第十二話 珠莉

 僕と紗羅の付き合いは小学校中学年からだった。彼女の事をあまり知らないとは言え、彼女の口から姉の事はよく聞いていた。名前は珠莉と言った。僕は一人っ子だったから、姉が居ることが羨ましくもあったが、紗羅の場合はそうでも無さそうだった。紗羅から姉の事を聞くときは、いつも愚痴ばかりだった。紗羅は、小さい頃から小説や漫画ばかり読んでいる内向的な性格であったが、珠莉は、その真逆であった。外交的で友達も多く、頭もそれなりに良かったようだ。どちらかと言えば、要領が良いタイプだった。そんな姉妹は、両親からもよく比較されたようで、出来の良い姉に対して、何で妹はこんなにも閉鎖的で、頭が良くないのか、と。僕は紗羅から聞くのがこんな愚痴ばかりであった。自分は小説家になって、両親や姉を見返してやる、というのがいつもの締めくくりの口癖だった。


 パチパチパチパチと、キーボードをタイプする音が聞こえる。僕は気が付くと、部屋の中に居た。椅子に誰かが座っている。シャラかと思ったが、それは紛れもない紗羅であった。僕は現実の世界に戻ってきたと思って、紗羅に声を掛けようとした。しかし、自分の手も体も透けており、物に触れることが出来ないことから、自分が紗羅の記憶の中に入ってきたんだということを思い出した。部屋を見渡すと、ここは紗羅の下宿先の部屋ではなく、実家の方の部屋であることに気付いた。数えるほどだが、紗羅の部屋にも来たことがあったので、覚えていた。紗羅は僕の事に気付きもせず(記憶の中なのだから、当たり前だが)、一心不乱に何かを書いている。どうやら、小説なのだろうか。紗羅は今の姿とそう変わらなかったので、大学の休暇の時に実家に帰ってた時の記憶なのであろう。


 と、その時、コンコンコンと、部屋をノックする音が聞こえた。

「入るよー」という女の人の声が聞こえて、紗羅はバタンと勢いよく、タイプしていたパソコンを閉じた。

「あ。おかえり。お姉ちゃん」

 紗羅は平然とした顔で、姉を出迎えた。僕は紗羅の姉である珠莉を見た。昔、これも数少ない紗羅の家への訪問の際に、見かけただけであったが、紗羅には申し訳ないが、綺麗な顔立ちのお姉さんだなあという印象があった。それは、僕の昔の記憶だったが、今、大人になった珠莉を見ると、更にその美しさに拍車が掛かったようであった。もう働いているのであろう、ブランド物の高そうな服を着て、いかにもバリバリ働くキャリアウーマンという感じであった。


「なになにー?今、パソコン開いてたでしょ?なんか見てたの?」

「お姉ちゃんには関係ないよ」

 紗羅は冷たくあしらった。

「そんな事、言わないで教えてよー。話題の韓国ドラマ?アニメ?あんた、アニメの方が好きだったよね。あ。分かった!彼氏とテレビ電話してたんでしょ?」

「違うよっ!用が無いなら出てってよ」

「ケチ。教えてよー」

 そう言えば、紗羅は自分が小説を書いていることを家族にも言っていないんだった。当然、姉もそのことを知らないはずである。

「そんな事より、お姉ちゃん、遅かったね。こんな連休中なのに休日出勤?」

「うーん。まあ、今、いろいろと忙しいのよ。私が企画した新しいブランドが立ち上がったばかりだからね」


 珠莉の仕事については、紗羅から少しだけ聞いていた。どうやらファッション業界で働いているようであった。紗羅は、あまり興味がないらしく、彼女の口から姉の働いていた会社の事を詳しく聞くことは無かったのだけど。


「今、そのブランドが乗っているの。これが成功したら、私がどんどん上にのし上がっていけるの」

「ふーん」

 紗羅は興味なさげに聞いていた。そんな紗羅を珠莉は上から下まで見定めるようにじっくり見た。

「何よ」

 紗羅は気持ち悪そうにしていた。

「さっきの前言撤回。あんた彼氏いないでしょ?」

紗羅は、ビクッと反応した。

「分かりやすい反応してくれるわね。まあ、そんな恰好で、どうせ大学でも化粧もろくにしていないんでしょ?そりゃあ、彼氏も出来ないわ」

「うるさいなあ。大学は勉強しに行ってるんだから、化粧は関係ないでしょ?」

「それが関係あるのよ。あんた、今や、結婚する人の大多数は大学で付き合ってた人とするパターンが多いんだから。私の友達も就職してから、大学で付き合っていたカップルで何人、結婚したか」

「そういうお姉ちゃんはどうなのよ」

 珠莉は、ふふ、と得意げに微笑んだ。

「まあ、私の場合は、まだまだ働きたいからね。男なんて二の次で良いわ」


 珠莉の場合、強がりで言っているわけでは無く、おそらく本当にそうなのだろう。彼女ほどの美貌と、外交力があれば、彼氏なんて作ろうと思えば、すぐにでも作れるのだろう。それが、紗羅にも分かっていたのか、それ以上は追及はしなかった。

「でも、あんたの場合は、今の内から確保しておかないと、良い男を。男女平等の時代なんて言うけど、やっぱり、今の時代だからって稼いでもらう男はいるに越したことは無いんだからね」

 珠莉ほどの女性であっても、そういう考え方をしているのは僕にとっては意外だった。紗羅は耳にタコが出来るほど、そんな話を聞いていたのか、黙って、知らんぷりしているのか、全く身に入って無さそうだった。


「そう言えば、あの子はどうなの?あの同じ大学に行ってる、幼馴染の凪くんだっけ?まだ付き合っていないの?」

 僕は、自分の話が出てきて、急にドキドキしてきた。これは最初から覗いては良くない記憶に入ってきてしまったのかと、早速、後悔した。


「無いよ」

 紗羅は即答した。付き合って無いの“無い”なのか、彼氏として無いの“無い”なのか、僕には気になった。

「それは、付き合って無いの“無い”なの?彼氏として無いの“無い”なの?」

 珠莉は、僕が聞きたい質問を的確にしてくれたようだ。

「うるさいなあ。私は今はそれどころじゃないんだから。私もお姉ちゃんと同じで忙しいの。彼氏なんて作ってる暇は無いの」

 珠莉は、なぜか納得したようでそれ以上、そのことに口を出さなかった。僕はその先を聞きたかったわけなのだけど。

「まあ、それは良いとして、忙しいって言っても、どうせ学生でしょう。遊べるうちに遊んでおきなさいよ。社会人になったら、嫌な事でもやらなきゃいけないんだからねー。そうそう、これ」

 珠莉はそう言って、紗羅に一枚の名刺を渡した。

「ジェラード?」

「そう。私の作った新しいブランドの名前。カッコいい名前でしょ?いつかあんたにも、このブランドの服で身繕ってあげるからねっ!」

 そう言って、珠莉は紗羅の部屋から出ていった。


 はぁ、と紗羅は大きなため息をついた。

「嫌な事でもやらないといけないのか……。私もいつかは社会人になるのよね……」

 紗羅は、閉じたパソコンに目を向けた。

「今の内にやりたいことをやっておかないと」

 そして、紗羅は名刺に目を向けた。

「ジェラードね……」

 紗羅は何か決心したかのように再び、パソコンを開いて、キーボードを叩き始めた。

そこで、紗羅の部屋はフェードアウトするかのように真っ暗になった。辺りは反転して、僕が元居た草原に戻ってきた。



「どうでしたか、最初の記憶は?」

 白いベールの女、ガイドブックが、最初と同じ位置に立っている。僕はこの場から動かず、意識だけ、クリスタルの中に入っていたのだろう。

「ジェラードは、珠莉のブランドから来ていたのか」

 と、言うよりも、ジェラード自身は、紗羅の姉に対するコンプレックスから創られた存在なのだろう。性別は変わっているが、ジェラードは紗羅の兄であるし、紗羅にとっての憧れの存在というのは、ジェラードと珠莉には被るところがある。

「何か、紗羅の納得のいく結末のヒントは得られましたか?」

「うーん。ジェラードという、ラスボスの存在は珠莉から来ているのは分かったし、乗り越えるべき相手っていうのも納得がいくのだけど……」

 本当にそうなのだろうか?ジェラードを倒せば、言い換えると、珠莉を超えれば、紗羅は納得するのだろうか?


 これまでの結末の中でも、僕の力を使う形にはなったが、ジェラードには何度も打ち勝っているから、これで解決したのではないのだろうか?やはり、紗羅=シャラ自身がジェラードに打ち勝つようにしないといけないのか?いや、僕にはジェラードを単に倒せば良いというわけでは無いような気がしていた。紗羅が気にしているのは、もっと別にあるような気がする。


「まあ、記憶はまだまだございますから、これで結論づける必要はないわけで……」

「って、まだ見るのか?やっぱり、これ以上、人のプライベートを見るのは……」

「何を言っているのですか?紗羅を助けるのでしょう?ほら次々……!」

 ガイドブックが次々にクリスタルを僕に投げつけてきた。

「ちょ、ちょっと、良いのか、そんな乱暴に扱って……」

 と言ってると、クリスタルの一つが僕の脳天を直撃した。ぱあっと光ると、また僕の意識はクリスタルに吸い込まれていった。

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