頃とは風景も状況もまったく違う事は分かっている。
ただそこにある川幅の狭い玉川上水の、ちろちろと水が流れるばかりの浅い川底を見ていると、「こんな川で溺れ死ぬんだから、太宰はよっぽどダメな人間だったんだなぁ」と可笑しくなり、「オレの方がまだマシだ」と蔑んでみたりもする。
僕はそう思わせてくれる太宰の人間としての軟弱さに好感を持っていて、太宰の作品に触れる度に、自分自身の軟弱な人間性を肯定し、安心する。
そして作品の余韻から我に返ると、大勢の人に愛される優れた文学を遺した小説家である事に対する猛烈な嫉妬を感じ、この場所での自殺も、太宰の文学を盛り上げるためのパフォーマンスであるなら「軟弱どころか、芸術のために命さえ捨てられる大層肝の据わった男だ」、と太宰を畏れた。
墓参りへはそんな太宰への宣戦布告のつもりで行っていた。
飲み切った缶チューハイを墓前に供えて手を合わせ、
「天国でオレの小説を読んで、面白かったら賞をください」
と、懇願する。
墓参りの帰りにそんな心境が突然詩になって降りてきた。
タイトルは『徒花』
のらりくらりと足引きずって
宣戦布告の墓参り
酒は持参せん
だってあんたは自分は人間失格だなんて
才能あるのに謙遜しなさるでしょう
酒に溺れたふりをして
また陽気に川に飛び込むでしょう
今日玉川には一輪の花が可憐に咲いていましたよ
愛でられるのを怖れるように
ひっそりぽつねんと咲いていましたよ
太宰に向けたこの詩が商業出版されている紙媒体に載った。
僕の実力と成果はそこまで。
でもそれすらどこか太宰の力を借りたような気がして、僕は結局東京で何者にもなれず、のうのうと生きて負けた。
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