04 カジキとの格闘

The Fishだ!」


 船長キャプテンの怒号を背に、鉄太郎はミラーを追って、船上に出る。


 白い雲。

 青い空。

 そして、何処までも広がる、波打つ碧――海。

 その海の波間を、ひとつの三角形が動いていた。


だ」


 対応する英語が分からないので、鉄太郎も「The Fish」とのみ呟いた。

 ミラーが、来い、と囁く。


「このロープを引っ張るんだ」


 釣り綱というそのロープの先端にはがあり、に食らいついた獲物を引っ張って獲るというのが、あのThe Fishとの戦い方らしい。


「来るぞ!」


 船長キャプテンが舵を握りながら叫ぶ。

 折からの風で激しくなってきた波を、海を。

 切断するようにその三角形――が走る。


「ずっと追ってきた」


 ミラーはロープの端を渡して寄越しながら言った。


「コヒマルからずっとだ。途中、お前さんを連れてきたストームと遭遇したが、何、それ以外にひまを与えなかった……ランチを食う暇もな」


 ランチ、という言葉に引っかかるものを感じた鉄太郎は顔をしかめるが、ミラーはそれに気づかずに「そら」と、に語りかけた。


「腹ペコだろ? 獲れたてのイワシだ。旨いぞ」


 どうやらロープの先の餌は、イワシだ。それものいい。

 鉄太郎は思わずつばを飲み込む。

 そういえばこの1950年のカリブ海に来て以来、何も食べていない。

 と腹が鳴ると、ミラーが振り向いて微笑ほほえんだ。


「お前さんも腹ペコか。待ってろ」


 その時、と引っ張られる感じがした。

 掴んでいるロープを引っ張る感覚だ。


「食いついた」


 やったぞ、とミラーは、今度は思い切り笑う。

 だがその笑みは老人のそれではなく、少年のように、底抜けに明るかった。



「無理に引っ張らなくていい! 保持キープだ!」


 ミラーが背中越しに叫ぶ。

 船長キャプテンは操舵に必死だ。

 それだけ、ヤバい奴を相手にしている。

 鉄太郎はその名の鉄の如く、どっしりと構えるイメージを浮かべ、ロープを掴む手に、力を込める。


「ようし、いいぞ。やるじゃないかボーイ!」


「……その、ボーイっての、やめてもらえませんか?」


 話しているかんにも、うっかりすると海中に引きずり込まれそうになるくらい、強いだったが、それでもミラーと鉄太郎は話し始めた。


「何でボーイが駄目なんだ? どう見ても、おれの方が年上だろ?」


「いやまあ、そうだけど、何か一人前じゃないみたいな気がして……」


「ははっ」


 ミラーの顔は見えない。だけど、笑っている顔は想像できた。


「そんなつもりは無かったんだかな……おっと、め、気を抜くとすぐ……いや失敬、だが、おれとしてはボーイって羨ましいけどな」


 ロープをたぐり寄せながら、ミラーは言う。

 幼少時、何故か母親から「女の子」として育てられ、「そういう格好」をさせられた反動から、ミラーは「ボーイ」であることに思い入れがあり、今でもこうしてカジキ漁に興じるほど、「ボーイ」であろうとしている。


「……あれから、でかい戦争が二回ほどあったり、感染症が流行はやったりして、いろいろあって……今じゃこんな年齢としだが、それでもこういうことに熱中してるという寸法さ」


「はあ……」


 油断すると、ミラーだけでなく鉄太郎も引きずられそうになる。

 それでも、ミラーと鉄太郎は話を止めない。

 何故だか話を止めると、負けるような気がした。


「でかい戦争って確か、第一次世界大戦World War I第二次世界大戦World War Ⅱですよね? あと、感染症って……」


未来そっちではどういう伝わり方をしているか知らんが、おれの知る限りでは、スペイン風邪かぜという」


「ああ……」


 それは、鉄太郎のいる「今」では、史上、最も多く死者を出したパンデミックと伝えられていた。


「でもそんなひどい時代を生きてきたら、生まれてきたら、そんな時代を呪いたくなりませんか?」


「呪う?」


 ミラーの怪訝けげんそうな声に、鉄太郎は、自分の生きている「今」も、感染症が流行り、戦争が起こっていることを話した。

 ミラーがそれに答えようした時、今までで一番大きな「引き」が来た。


「……おっと! め、音を上げだしたな」


「え? 今までで一番パワフルなのに?」


「だからだよ」


 だからこそ、こんな力を出す。

 全力を出して、罠を食い破るために。


「最後の力をふりしぼるって奴だ」


 ミラーが気合いを入れろ、と言ってきた。


「これをしのげばれる……それと、時代を呪うとか言っていたな」


 鉄太郎はこの時点で返事が出来ない。

 それだけ力を込めていたからだ。

 ――カジキは強い。

 その最大のパワーで挑んできている。

 もう、しゃべっている余裕はない。

 なのに。


「いいか、ゼンダ・ボーイ! いや、気に入らなければゼンダ・マン、か……おれは確かにひどい時代を生きてきた。けど……」


 だん、という音を立てて、ミラーの足が思い切り踏み込む。

 ミラーが言葉を切ったままなので、鉄太郎は怒鳴る。


「けど……何だって言うんですか!」


 怒鳴った瞬間に、手の皮がけるほどのが。

 だが、こらえる。

 ここで引きずり込まれたら、ミラーの答えが聞けなくなる。

 鉄太郎は今や、カジキより、そっちが気になっていた。


「けど……そんなの知るか! おれはやりたいことをやる! 戦争や病気に殺されてたまるかよ! やりたいことをやったんなら、そん時ゃ自分で死んでやる!」


 滅茶苦茶だ。

 そう思った鉄太郎だが、その滅茶苦茶さが気に入った。


「ようし……おれも!」


 ……その後、カジキと格闘すること数時間に及んだが、ついにミラーと鉄太郎は、カジキを吊り上げることに成功した。

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