ただし斎川怜奈は負けヒロインである。

@shirokumakemono

第1話

 

「寒……」


 俺こと、知久間 遥ちくまはるかが電車からパンパンに詰まったキャリーケースを引いて最初に口にした言葉はそんな言葉だった。


 もう暦としては二月後半に入るのにも関わらず、新たに踏みしめた大地には肌を刺すような風がびゅうびゅうと吹いており、寒いだろうとは思っていたがそんな俺の予想をはるかに上回る寒さで驚いてしまった。


 この寒さには今羽織っている薄手のパーカーのチャックを閉めたところで太刀打ちできるはずもなくさっさと目的地に急ごうと駅のホームを歩いて行く。


 時期の所為か、地域の所為かは分からないが、人っ子一人居ないがらんとしたホームをゴロゴロとキャリーケースを引いて歩いて行くと、この駅には今自分ただ一人しか居ないのではないかなんて思ってしまう。


 まぁ勿論この駅は無人駅ではないので駅員さんは居るんだろうけど


「にしても、着てくる服ミスったなぁ……こんなに寒いなら叔母さん先に言ってくれればよかったのに」


 少しでも寒さを凌ごうとパーカーの裾を目いっぱい伸ばして手袋代わりにしながら、今は居ない叔母に向けて悪態をついてしまう。

 しかし叔母さんも俺がこっちに引っ越すと聞いていた時から寒いからちゃんと暖かい服を着てくるようにと口を酸っぱくして言っていたことを思い出す。


「……いや、言ってたな。適当に聞き流してたのは俺か」


 寒さのせいだろうかいつも以上に独り言が多くなっていることを嫌でも自覚してしまう。

 確かに叔母さんは冗談抜きでこっちは寒いからと何度も俺に電話中言っていた。


「にしても寒いなぁ」


 叔母さんの事をを思い出している間にも吹き抜ける風は俺の耳や指の先、体の末端の温度を奪い去って通り過ぎていく。


「ふ~やっと暖かい所にたどり着いた」


 ホームのエレベーターに乗り込んで駅の構内にたどり着いた時に安心とともにため息をついてしまった。

 流石に駅の構内ともなれば自分以外の人間もちらほらと視界に入り、ここが俺だけの世界ではないと確認が出来たせいだろうか寒さを乗り越えた以上の何かを感じてしまった。


「とりあえず叔母さんに連絡しないとな……」


 俺は事前の段取り通り、ポケットの中にあるスマホを取り出して叔母さんに連絡を入れる。

 段取りでは叔母さんが駅まで車で迎えに来てくれているはずなので正直な所さっさと車に乗り込みたかった。


『着きました』

『了解。お城口の方のロータリーに車止めてるけど、分かる?』


 俺がLINEで叔母さんに連絡すると直ぐに既読が付き返事が返ってきた。お城口てどっちだよ……なんて思ってしまうがきょろきょろと辺りを見渡すとお城口と書かれた看板を直ぐに見つけることが出来たので問題はなさそうだ。


『分かりました。今から行きます』

『赤いステップワゴンね』


 俺がそう返事を送るとご丁寧に叔母さんは車の車種を教えてくれた。


 看板にお城口と書かれている方へと歩いて行くと階段とエスカレーターが並んでいたので大人しくエスカレーターを選んで外に出たことにより再度吹き付ける風に小さく舌打ちをしながらロータリーに並ぶ車の中から赤いステップワゴンを見つけたので小走りでそちらに向かうと叔母さんも俺に気が付いたのか車から降りてこちらにひらひらと手を振っていた。


「久しぶり」

「お久しぶりです」


 そう言って叔母さんは俺の右手からキャリーケースを奪い取りそそくさと車のトランクに入れた。


「とりあえず乗りな、寒いだろう?てか、あんだけあったかい恰好して来いっていたのに薄手のパーカーって」

「……すいません。ここの寒さを少し甘く見てました」

「遥は現地の人の忠告を甘く見すぎだ」


 叔母さんの言う通りに車の後部座席に乗り込むと少し呆れたように服装について指摘されてしまった。

 全くもってその通りなので反論することも出来ずにただ黙り込むと、叔母さんもそれ以上何か言うこともなく車を走らせ始めた。ぼんやりと駅の正面に掲げられた松本駅という文字が目に入ると本当に長野に来たのだと今頃実感がわいてくる。


「その、なんだ」


 そうして車を走らせ始めてから数分と言ったところだろうか、叔母さんがどこか言いづらそうに意味を持たない言葉を発した。

 叔母さんの様子と口調からしてここ最近聞きなれた言葉を言われるんだろうなと自分のひねくれ具合を自覚しながら思ってしまったが、ここで何か言葉を返すことも出来ずにいた。


「すまんな」

「何がですか」


 しかし叔母さんが言った言葉は決して聞きなれた言葉ではなく、むしろあまり聞きなれない言葉の類だったのでつい不愛想に返事をしてしまった。


「妹が迷惑をかけたな」

「良いですよ。……それにあの人は俺が引っ越すことに関しては無関係ですし」


 叔母さんが言う妹というのはつまり俺の母なのだが大して思い出したくもない事なのでこれ以上話を広げるつもりもない。

 それに言葉にした通り、俺がわざわざ過ごし慣れた東京を捨て、長野にまで来ているのは他の事が原因だなのだ。


「……そうか」

「ええ」


 嫌なことを思い出したせいかいつも以上にとげとげしい言葉が出た


 それ以上叔母さんも会話を続けることも出来なかったのかぼんやりとルームミラーに映る叔母さんの固く結ばれた口を眺めて居ると一件のアパートの前に車はたどり着いた。


「住所ではここだったな。一人で大丈夫か?」

「はい。わざわざありがとうございました」


「……叔母なんだそのぐらいさせてくれ」


 俺は階段を上っていく後ろから掛けられた叔母さんのその言葉に返す言葉が思い浮かばず、失礼だと自分で分かりながらも振り向いて軽く会釈を返すことしかできなかった。


 色々とお世話になった叔母さんにもこんな態度しか取れない自分がつくづく嫌になる。

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