第2話
「はぁ……」
叔母さんの車のエンジン音が少しずつ遠ざかっていくのを聞きながらアパートの部屋の鍵を開けて俺の口から漏れたのは陰鬱としたため息だった。
そのため息は自分に対しての物なのは分かっているし叔母さんが何一つ悪い事していないのも分かっている。ただ自分に対する情けなさとこの状況に対するやるせなさから漏れてしまったため息だった。
「どうしてこうなるかな……」
家具も何もないワンルームの部屋に響く情けない自分の本心がこうなってしまった原因を思い出させてさらに不快になる。
これまでであれば部屋のベットにでも突っ伏してふて寝したい所ではあるがベットどころか何もないこの部屋ではそれも叶わない。
「切り替えよ」
叔母さんに謝罪のLINEを送り、何もないワンルームの部屋を眺めては見てみるものの眺めたところで何か出てくる訳でもなく、ただ冷たいフローリングの上に先ほどまで自分が引いていたキャリーケースがあるだけだった。
フローリングの上に寝転がってAmazonのアプリを開いて適当なマットレスと敷布団と掛け布団、こまごまとした生活用品をカートに次々と入れていくとこれが案外良い現実逃避になることに気が付いてしまった。
勿論無駄な買い物をする余裕は俺にはないので本当に必要な物だけではあるが、ぽちぽちと携帯の液晶のなかのカートに物が入っていく様子は今の俺には小さな快感であった。
「こんなんで良いか」
ある程度必要なものをカートに詰め込んで注文をしようとしてこれまでと同じ住所で注文してしまいそうになった事に舌打ちしてうろ覚えなこのアパートの住所を打ち込み終わってそう呟くと、いよいよ本当にやることが尽きたことに気が付いてまた陰鬱になりそうな思考を少しでもかき消そうとブンブンと頭を振る。
玄関に置いたままになっているキャリーケースを取りに立ち上がり、キャリーケースに詰まった服を押しのけて電子書籍用のタブレットを取り出して読みかけだった小説を開いた。
その小説はまぁ所謂ライトノベルに分類される小説ではあるのだが今の俺には名前の通り軽く読めるこの小説が有難かった。
このタブレットにはライトノベルは勿論、漫画、純文学と適当に気になった読み物を買いあさったおかげで数千冊の書籍が入っている。
元々は紙書籍信者だったが、一度この簡単に数千冊の本を持ち運べる気軽さを味わってしまうと紙には戻れないだろう。
スッスッと俺以外にはキャリーケースしかない部屋に書籍のページを送る音が響く中でカーテンも何もない俺の部屋が薄暗くなってくると、カンカンと何者かが鉄の階段を上る音が聞こえてきた。
挨拶でもしておこうかと、俺にしては殊勝な考えが頭の端に浮かんできたので立ち上がろうと体を起こそうとすると、今までただのフローリングの上で寝ながら本を読んでいたせいかミシミシと体のどこかが嫌な音を立てたが何とか起き上がることに成功した。
もう既に音の主は階段を上り終えたのか階段の音は聞こえなかったが、一応玄関のドアを開けて外を確認するとちょうど音の主は俺の部屋の隣の住人だったようで鍵穴に鍵を通しているところだった。
「うわっ!びっくりしたぁ」
「あ、すいません」
その人はまさか隣の部屋から人が出てくるとは思っていなかったのかびくっと肩を跳ね上げて声を上げた。
「今日、202号に引っ越してきた知久間です。よろしくお願いします」
「あぁ、ご丁寧にどうも。201号の上田です。」
上田さんは俺の挨拶に状況を把握したのか、わざわざお辞儀をしながら返事を返してくれた。上田さんを改めてみると右手にコンビニのビニール袋を携えた大学生ぐらいの爽やかな好青年だった。
「若いね、高校生?一人暮らし?」
俺が軽くお辞儀をして部屋に戻ろうとすると上田さんは俺の顔を見て不思議そうにそう聞いてきた。
詮索されたくはないが、良いご近所関係を結ぶためにも無視するわけにも行かず、会話を続けることにした。
「はい。まぁ色々ありまして」
「そりゃ、人間だし色々あるだろうね。はは」
上田さんは特にそれ以上俺について詮索をすることもなく軽く流してくれた。俺にとってもその上田さんの距離感は有難かった。
「あ、せっかくだし……飲む?」
上田さんが思い出したかのように右手のビニール袋をかさかさとまさぐり一本の缶を取り出して言った。
そうして上田さんがいたずらっ子のような笑顔で取り出したのは缶ビールだった。
「いや、俺、未成年です」
「うん。知ってる。どうする?」
相変わらず上田さんは缶ビールをぶらぶらと顔の前で揺らしながら言った。
「やめときます」
「うん。そうだよね、その方がいいぞ~」
「……じゃあなんで飲むか聞いたんですか」
「何となくだよ、何となく」
にやにやと笑う上田さんはなんだかその笑みを浮かべるているのが本性のような気がした。
爽やかな好青年というのは撤回した方がいいだろう。この人は好青年の皮をかぶっただけの良くない大学生のようだ。
「それじゃあこれからよろしくな~健全少年」
俺のじとっとした視線に気が付いたのか、上田さんは缶ビールをビニール袋に戻してひらひらと手を振って部屋の中に戻っていった。
俺は上田さんが小さく笑いながら部屋に入っていくのがなんだか納得いかず、自分の部屋に戻っても小説の続きを読む気にもなれず、冷たいフローリングを少しでも誤魔化すように部屋に備え付けのエアコンの暖房を付けてぼんやりとしている間に眠りに付いてしまった。
今日この部屋に引っ越してきたのにも関わらず、前の家とは比べ物にならないほど安心して眠ることが出来た。
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