トランク

あべせい

トランク



 

 ファミリーレストランの昼時。

 ふと見ると、混雑している通路を行ったり来たり……。風采の上がらない中年男だ。

 ウエイトレスの那未は邪魔なヤツだと思うが……。

「お客さま、お連れさまをお探しでしょうか?」

 男は聞こえなかったのか、那未を無視したまま、相変わらずテーブルの間の通路をうろうろしている。

 那未はカチンッときて、男の前方に回り込み、彼の進路をふさいだ。

「ヌュッ」

 男は息を飲んだような声を発して立ち止まると、目の前の那未を見つめた。

 那未は、天然パーマで腹の突き出た男の顔を見た。

 なぜか懐かしい気持ちがする。亡くなった父もお腹が出ていた。

「お客さま、何か、お探しでしょうか? お手伝いいたしますが……」

「ぼ、ぼくは……」

 男は口ベタなのか。はっきりしたことが言えないようす。

 忘れ物を取りに戻ってきた客ではない。那未はひとの顔を覚えるのが不得手だが、男は初めてみる顔のようだった。

「お席をお探しでしたら、このように満席でございます。あちらでお名前を書いてお待ちください」

 那未はそう言って、出入口付近にあるベンチを示した。

 すると、

「ぼくは一昨日、この店に来たンだ。そのとき一緒だった彼女が、きょうこの時間、ここにいるから、って言うから……」

 アッ……。

 那未は声にこそ出さなかったが、思い出した。この男だ! しかし、いまは忙しい。相手をしている暇がない。どうするか……そうだ。

「お客さま。とうぞ、こちらにおいでください」

 那未はそう言って、レジの並びにあり、入り口から最も近い、カウンター席に男を案内した。

 カウンター席にはひとり分の空席があり、那未は前もって待ち客のなかに一人客がいないことを確かめてから、男をその空いたカウンター席に座らせた。

 一昨日、こんなことがあった。その日遅番だった那未が、午後3時に出勤すると、従業員が行ったり来たりして、どうも落ち着きがない。

 お客は4、5組なのにどうして? 厨房の裏手の狭い事務所に行くと、店長が机に肘をついて首をひねっている。

 そばで休憩をとっていた同僚の渚に目顔で尋ねると、

「お金が足りないンです、って」

 と、不安顔で言う。

「いくら?」

「1万円。ちょうど1万円だって……」

 そのとき、

「そうだ、やつダ!」

 店長がハッとしたように叫んだ。

 那未は、嫌いでもない店長なので、

「どうされました店長、何かトラブルですか?」

 店長のそばに行って、そのあまいマスクを覗きこむようにして尋ねる。

「あの年の差カップルだ。女の手つきがおかしいとは思ったンだが、忙しくてつい、女の言う通りに渡してしまった」

 すると、渚も、

「そうだわ。わたしも覚えている。あのときレジを通りかかったもの……」

 渚によると、20代の若い女がレジに来て勘定をするとき、2千円余りの支払いに、男ものの財布から1万円札を出した。若い女の後ろに連れの天然パーマ、メタボ腹の男がくっついていたという。

 そのときレジにいた店長は、「1万円をお預かりします」と言って、その札をレジの中の万札だけを重ねて収めるボックスに入れたあと、レジの液晶表示を見て釣り銭を数えた。と、いきなり、

「アッ、ごめんなさい。いまの一万円札、こっちに戻してッ!」

 と、女が鋭く言った。

「エッ、どうされました?」

 店長は戸惑い、女の顔を見た。幼い、かわいい顔だ。しかし、眉に険がある。

「いまの1万円札は支払い用にとってあったの。2枚重なっているのヨ。ちょっとかしてみて」

 店長は言われるまま、レジに入れたばかりの1万円札を取り出す。すると、女が言った通り、もう1枚、万札が下にくっ付いている。

「そォ、それ。くっ付いているでしょ。2万円の支払いがあるから、別にしておいたの。そのお札は出せないわ。こっちの1万円を出すから」

 と言って店長の手から1万円札、余分に1万円札が付いていたから2万円をひったくるようにして取り戻すと、財布から別の1万円札を出して支払いをすませた。

「新手の釣り銭詐欺だ!」

 店長はくやしそうに天井を仰いだ。

 店長の説明はこうだ。

 女が最初に出した1万円札には、裏側に糊か両面テープがくっつけてあり、店長がその札をレジに入れた途端、積み重なっている万札の一番上の札を磁石のようにくっつけたに違いない。すなわち、万札で万札を釣り上げ、それに気がつかずに店長は、女にその1万円札を返してしまったのだ。

「渚ちゃん、あのカップル、うちにきたことがあるかな?」

「女は初めてですが、男のほうは前に1度きています」

「だったら、次ぎに来たらわかるよね?」

「ハイッ」

 渚は自信ありげに返事した。

「那未ちゃん、覚えていない。1週間ほど前、一緒に来た若い女の子にグラスの水をぶっかけられて、泣きべそをかいていた天然パーマのメタボ腹男がいたでしょ」

 那未はすぐに思い出した。

「いた、いた。あの男と一緒に来た女が詐欺をしたの?」

 すると、店長が決意を秘めて立ちあがった。

「おれはこれから警察に行ってくる。あんなヤツらを放っておいたら、業界が迷惑するからな」

 

 きょう、あの詐欺女の相棒が店にきたのだ。メタボ腹をこのまま返すわけにはいかない。

 店長は遅番だから、あと2時間たたないとやって来ない。警察に連絡するか。那未は、カウンター席でメニューを見ているメタボ男を睨みながら考えた。

 そのときだった。

「お待たせッ」

 いきなり現れた女が、メタボの背中を勢いよく叩いてそう言った。

 1週間ほど前、メタボにグラスの水をぶっかけた女だ。釣り銭詐欺を働いた女ではない。

 しかし、……。裏でつながっている可能性は否定できない。

 女はメタボの耳元に口を近付け、何かささやいた。メタボが腰をあげる。これはマズい。那未は、急いで2人のそばに駆け寄ると、

「どうぞ、お席がご用意できました。当店で、いちばん快適なお席です」

 那未は、その直前、奥の窓際の、4人掛けのテーブル席のお客が立ちあがったのを目の端でとらえていた。

 本来は、テーブルの汚れた食器を片付け、メニューなどを整理してからでないと別の客は案内しないが、この際そんなことは言ってらンない。メタボをここで見失ったら、店長に申し訳が立たない。

「どうぞ、どうぞ。ご新規2名さま、ご案ナーイ!」

 那未はそう大声を出して、戸惑っている2人を奥のテーブルに誘導した。


「この前、聞かなかったけど、あなた、名前は?」

「清太郎、佐伯清太郎です」

 奥のテーブルで、メタボと連れの女が話している。

 食事を終え、2人のテーブルにはコーヒーと紅茶、チョコレートパフェが2つ載っている。

「だから、病院に電話をかけてきたら困るンよ」

「すいません」

「すいませんじゃ、ないわ。あの子……」

「あの子って、千寿(ちず)さんですか?」

「そう、千寿。千寿はナースセンターでも評判がいいの。入院していた元患者さんから電話があったりしたら、つきあっていると思われるでしょ。そうしたら、看護しているとき、患者さんと何をしていたということになっちゃうでしょ」

「でも、ぼくは千寿さんとつきあっています。つきあいたいと思っています……」

「そんなの知らないわよ。そういうことは千寿に直接言って。とにかく、今後病院には絶対連絡しないこと。いいィ?」

「でも、千寿さんにどうしたら会えるか、ほかに連絡方法を知らないンです」

「千寿に聞けばいいでしょ。あの子だって、スマホは持っているから……」

「電話番号を教えてもらっていません。住所も何も……」

「あなた、どうして千寿に会いたいの?」

「財布を返して欲しいから」

「千寿は言ってたわよ。あの財布は、デート代にもらったって。そうなンでしょ」

「欲しいっていうから、あげましたが、家に帰ってから、あの財布は死んだお袋が買ってくれたものだって、思い出したンです。だから、返して欲しい。中のお金はいいですから」

「それを早く言いなさいよ。空でいいのだったら、きょう持ってくるンだったわ。バッカみたい……」

「千寿さんは、お元気ですか?」

「元気よ。きょうも、患者さんのお世話をしているわ。わたしは夜勤明けだから。千寿に頼まれてきたの。だから、本当は眠いの。あーあ」

 女は大きな欠伸をした。

「あなた、お坊ちゃんだって? お父さんがタクシー会社をやっている、って?」

「ぼくが跡継ぎです。それでいま、タクシー運転の勉強をしています」

「運転免許はあるの?」

「2種の試験は難しいンです。なかなか受からなくて……」

「車はなに乗ってるの?」

「カマロ……」

「カマロッ! 乗りたいッ」

「お乗せしましょうか?」

「どこにあるの?」

「ここの駐車場にとめてあります」

「じゃ、ドライブしようか。箱根がいいわ」

「でも、千寿さんに悪いです」

「どうしてヨッ。千寿はあなたのこと、愛してないわよ」

「本当ですか。ぼくのこと、大好きだって。だから、財布をあげたンです……」

「あげたンじゃなくて、最初はデートの支払い用に預けただけでしょ。千寿はそう言ってたわよ。別れるとき、中身がほとんどないから、もらったって……」

「まだ3万円余り、残っていました」

「あなた、お金の勘定だけはしっかりしているみたいね」

「タクシー会社の跡継ぎですから……」

「まァいいわ。とにかくこれだけは約束して」

「何ですか?」

「千寿には連絡しないこと。話があるときは、千寿のほうから連絡するそうだから……」

「三咲さん」

 初めて名前を呼ばれ、三咲は妙な感覚をもった。

「あなた、どうしてわたしの名前を知っているの。まだ教えていないのに……」

「千寿さんが言ってました。『うちのナースセンターに、三咲という困った子がいる』って。『すぐに他人のものを欲しがる』って……」

「! いいわよ。千寿がその気なら、わたしにも覚悟があるから」

「ぼくは、千寿さんには、もう会いません」

「エッ、平気なの。あの子と別れるつもり?」

「千寿さんは怖いひとです。この店のレジで、1万円札を釣り上げるところを見せられました」

「釣り上げる!? なんのこと?」

「いや、いいンです。あんなことをしていたら、近いうちに捕まります。千寿さんに、そう伝えておいてください」

「千寿がまたやったみたいね。あの子、お金が大好きだから、見境がないの。もうすぐ病院もやめさせられるみたいだから、いいンじゃない」

「そうですか。三咲さんは、千寿さんのおともだちでしょう? そんなこと、言っていいンですか?」

「千寿だって、わたしのこと、悪く言ってるンだから、おあいこよ。ねェ、早く箱根に行こう。カマロがわたしを待っているわ」

「そうですね。そうしますか」

 2人は席を立った。那未は2人の挙動の一部始終を、ドリンクバーの陰から見ていた。

 そして、壁の掛け時計の針をジリジリとした気持ちで眺めている。遅いのだ。間に合うか。

 メタボこと佐伯清太郎は、レジの前に行くと、真新しい財布を三咲の手の上にポイと乗せた。これが彼流の、女の口説き方のようだ。三咲はその財布を当然のように開き、勘定をすませる。

 そのとき、那未の目が輝いた。

「店長!」

 外から入ってきた店長の添田は、ドア越しに那未のジェスチャーを見て、清太郎を認めた。あいつ、あの男だ。

 添田は、勢いよくドアを開け、ドアに向かって歩いてくる清太郎の前に立ち塞がった。

 外でパトカーのサイレンが鳴り響き、近付いてきたかと思うと、すぐに鳴り止んだ。

「店長ッ、後ろ。警察です!」

 那未が叫ぶより早く、出動服を来た4人の警官がドカドカと店内に入って来た。

 添田は振り返って事態を察すると、

「この男です。詐欺女の片割れはッ!」

 と叫び、清太郎を強く指差した。


 1週間があわただしく過ぎた。

 カマロが高速道路を軽快に走る。ハンドルを握るのは、メタボの清太郎。助手席には、渚の姿が……。

「清ちゃん、どこに行くの?」

 渚が真新しい男物の財布をいじりながら聞いている。

「とりあえず、御殿場の別荘です」

「別荘があるの? お金持ちって、いいわね。わたし、お金持ち、大好き」

「ぼくとつきあってくれる子は、みんなそう言います」

「そォ、みんなね。わたし、3千万円欲しいなァ……」

「何に使うンですか?」

「商店街で小さな食堂をやるの。ハンバーグが自慢のお店……」

「3千万円で出来るのですか。ぼくなら、すぐに始められる」

「でも、お金持ちって、お金を出したがらない、っていうわよ。自分のためには出すけど……」

「ぼくは10万円や20万円はお金と思っていません」

「この財布には、10万と少しあるみたいね」

「千寿さんや三咲さんも、ぼくのことより、お金が大好きでした」

「千寿ってひとは、いま警察でしょ。あなたは共犯じゃないって証明されたンでしょ。三咲ってひとは?……」

「あの方も別の警察にいます。ぼくの財布から、黙ってお札を抜き取っていたから……」

 財布をいじっていた渚の手が、ピタッと止まる。

「あなた、警察に告訴したの!」

「盗難被害から身を守るのは、国民の権利であり義務ですから」

 渚、財布をそっと、ダッシュボードに戻す。

「でも、那未さんだけは違った……」

「エッ、あなた、那未ちゃんともつきあっていたの?」

「いいえ、まだです。『結婚を前提に、交際してください』って、お店の紙ナプキンに書いて、手渡したンです」

「いつ、いつ、いつヨッオ!」

「昨日、ご覧になっていませんでしたか?」

「知らないわ。那未ちゃん、何も言わないし……」

「でも、全く無視されました……だから、そのあと、渚さんをお誘いしたンです」

「わたしは那未ちゃんのお代わりなの?」

「そんな失礼なこと……」

「どういうこと?……」

「那未さんに尋ねました。『好きな方がおられるンでしょう? どなたですか?』って」

「那未ちゃん、答えたの? 心を許していない男性に対して、そういうことに正直に答える女はいないわ」

「でも、答えざるを得ない状況に置かれたら……」

「エッ……」

 不安そうな渚の表情に、初めて脅えが加わる。

「那未さんは添田の名前を出しました。どうして、あの男なンですか!」

 清太郎が初めて強い調子で叫ぶように言った。

「あの男は店長ですよ。どこにでもあるファミレスの。どこがいいンですかッ!」

「添田店長は、独身、スリム、イケメン、温厚……」

「そりゃ、ぼくはお腹が出ています。頭は天然パーマ。顔だって、初対面のひとは思わず吹き出すくらい、おもしろい……でも、みんな生まれつき。親のせいです。ぼくにはどうしようもないことばかりです」

 渚は清太郎の緊張している顔を、横からこっそり覗きながら、小声で、

「メタボはご両親のせいじゃないと思うけど……」

「この体は遺伝なンですッ! 佐伯家代々の体型なンです。ウソだと思うなら、ご先祖さまの写真をお見せします。ぼくは1年前から拳法を習って体を鍛えています。でも、やはりこの体型は変わらない」

「ごめんなさい」

「そりゃ、あの男は、カッコいい。でも、貧乏人ですよ。お金のない男に値打ちがありますか? 渚さん、どうなンですか!」

「わたしも貧乏男は嫌い。いままでさんざん失敗してきた。金のない男は、首のないのも同じ。肝腎なとき、何の役にも立たないもの。だから、わたし、あなたの誘いを断らなかったじゃない」

「あなたは賢明です。だから、立会人にお願いしているンです」

「立会人!? どういうこと?」

「行けばわかります」

「別荘に行けば、わかるの?」

「何度も言わせないでくださいッ!」

 清太郎が突然沸騰するように激昂した。

 渚はビクっとして押し黙る。この男を怒らせたら、タイヘンなことになる。渚には、そんな予感があった。


 カマロは、富士山麓の、林に囲まれた一軒のログハウスに到着した。

「さァ、降りてください。ぼくを無視したら、どういうことになるか。いまからご覧にいれます」

 渚は考えていた。この男は異常者だ。早くこの男の身辺から逃げる必要がある。そのためには、この男を先に降ろして、このカマロを運転して逃げる以外に方法はない。

「ちょっと待ってくれる。わたし、きょう、アレになっちゃったの……だから、いろいろ仕度しなくちゃ……」

 渚はシートに腰掛けたまま、恥ずかしそうに清太郎を見つめる。清太郎は女の生理機能に無頓着だ。知識に乏しい。

「わかったよ。外で待っている」

 清太郎はドアを開けて車から出ると、5メートルほど離れて煙草を取り出す。

「もっと、離れて。恥ずかしいから。もっともっとよ……」

 清太郎は仕方なさそうに、ログハウスに行き、ドアを開けた。

 渚はそれを見て、助手席を出ると運転席に移り、ハンドルを握った。

 外車の運転は初めてだ。しかし、ノークラッチ。なんとか、なるだろう。

 と、清太郎が顔色を変え、カマロに駆けて来た。

 渚は急いでギアをバックに入れ、アクセルを踏み込む。しかし、車は動かない。当然だ。清太郎は車から出る際、こっそりシフトレバーにロックをかけていた。渚はバックギアに入れたつもりだったが、入っていなかった。いくらアクセルを踏み込んでも空ぶかし状態だ。

「どうしてよ。肝腎のときに役に立たない。あんたも貧乏人かッ!」

 エンジン音は大きく聞こえるが、車は動かない。

「ドケッ、どくンだ!」

 清太郎が運転席のドアを開けようとする。しかし、渚がすでに中からドアロックしている。

 清太郎が突然、後ろ向きに倒れた。

 添田がヌッと現れた。手に割り木を握り締めている。添田の背後には、青ざめた那未の姿があった。


 カマロが都心に向けて高速道路を疾駆している。

ハンドルを握っているのは添田だ。助手席には那未、後部座席に渚がいる。

「那未ちゃん、どういうことか、ちゃんと説明してよ」

 渚は後ろから身を乗り出して、那未に尋ねている。

「わたし、あのメタボに騙されたの。今朝、お店に出勤したら、駐車場にメタボがいて、『店長がケガをして病院にいます。あなたに来て欲しい、って言っておられます。ぼくがお送りするように頼まれています』なんて言うから、このカマロに乗ったの。そして、ここまで来た。そうしたら、店長が結束バンドで手足を固定されて、ログハウスの暖炉のそばにいたの。わたしも勿論、結束バンドで手を縛られて、中に連れこまれたわ」

 添田が運転しながら、話を引き継いだ。

「あの男はぼくたちをここに連れて来ても、そのあとの計画は立てていなかった。どうしたものか、考えている風だったから、『キミのやっていることは犯罪だ。いまなら何もなかったことに出来る。早く、解放しろ』と言ってやった。しかし、あの男は……」

 清太郎は次のように答えた。

「ぼくを無視した那未さんは許せない。おまえのほうがいいという言葉はもっと許せない。このぼくの気持ちはどうなる。どうすれば、解消される」

「そんなの簡単よ」

 那未が割り込んだ。

 清太郎は那未を見つめる。

「あなた、店長と戦いなさい。一対一の男の勝負。ただし、証人が必要よ。わたしは店長の味方だから、証人にはふさわしくない。お店の渚ちゃんなら、公平な立場で見てくれるわ」

 添田はアスレチックジムで体を鍛えている。清太郎も、メタボの体型を変えようと、少林寺拳法を習っている。勝負は、武術を習っている清太郎のほうが明らかに有利だ。清太郎は承知した。

「それだけ?」

 渚はガッカリした。

 その程度の話で、清太郎は都心に引き返し、渚を連れて別荘に戻ったというのか。能天気な男だ。

 清太郎がいなくなったあと、添田と那未は力を合わせ、手足の結束バンドを切った。あとは、カマロが戻ってくるのを待つだけだった。

 いま清太郎は、カマロのトランクに入っている。このまま警察に行き、監禁罪で突き出すだけだ。

 さきほどから、トランクがドンドンと音を立てている。清太郎だ。拳法で鍛えた拳で、中からトランクの内側に突きを入れているのだろう。カマロの鉄板が突き破れるとでも思っているのだろうか。

 那未が添田に尋ねる。

「店長、メタボの手足は縛ったンでしょう?」

「ログハウスにあった結束バンドでね。ぼくたちも縛られたやつだ。でも、あの結束バンドは、彼は気がついていなかったけれど、繰り返し使えるバンドだから、ちょっと工夫すれば、簡単に外せる。彼も気がついたかも知れないが……」

「だったら、出てくるかしら?」

 渚が脅えた声で言う。

「わたし、知らないわよ。あのメタボはそんなワルじゃない。許してあげたら? いまだったら、メタボも改心すると思うわ」

 那未が添田と顔を見合わせた。

 清太郎は、那未と添田の手足を結束バンドで拘束して、別荘に監禁した。しかし、そのバンドは、清太郎が承知していたのか、そうでなかったのかは不明だが、繰り返し使用できる結束バンドだったから、那未と添田は簡単に拘束を解くことが出来た。清太郎の監禁罪は成立するだろうか。

「店長、どうします?」

「ウーン」

 ハンドルを握りながら、添田は考え込む。

「店長、彼はお金を持っていますよ。お金で許してあげたら?」

 と、渚が言った。

 すると、「ゴン、ゴン」とトランクをたたく音が2度した。

「店長、清ちゃんが返事しています。ここの会話がトランクの中まで聞こえているンですよ」

「ホント?」

 那未が信じられないという表情をしてから、

「罪滅ぼしに、一人につき、10万円づつ出してくれるかしら?」

 とつぶやくように言った。

 すると、「ゴン、ゴン!」と再び、トランクを叩く音が強く響いた。

「だめよ。10万円なんて、安過ぎるわ」

 渚だ。渚には不満のようだ。

「一人につき3千万円はもらわないと。店長がやったことは、刑務所に入れられる立派な犯罪よ」

 すると、トランクから、音が聞こえなくなった。

                  (了)

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トランク あべせい @abesei

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