第二話 第一の小説

 ここは何処だろう。僕の目を覚ましたところは、深い森の中であった。薄暗い森の中に少しだけ木漏れ日が差し込んでくる。辛うじて、今の時間が昼間だということが分かる。僕は服に付いた土を振り払って、立ち上がった。


 僕は……、どうしたんだろう。何でここに居るのだろう。どうしても思い出せない。誰かを探しに来ていたはずなのだが。誰だったか思い出せない……。そして、僕自身の名前も分からない。どうやら、これは記憶喪失というやつだろう。こんな誰もいないところで。このままではまずいことになってしまう。


 その時、不意に後ろの草むらからガサゴソと物音がした。僕は咄嗟に振り向いた。

 草むらからバッと、誰かが二人飛び出してきた。僕は誰かが居たのだと安心したが、その安心は急に恐怖へと変わってしまった。彼らはよく見ると、身長は子供くらいで、皮膚は緑、上半身は裸、身に付けているものは腰ミノひとつだ。頭は坊主で耳が尖り、目は鋭く、口は獣のように牙を生やし、醜く涎を垂らしている。そして、手にはこん棒が握りしめられている。これは人間ではない。僕はゲームか何かで見たことがある。あれはゴブリンというモンスターだったはずだ。ゲームでは、よく序盤に出てくる弱いモンスターだが、現実で見ると、全然違う。彼らが敵意をむき出しにこちらを見ているせいだろうか、僕は恐怖で足が竦んでしまっていた。普通の日常生活を送っていたら、こんな殺意を向けられることなんてまずない。何が最弱モンスターだ。一般市民にとっては、暴漢よりも怖い存在ではないか。


 ん。ゲーム?ゲームって何のことだ?何で僕はこいつらのことを知っていたんだ?自分のことは何も覚えていないのに。


 僕が混乱しているのをいいことに、ゴブリン達は僕に目掛けて襲い掛かってきた。最弱モンスターとは言え、武器も無いのでは勝てるはずもない。僕は背を向けて、一目散に駆け始めた。しかし、ゴブリン達は僕を追いかけてきた。僕は必死に思いで駆けた。後ろを振り返るのは怖かったが、彼らの良く分からない叫び声がまだ聞こえるので、まだ振り切っていないようだ。すると、突然、背中に衝撃が走った。僕は態勢を崩し、転げてしまった。傍らには拳大の石が落ちている。奴らが投石してきたのだ。僕が起き上がろうとする前にゴブリンの一匹が僕に覆いかぶさった。


 ゴブリンの腕が振り上げられ、そのこん棒が僕を狙っている。その顔が醜い笑みを僕に向けていた。僕は終わりだと思った瞬間、今度はゴブリンの頭に何か当たり、揺らめいてその場に倒れた。僕は唖然としていると、もう一匹も同様にどてんと倒れた。また何かがゴブリンの頭にぶつかったのが見えた。

 ガサガサと後ろから草むらをかき分ける足音が聞こえた。


「大丈夫?」


 僕は振り返った。一人の女性が僕に近づいてきた。女性は手を貸してくれ、僕は起き上がった。


 僕は彼女を見た。歳は若そうだった。僕より少し下だろうか。10代半ばくらいに見えた。髪は茶色掛かっていて、ポニーテールのように頭の上で括っていた。そして、彼女の服装は、あまり見慣れないもので、中背ヨーロッパの狩人が着るような服を着ていた。そう、まるでRPGゲームの中の人が着るような服だった。ん、ゲーム?まただ。僕はここについて何か知っているのか。しかし、今度はちゃんと僕と同じ人間だということが分かった。しかも、何となく、僕は彼女に見覚えがあるような気がしていた。


「ありがとう」


 僕は彼女にお礼を言ったが、彼女は僕の言葉には何も返さず、一目散にゴブリン達の元へ詰め寄った。そして、ぐちゃと言う鈍い音とぐえぇ、という悲鳴が聞こえた。

「あの、何を……」

 僕は近くに寄ろうとしたが、遠目でも何をしているかは分かった。

「こうやってちゃんととどめを刺さないと」

 女性はさも当然のことのようにそう言って、もう一匹の気絶したゴブリンの喉元へナイフをぐさりと突き刺した。僕は耐え切れず目を背けた。

 彼女は事を終えると、僕の方へ向かってきた。

「キミ。運が良かったね。冒険者ギルドの私がちょうどこのゴブリン達を追いかけていたところだったから」

 彼女は笑ってそう言った。

「あ、有難う。助かったよ」


 彼女はつかつかと僕の前に歩いてきた。そして、手を前に差し出した。

「え。なに?」

「なに、って。当然、お金でしょう。私は君の命を救ってあげたんだよ。その見返りをもらうのは当然でしょう?」

「え。あ、そうか……」

 僕は彼女からの一方的な物言いに為す術がなかったが……。ポケットを探ってみても何も出てこなかった。どうやら記憶を無くす前から無一文だったらしい。

「ごめん。今は何も持っていないんだ」

「本当に?」

 女性はまじまじと僕の身なりを見た。

「そういえば、変な服着てるなあ。君は何処から来たの?」


 僕は自分の服装を見た。シャツにジーンズという、いたって普通の服装だと、自分の記憶が言っているが、確かに彼女の服からするとかなり違っている。僕は、嘘をつく理由もないし、記憶がないこと、さきほど目覚めたということをありのままに伝えた。


「なるほど。何か事故にでもあって、記憶を無くしたのかもしれないね。でも、私が君の命を救ったことには変わりがない」

「そ、そうだけど……、僕には何も返すことが出来ないし」

「大丈夫。ちゃんと返すことは出来る」

 彼女は不敵な笑みを浮かべた。

「働いてもらう、私の為にね」

「働くって……。何をしたらいいんだ?」

「それはもちろん、私の仕事、冒険者ギルドの仕事よ」


 彼女から冒険者ギルドの事を聞いた。いろいろな仕事を依頼として受けてこなすらしいが、主にはさっきのゴブリンみたいなモンスターを退治することが多いようだ。


「でも、僕は君みたいに戦えない」

 僕は自分の記憶は無かったが、ゴブリン相手にあの有様であったから、きっと戦闘経験もない凡人だったのだろう。

「まあ、それはいいわ。荷物持ちとか雑用だったら出来るでしょう?」

「はあ……」

 正直、あんな危険な目に再び合わされるのは嫌だったが、今、何もできない限り、僕に反論する余地は無かった。

「大丈夫よ。私はそれなりに強いからね。そう言えば名乗っていなかったね。改めまして、私の名前はシャラよ。宜しく」

 シャラという名前を聞いて、何か僕の中の記憶に響くものがあったような気がしたが、それはすぐに消えてしまった。


「君の名前は……、そっか。記憶がないんだったね。だったら、アルで良い?」

「まあ、別に良いけど……」

「ちなみに、アルってのは私が昔飼ってた犬の名前よ。我ながら良い名前ね。愛着が湧きそう」

 シャラはにやにやしながら話した。

「は、はあ……」

 犬のように躾けられそうな予感しかしない。


「ところで、君のスキルは何?」

「スキル?」

「まさか、そんなことも忘れてしまっているの?」


 僕はスキルの事をシャラから聞いた。どうやら、この世界にいる人間には誰でも一つ以上はスキル、そう技能や特技と言った方が良いかもしれないが、そういうものを持っているようだ。さっきから言っているが、やはり、ゲームというものの中の世界のようだ。ちなみにシャラのスキルは……。

「私のスキルはこれよ」

 そう言って、シャラは折れ曲がった木の板、そう、ブーメランのようなものを見せてくれた。さっき、ゴブリン達にぶつけたのもこれだろう。

「別にこのブーメランがスキルっていうわけではなくて、私のスキルは『百発百中』という、飛び道具なら狙った敵に必ず当てることが出来るものよ。凡庸性が高いし、何よりも戦闘向きね。これで私が強いって理由がわかったでしょう?」

 僕は頷いたけど、そんな大事なスキルを、仲間になったとは言え、初めて会ったばかりの人間にこうもペラペラ話しても良いものだろうか、と僕は思った。


「それで、君のスキルは……」

 僕にはスキルの記憶すら無かった。必ず一つはあるのだろうが、おそらく戦闘タイプではないのだろう。あったなら、身体が覚えているはずだし、さっき襲われたときに使っているはずだ。これまでの経験からいったら、『逃げ足』や『幸運』と言ったところなのだろう。

「ま、いっか。そのうち分かるでしょう」

 シャラは諦めたようにそう言った。

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