第8話

 なんだかんだ逃げるようにして始めた長野での一人暮らしにも慣れ、たびたび訪れる仁さんからのお誘いを受けたり受けなかったりしている間に日々は過ぎていき、今日俺は高校に復学する。


「なーんか私服で良いってのは慣れないな」


 俺がこれから通うことになる縣嶺けんれい高校では一応制服はあるが、個人の裁量で制服か私服かは選択してよい事になっており、俺は無駄に金のかかる制服を拵えるつもりは一切なく、私服を選択した。


 高校一年時に通っていた東京の学校は制服があったので、特に朝になるたびに着ていく服なんかで悩むことは無かったので、いざこうして私服で良いとある種の自由を与えられても困惑してしまうが、そもそも俺自身服に興味があるわけでもないので、数少ない自身の服のレパートリーの中から適当なズボンとトレーナーを引っ張り出してそんなことを呟いた。


「お、遥じゃん珍しく朝から外出か?」


 そろそろ学校の登校時間が近づいてきたので着替えやその他細々とした準備を済ませて玄関の扉を開けるとちょうど自身の部屋の玄関先で煙草をくわえている仁さんに遭遇して話しかけられた。


「今日から学校なんだよ」

「あら、それはまた」


 一さんや諏訪部さんとのスマブロ中に度々外に出ては決して心地よくはない煙草の匂いを身に着けて帰ってくることから流石に気付いていたが知れば知るほど仁さんは爽やかな見かけによらず悪い大学生の見本みたいだ。


「……てか、煙草辞めなよ。体にも環境にも悪いし」

「ふん、そんなありふれた言葉で禁煙出来たらこの世に喫煙者などいない!」

「別に自信満々で言う事じゃないでしょ……」


「まぁ俺の禁煙事情はどうでもいいとして……頑張れよ!健全少年!」

「ちっ……」

「舌打ちの癖やめろよ~女の子にモテねえぞ~」


 いつかの様に少し小馬鹿にしたような仁さんの言葉に舌打ちで返事をして俺がアパートの階段を下っていくと後ろから仁さんの全く有難くもない指摘を受けてもう一度聞こえるように舌打ちでもしてやろうかと思ったが、辞めた。


 仁さんの主語もなく何に対して言ったかも分からないような一言は事情を一切語らない俺に対しての仁さんなりの心のこもった激励なのが分かるからだ。

 舌打ちは苛立ちからではなく、仁さんの激励をなぜか有難いと思ってしまった気恥ずかしさから出たものだ。


「余計なお世話だ、不良大学生」


 階段を下り切り、仁さんには聞こえるはずもない言葉を呟きながら春とは名ばかりの長野県の肌寒さに対抗すべく服の襟元に顎を埋めて学校へと向かった。


 ◇


 一度長野に来てから叔母さんと編入手続きの為学校には来たことが有ったので、特に道に迷うこともなく学校にたどり着き、新一年生と思しき親御さんらと記念撮影をしている集団を横目に編入手続きをしに来た時に登校日はまず職員室に顔を出すようにと言われていたので明らかに新入生の親御さん用と思しき下駄箱付近に置かれていたスリッパを一組借りて一先ず職員室を目指すことにする。


 もう既に登校してきている学生がまばらに廊下で友人らと話し合っているのを眺めながら俺が思ったことは一つである。


(思ったよりも制服を着ている人らが多い)


 そう、俺は無駄に金のかかる制服に金を出すのも億劫だったので、私服を選択したが普通に制服を選択している生徒の方が多かったのだ。

 ぱっと見の感覚で言えば七割ほどが制服で、ただでさえよそ者で編入生の俺が私服だと浮いたりしないだろうかなんてことを考えていると、東京での嫌な思い出が浮かび上がってくる。


(まぁいまさらそんな事気にしてもしょうがないか)


 早速嫌なことを思い出してしまって憂鬱ではあるが、きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いていたので気付けば職員室の前に着いたので一旦東京での事は忘れることにした。


「失礼します。二学年に今日から編入する知久間遥です。朝日先生はいらっしゃいますか」

「お~知久間こっちこっち」


 職員室に入るのに少しばかり気合を入れて入ったはいいが、俺の目当ての先生からの返事は非常に気の抜けるものだった。


 そう言えばこの人はこういう人だったな……編入手続きの際もこの人の適当さというか雑さに気が抜けたのを思い出して、いつの間にか力の入っていた肩を落としてひょいひょいと俺に向かって手招きをしている男性の机へと向かう。


「おはよう知久間。調子はどうだ?」

「……まぁ普通です」

「普通なら結構。それじゃあ知久間は二組だから。あ、教室の場所は分かるな?」

「はぁ……まぁ」




「え、終わりですか?」

「え、うん」

「なんかもうちょっと細かい説明とか無いんですか?」

「ないけど?そもそも俺って二学年の学年主任だけど担任四組だし細かい説明は入学式とか終わった後に各教室で担任の先生からあるから」


 これで話は終わりだと言わんばかりに朝日先生はデスクの上のコーヒーを口に含んでパソコンを触り始めてしまった。


 完全にパソコンとにらめっこを始めてしまった朝日先生はそれ以降特に何も話さず、取り残された俺は無言の空間に耐えられず軽くお辞儀をして職員室を後にした。


 駄目教師が


(さてどうしよう)


 職員室を後にしてペタペタとスリッパが奏でる間抜けな音を聞きながらそんなことを考える。朝日先生からはまともな情報は俺が二組ということしか伝えられなかったので、始業式には出たほうが良いのか、何時ごろに始業式が終わり教室での説明があるのか等は何も分からない。


 かと言って今から職員室に戻って朝日先生のあの態度をもう一度味わいながら説明を乞う気にもならなかった。


(サボるか)


 俺がその思考に入ったのは相も変わらず間抜けな音を立てるスリッパに腹が立ち、朝日先生に教えられた通り二年二組の下駄箱に先ほどまでビニール袋に入れたままだった靴をしまいに来た時だ。


 ちゃんと二組の下駄箱の一角のスペースには俺のネームプレートが刺さっており、俺の下駄箱にきちんと上履き代わりのサンダルが入っているのを確認し、さらには下駄箱の前の掲示板に学年ごとのクラス振り分けの紙が張り出されていることに気が付いたのだ。


 そもそもきちんと説明を受けてないし、その説明だってなに一つ足りてないし、始業式の時間も出席したほうが良いのかも何も分からない俺に伝えないあの先生が悪い。


(よしサボろう)


 何処かで不良大学生がにやにやと笑っている姿が不意に思い浮かんだが、サボると決めてからは何処か気が楽だった。

 そもそも東京にいた時から学校にいるのはただ保護者の金を無駄遣いしないためだし、別に学校で授業を真面目に受けていたかと言われたらNOだ、しかし何となく授業はサボったことは無かった。


 まぁサボった所で遊ぶ人もする事もなかったからというのもあるが……


 そんな俺が編入初日、しかも始業式からサボると言う選択をしたことに仁さんなら何と言うだろうか、笑うだろうか?それとも学校は真面目に行けと言うだろうか?


「いや、あの人は絶対に笑うだろうな」


 仁さんが大きな声で笑い飛ばしてくれるのが容易に想像できてつい呟きながら笑ってしまった。


 サンダルに履き替えることはせず、スリッパを元の場所に戻して靴に履き替え登校してきている人の流れに逆行して校門から出た時は決して褒められるようなことをして居ない事を分かりながらも自分でもびっくりするぐらい晴れやかな気持ちだった。




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