第十一話 ガイドブック

 目が覚めた。僕はまず洞窟の中を駆けていないことに驚いた。明るい昼間の空の下であったからだ。眼下にはひたすら見渡す限りの草原が広がっている。死の門の暗闇を抜けた先とは思えないほどの、のどかな風景であった。どうやらあのループからは抜けることが出来たようだ。僕はそのことにまずは安堵した。しかし、ここは何処なのであろうか?まだ紗羅の創り出した世界の中に居るのだろうか。


「こんにちは」


 いきなり背後から声を掛けられた。僕はびっくりして振り向くと、白いベールを纏った、それこそ純白のドレスを着たような女性が立っていた。ベールにより顔は良く見えなかった。色こそ違えど、黒いベールの女と同じような雰囲気を感じた。

 僕が警戒していると……。


「凪。よく勇気をもって、ここに来られましたね。それだけでここに来る十分な資格があったということなのでしょうね」

 白いベールの女は勝手に僕に対して話しかけてきた。どうやらここには彼女しかいないし、ここの事は彼女に聞くしか分から無さそうだった。


「ここは何処なんだ?死の門の先?死の世界なのか?」

 顔こそ見えなかったが、白いベールの女は見当違いな質問だったようで、きょとんとしていることが目に見えた。しかし、すぐに納得したようで微笑んだ。

「そうですよね。死の門をくぐってきたら、それは死の世界と思いますよねー」

 女はなぜか軽いノリでそう言った。

「大丈夫ですよ。ここは死の世界ではありませんよ。あなたも死んでません。第一にあの門は確かに死の門ですが、何と言いましょうか、私達はゲートって呼んでいて、世界に介入する為の門とでも言うのでしょうかね。まあ、大事な門であることには変わりは無いのですけどね」

「ここは、まだ紗羅の創り出した世界なのか?」

 僕は聞いた。女は、うーん、と少し考えから話した。

「そういう言い方も出来ますが、どっちかと言うと、紗羅が物語を創り出す前の世界というか、紗羅の意識の中の物語創作工場?とでも言うのですかね」

「創作工場?」

 僕は尋ねた。

「はい。凪が先ほどまでいらっしゃった世界は、紛れもなく紗羅が創り出した物語の世界ですわ」

「じゃあ、僕はあのループから抜け出せて来れたのか」

「まあ、そうなんですけど……」

 女は少し言いにくそうにしていた。

「凪は確かにあの物語から抜け出しています。ただ、それは一時的というか、映画で言うと、一時停止しているような状態ですわ。凪の本体は、まだあそこに居て、魂だけはここにきていると言ったら分かりますでしょうか?」

「なんとなく分かったけど」

 つまり、幽体離脱しているようなものか。

「とにかく、まだ問題は解決していないと言いたいんだな」

「その通りですわ。紗羅自身もまだあの物語に囚われていますしね。お聞きになったと思いますが、紗羅が納得しないと、あの物語は終結しない、つまり抜け出せないのですから」

「じゃあ、僕はまた戻ってやり直すしかないのか?」

「それも出来ますが、それではここに来た意味が無いのではありませんか?」

 女は試すような言い方をした。

「ここであの物語の終わらせることが出来るのか?」

 僕は尋ねた。

「凪次第ですわ。ここに凪が招かれた理由。きっと紗羅自身が望んだことなのでしょう」

「教えてくれ、どうしたらいいんだ」

 ふふふ、と女は微笑んだ。

「その前に申し遅れましたが、私の自己紹介をしておきましょう」


 女はドレスの裾を軽く掴んで、昔の貴婦人の挨拶みたいなお辞儀をした。

「私は、ここ紗羅の深層意識の案内人、ガイドブックとでもお呼びください」

「あ、ああ……」

「先ほども言った通り、ここは紗羅の物語を創作する工場ですわ。主な仕事はここに運ばれる物語の素材、言わば、紗羅の記憶ですね、その管理を行うのと、凪のような来訪者への対応、必要であれば、その排斥も担っております。まさに管理人と呼ぶべき存在でしょうかね」

「排斥……?」

 少し物騒な言葉に僕は反応した。

「いえいえ。凪は正式に招かれたお客様。排斥は致しませんわ。何と言うか、紗羅の創作に悪影響を与えるような異物ですわね。雑念みたいなものが時々、ここに侵入してくるので、それを撃退するという役割も担っております」

 僕はもう一つ、気になることを聞くことにした。

「ちなみに、あの黒いベールの女もあなたの知り合いか何かなのか?」

「ああ、あの方ですね。あの方は私達とは少し違っておりまして。ちょっと特別というか。まあ、そのうち、分かるでしょう」

 ガイドブックは何かを匂わすような言い方をした。


「話を戻しましょう。凪がここに招かれた理由。それは、先ほどもお伝えしました、私がここで管理している紗羅の記憶ですわ」

 そう言って、ガイドブックは、手のひらを上にして前に差し出すと、クリスタルのような塊が現れた。その表面は鏡のように周りの風景が写った。しかし、その表面は次第に変わり、僕の姿が写った。今の僕ではない。大学の食堂で、紗羅とお昼ご飯を食べている姿であった。

「このクリスタルには紗羅の記憶が詰まっております。他にも沢山あるのですが」

 と言って、ガイドブックは両手を広げた。すると無数のクリスタルが宙に現れた。クリスタルの表面には色々な光景が写り込んでいた。僕の知っているものもあれば、知らないものもあった。

「これもほんの一部に過ぎません。で、ここからが本題ですわ。凪にはこのクリスタル、つまり、紗羅の記憶の中に入って頂き、あの物語を終わらせるヒントを掴んでほしいのです」

「記憶の中に?」

「ええ。物語は、もちろん、創作ですが、その材料は紗羅の記憶から成り立っております。だとしたら、物語を終わらせる材料も、この紗羅の記憶の中にあるということです」

 ガイドブックは得意気に言い切った。

「そうなのか……?紗羅が納得するような結末が、紗羅の記憶から呼び起こされないから、終わらないって可能性は無いのか?」

 僕は思っていたことを率直に尋ねた。ガイドブックは、ベールで表情こそ見て取れなかったが、一瞬、固まっているようにも見えた。

「そ、そんなことはありませんっ!きっとあるはずですわっ!」

 ガイドブックは、焦ったように言い返した。

「とにかく、今は他に方法が無いのですから、紗羅の記憶の中から、早く物語の結末に繋がるような手掛かりを探すのです!紗羅を助けたくは無いのですかっ!」

 ガイドブックは、なぜか怒ったように僕にクリスタルをぐいぐい押し付けてきた。

「助けたい、助けたいから、そんなに押し付けてないで……」

「でも……」

 僕はクリスタルに写る光景を見て、少し気まずくなった。

「紗羅に許可を得ずに、こんなプライベートを覗くようなのはちょっと気が引けるなあ」

「だーいじょうぶですっ!」

 ガイドブックは、グイッと顔を近づけた。こんなに近付いてもやっぱり顔は分からない。

「凪はここに招待されたのですから。正式に紗羅の許可は取れております。あと、そもそもここの管理人は私です。私が許可すれば、閲覧オッケーなのです」

 ガイドブックは、偉そうに胸を張った。


 僕は、はぁ、とため息をついた。本当に大丈夫なのか、心底、心配であった。紗羅は秘密主義だ。そもそも、彼女の小説を読んだことが無かったし、プライベートの事も、紗羅はあまり触れられたくない方だ。僕と紗羅はそういう深く相手を知りすぎない距離感でうまく行ってきたのだ。これがバレたら、僕らの仲が……。


「なんて、うだうだ考えてないで、漢らしく、早く行ってこーいっ!!」


 僕は、後ろからガイドブックにお尻を蹴られた。僕は前に倒れるような形で、一つのクリスタルに不意に触れてしまった。その瞬間、クリスタルから眩い光が放たれた。


「凪。行ってくるのです。この物語の結末はあなたに掛かっているのです」

 ガイドブックは祈りのポーズで、眼を閉じていた。僕は薄れていく意識の中で、クリスタルの中に、とある人物が見た。長身のスタイルの良い女性のようだ。僕も確か記憶になる。この人は確か……。とそこで僕の意識が途切れた。

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